これでも本当に偉い人をしていたのだ
ハルカが断りを入れてから部屋を出ると、玄関ではエニシがウロウロと歩き回り、それをユーリとカーミラが見守っていた。
未来を見るという特殊な力で国の行く末を左右してきたはずのエニシだが、ハルカたちの前ではその神秘性は鳴りを潜めており、ただの手のかかる妹ポジションである。
ただハルカは、エニシのこうした人間らしいところが嫌いでなかった。偉い人でも、崇拝されるような人でも、一皮むけばこうして人間らしさが出てくると思うと、少しだけ立場のある人を見る目も変わってくる。
「ど、どうしたのだ?」
立ち止まったハルカに気づき、エニシがそわそわとしたまま問いかけてくる。
「リョーガさんは、あなたが【神龍国朧】の巫女ではないかと気にしているようでした。なんでも彼の父と、所属する〈御豪泊〉の【一身槍】と呼ばれる方が、巫女の『エニシ』さんの考えに影響を受けているそうで、家に絵姿とかがあるとか。直接話をしてみてはと思い迎えにきましたが、どうしますか?」
エニシは視線を床に彷徨わせ少しの間考える。
バレるような振る舞いをしてしまったことへの反省と、自分にとって都合のいい情報を信じていいかの迷いがあった。
「リョーガ殿がいつ大陸に来たかはわかるだろうか?」
「少なくとも、私がリョーガさんと出会ったのはあなたに会うよりも随分前です。その時点で随分と旅をしていたと聞いています」
「なるほど、わかった。直接話をする」
それだけ前から大陸にいたと言うことは、最近の【神龍国朧】の状況は知らないということだ。追手でないことがはっきりしているのであれば、飛び込むメリットの方が大きいとの判断だ。
二人で応接室へ戻ると、リョーガは立ち上がって窓の外を眺めていた。
応接室は一階の玄関脇にあるから、それほど眺望には優れていない。というか、何か巨大なものが目の前を遮っていて、外の景色など何一つ見えなかった。
「こうして顔が近づくと、ますますの迫力でござるなぁ」
ナギが知らない顔を見つけてこっそりと応接室を覗き込んでいたのだ。
というか、こっそり覗くつもりだったのだが、リョーガが実力者であったため、気づかれて目が合ってしまったのである。
「これほどの竜が街の中にいるのに、この街の住民はよく怖がらぬものでござる」
「何度も来てますから。こうして街の中に居場所を作ってもらったのは、つい最近のことです」
「本拠点は街ではなく森の中と聞いたでござる。この竜も普段はそちらに?」
「ええ、ナギ以外にも中型飛竜がたくさん暮らしていますよ」
「たくさんでござるか……。おっと、エイダ殿にきていただいたのに、別の話ばかりするのは失礼でござったな」
竜の話を聞いて顎に手を当てたリョーガであったが、すぐに表情を明るくしてエニシのことを歓迎した。
「エイダ殿の顔立ちにどこか懐かしいものを覚えて聞いてみたでござるよ。事情をしつこく探ろうというわけでないから安心してほしいでござる。同じ国の出身者として、弾む話もあるのではないかと思ったでござるが……」
腰を下ろしたリョーガ、同じくハルカの横にちょこんと座ったエニシの表情を見て言葉を止める。
先程までハルカたちが帰ってくるまでのつなぎとして、話をしていた時は、常にニコニコと可愛らしい笑顔を浮かべていたというのに、今は真剣そのものになっていて、軽口を叩けるような雰囲気がなくなっていた。
リョーガはエニシをリラックスさせるつもりであげていたテンションを通常のものに戻す。
「拙者の見立てによれば、エイダ殿は神龍島の巫女様でござろう? あの隔絶された島から大陸に来るのには、大層ご苦労されたこととお察しするでござる。して、本名を伺うことはできぬでござるか?」
「……まずは名を偽ったことを謝罪しよう、この通りだ」
椅子に座ったまま、膝を揃えて深く頭を下げたエニシを、リョーガはじっと見つめていた。
「リョーガ殿は【御豪泊】の関係者であるときいた。我の事情を聞けば、余計な重荷を背負うことになろう。はっきり言って聞かぬが良しと、我は思う」
そこまで話してエニシは顔を上げた。
少し前のエニシだったら、わざわざこんなことは話さなかったはずだ。
どう借りをつくらぬよう協力を取り付けるか考えたはずだ。計算高く、自己犠牲を伴いながら。
「その上で……名高き〈御豪泊〉の侍と見込んで願い事がある。先ほどの言葉と矛盾するようであるが、我に力を貸してもらうわけにはいかぬだろうか。名すら伝えず図々しい限りとは承知しておる。馬鹿なことをと一笑に付してもらっても構わん。ただ、もし否というのであれば、我のことは見なかったことにしてほしいのだ。いかがだろうか?」
どこまでも自分勝手な言い草ではあるが、ただ願い倒すことだけがエニシにできることであった。
空手形の約束でもなく、背景のない交渉でもなく、正直に頭を下げることだけが、今のエニシが差し出せる全てであった。
「……確かに虫のいい話でござるな」
苦笑するリョーガに、エニシはすぐさま言葉を返した。
「その通りだ。ではせめて、我がここで暮らしていることを、見なかったことにはしていただけぬか?」
期待していたわけではない。
それでも落胆は隠せなかった。
やはり何かを願うのならば対価が必要なのだ。
寄るべとしているハルカたちに迷惑をかけぬようにせねばと、エニシは再び頭を下げた。
「早合点されては困るでござる。拙者、父と尊敬すべき人より、困っているものを見捨てるような男になるなと育てられたでござるよ。流石に〈御豪泊〉丸ごと巻き込むわけにはいかぬが、拙者にできることなら手を貸すでござる。まずはその名を聞かせてもらえぬでござるか?」
「……本当に、……いいのか?」
「侍に二言はないでござる」
エニシは自らの腿に乗せた手をぎゅっと握る。
溢れそうになる涙を堪えていた背中を、ハルカがポンと叩いた。
エニシは鼻を啜り、背筋を伸ばし凛とした姿でリョーガをまっすぐに見つめる。
「我が名はエニシ。神龍島の未来読みの巫女、エニシ=コトホギ。……こうして落ち延びた身であるが、【神龍国朧】のあり方を憂う気持ちは未だ変わらぬ」
「…………まさかの、本物でござるか」
冷静であまり動揺することのないリョーガが、その堂々とした名乗りに気圧され、ポツリとつぶやいた。
リョーガ=トキ、二十七歳。
子供の頃からずっと見てきた、父と師のアイドルを目の前にして、すぐには言葉を続けることができなかった。





