悪運の強い男
野営の時でなければ、ハルカたちも夜には全員床に就く。
モンタナやレジーナなんかは、何か変わった物音がすれば目を覚ますこともあるが、警戒度は外で過ごす時よりは低い。
施錠してある部屋の中に忍び込もうとすれば自然と音が出るものだし、自然の中のように夜行性の動物や風の音によって、怪しい者の音がまぎれてしまったりしないからだ。
男はこそりと、音をたてぬように窓を開ける。
昼間に練習を済ませて置いたその動きは、熟練とはいかぬものの、新築なのも相まって非常に静かなものだった。
シーツを繋げた即席のロープを、そろりそろりとたらし、反対側をベッドの足にしっかりと結びつける。
どこの部屋のベッドも、木製の非常に高価で重厚感があるものであるから、男一人の体重を支えたくらいでは勝手に動きだしたりしない。
シーツを持って、窓からするりと体を這い出させると、壁伝いにゆっくりと降りていく。誰にも見つからぬまま地面に足が着いたとき、男はほっと息を吐きだした。
庭にいる巨大な竜、ナギも夜はお眠の時間だ。
たまにぷすーっとかわいらしい寝息を立てている。
抜き足差し足で庭を通り抜けた男は、表通りまでたどり着くと、急ぎ北の街へと走りだした。どこかほかの街へ連れていかれるにも、この街で手にしていた財産だけは用意していきたい。
家は見張られているとしても、今までひっかけてきた女のところに金の無心に行くことぐらいはできるだろうと、女誑しはまっすぐに死地へと向かっていった。
街で暮らしていると、どうしても外に出る冒険者ほどには、命が軽い物であると認識していない。冒険者ならば、大きな勢力が殺すと言えば本当に殺されるのだろうと理解できるけれど、男はそうではなかった。
それに男は、ハルカのことをナンパした結果、酷い目にあわされても生き残ったという過去がある。ハルカはおぼえていなかったが、この女誑し、過去にハルカによって水球で気絶させられているのだ。
それに懲りるどころか、案外殺されないものだという余計な学びを得てしまったからたちが悪い。
最初に、いつも女と密会していた隠れ家にたどり着いた男は、その中に人の気配を感じて、そーっと中を窺った。
中にいたのは屈強な男たち、ではなく、男に夢中である女の一人であった。
金持ち商人の愛人であるその女は、金だけは唸るほど持っている。
少し猫なで声でお願いすれば、向こう数年働かなくても済むくらいの金は手に入るはずだ。
男はしめしめと思いながら、軽いドアを押して隠れ家の中へと体を滑り込ませた。
◆
男の想定通り、女は金を出してくれた。
事情を説明したところ、手持ちだけではなく、家からも金を調達してきてくれるとのことだった。
もう会えなくなるというのに、何とも殊勝なことである。
こんなことなら、もっとちゃんと相手をしてやればよかったなと今更ながらに思う。
少しばかり埃くさいソファに身を投げ出した男は、目を閉じてこれからどうしたものか考える。こんな感じなら、数年近くの街に身を潜めていればほとぼりが冷めるのではないか。あの特級冒険者にどこぞ遠くへ連れていかれるより、明日自分の足で護衛を雇って出かけたほうがいいのではないか、とそんなことまで考えていた。
大きな音がして扉が蹴り開けられる。
どかどかと踏み込んできたのは、北の街でよく見かける荒事が得意そうな男たちだった。
跳ね起きた女誑しは、開けていた窓に向けてまっすぐに駆け出す。
追いつかれそうになって窓に向かって身を投げ出した男は、直後何かにぶつかった。目から火花が散り地面に転がる。
しかし今はそれどころではない。
逃げなければ、と起き上がった時には周りを完全に囲まれてしまっていた。
女誑しは真横に人の足があることに気づき、慌ててその足に縋りつく。
「助けてくれ!! なんで襲われているかわからないんだ!!」
男は褐色の肌をしていた。
一見線が細く、とても先ほどぶつかった、壁のように丈夫な何かであるようには思えなかった。
冷たい海のような色をした目が女誑しを一瞥し、すぐに外される。
男は何事もなかったかのように、人の囲いを抜けるべくまっすぐに歩き出した。
足元に縋りついた女誑しの存在なんて、まるで存在しないかのように引きずっていく。
「おい! そいつを置いてけ!」
男は答えない。
ただ声を発した荒事が得意そうな男と、足元に縋りつく女誑しを一度ずつ見る。
それから両端をそろえて、口を開いた。
「殺すのか?」
北の街の男たちは答えない。
少しでも情報を与えたなら、この男も口封じをしなければならないからだ。
今だってぎりぎりのラインである。
「殺すほどの何かをしたのか?」
答えない。
「お前たち、悪い人か?」
ハルカたちが聞いたら、何か嫌なことを思い出すような問いかけだった。
背筋がぞっとするような気配に、北の街の男たちも体を緊張させて武器を構え直す。褐色肌の男は、一筋縄ではいかなさそうな妙な雰囲気を持っていた。
ざり、と足音がして、その場にいる全員がそちらに一瞬気を取られる。
「おや、失敗失敗、足が滑って見つかってしまったでござる」
角からわざとらしい言葉とともに姿を現したのは、絶妙に似合わないアルベルトの服を着たリョーガだった。刀だけはうまいこと腰につけている。
「なんだてめぇ」
「なんだと聞かれれば流離いの侍でござる。夜闇に紛れて人を襲うお主たちこそ何者でござるか?」
「くそ、めんどくせぇ! なんだってんだよ!!」
あっちもこっちもただならぬ気配を放っている状況に、男たちは素早く目配せをすると、囲いを解いて路地裏へと消えていった。ここで襲っても被害が出る上、目的を達成できるかがわからない。
折角張った罠だったというのに、あっさりと退散できる辺り襲ってきた男たちもプロであった。
「いやぁ、しかし、やはり夜歩いてみるのも大事でござるな。ところでそこな御仁は、護衛か何かでござるか?」
褐色肌の男は答えない。
武器を携帯していないようにも見えるのに、近づきがたい妙な間合いを持っていることにリョーガは興味をひかれていた。
「あ、ありがとう、助かった!」
褐色肌の男は、すがる手を離して礼を言う女誑しを見向きもせず、そのまま路地の奥へと消えていく。
「返事もなしでござるか」
背中を見送っていると、足元の女誑しがそろりそろりとどこかへ行こうとしている。
馬鹿な男だなぁと思いながら、リョーガはそれに声をかけた。
「自殺志願でござるか?」
「な、なにを……」
「まだ近くでお主を殺す機会を窺っている者がいるというのに、戦う術もないお主が独り歩きとは、自殺志願でござるか? と説明すればわかるでござるか?」
「ひ、ひっ。た、助けてくれ!」
かさかさとリョーガの足元までやってきた女誑しに呆れた顔をしながらリョーガは言う。
「助けろと言われても、その様ではずっと護衛してなければすぐ殺されそうでござるからなぁ」
たまたま遭遇したから手を貸したけれど、事情も知らぬ相手を恒久的に守らねばならない理由もない。
「金! 金を払うから!!」
先ほど手にしたばかりの女物の硬貨入れを差し出す女誑し。
「とりあえず事情を聞かせるでござるよ」
あまり気は進まないながらも、とりあえずそれを受け取ったリョーガは状況の説明を求めるのだった。





