嫌な理由
ハルカは元々何かを決めるのが苦手である。
物事を決断する時は、自分の見えていないものを切り捨てているような気になるからだ。
事実何かを選ぶということは、それ以外の選択肢を捨てるということでもあるし、他の選択をしていれば傷つかなかった人が傷つく可能性も出てくる。人数の大小や事の重さの問題を無視すれば、それは意思決定の際に必ず発生している。
だから、ずっと逃げてきたのであるが、結局は誰かに決定を任せてそれによって傷ついた人のフォローにまわってきただけである。
つまり責任を誰かに押し付けて生きてきたわけだ。
ただ、最近は自分で決めなければいけないことも随分と増えてきた。
まずは自分の大切なものを優先的に、できるだけ人の傷つかない選択を。
逆に言えば、自分の大切なもの以外が傷つくことを、心苦しいながら許容することができるようになってきていた。
今回の場合はどうだろうか。
どんな回答が最善だろうか。
レスポンスが遅れること自体がすでに最善ではないのだけれど、ハルカはゆったりとソファに体を預けて、返答内容を検討する。
シビアな交渉ごとの世界において、まだまだよちよち歩きのハルカには、考える時間が必要であった。
一方でリョーガは長く一人旅を続けてきたことに加えて、とある事情もあって交渉事はそれなりに得意だと自負している。
ハルカたちの方の事情を慮りますよ、邪魔しませんよ、というつもりで繰り出したジャブで、返答をじらされてしまい、少しばかり内心動揺していた。
この美しいダークエルフが穏やかな人柄であるのは知っていたが、その根っこまでをよく知っているわけではない。
返答を悩むハルカの表情は固まっており、天井に向けて逸らされた視線は深い思考を重ねているようにも見える。
藪をつついて蛇を出したかと、リョーガが言葉を続けようとした時、ようやくハルカの口が開いた。
「リョーガさんは食客でしたね」
「そうでござる」
「心に反さないことならば、何でも協力すると」
「そうでござるな」
「結構です。……なぜ彼女が【神龍国朧】の子だと?」
「そりゃあ……、顔つきと態度でござるな。あれは拙者の見た目や喋り方に、違和感がないようでござった。あのような長い黒髪の美少女は、拙者の国の巫女によく見られるでござるよ。町民ではなかなかあそこまで綺麗に髪を伸ばせぬでござるからなぁ」
かなり細かい部分まで見抜かれている。
逆に言えばリョーガが今の見解を隠し立てすることなく述べていることが分かった。
「リョーガさんは確か〈御豪泊〉の所属とおっしゃっていましたね。先にそちらの事情をきかせていただけますか? 私は【神龍国朧】の事情に詳しくないので」
「ふむ、やはり訳アリでござるな。〈御豪泊〉は【神龍国朧】の南西に位置する小さな島を治める武人集団の総称でござる。他でいう大名にあたる人物の名をライゾウ=ホオズキ、世にいう【一身槍】と呼ばれる侍でござる。拙者の父、オウガ=トキはその参謀にあたるでござるよ」
その辺の武者修行者と思っていたリョーガも、思ったよりも重要なポジションにいる存在だったようだ。ここまで腹を割って話すのは、リョーガがハルカの信用を得ようとしているからである。
「だからと言ってこの旅に修行以上の意味はござらんので、そこは誤解なきよう。腕を試し見聞を広めるべくこうして大陸を行脚していたでござる。十と五年ほど前、ライゾウ殿と父は、【神龍国朧】の現状を憂う巫女の御心に勝手に心打たれ一旗揚げたのだ。小さな島から数年かけて大名の勢力を追い出し、武人を招き民と手を取り合い暮らす島を作った。それが〈御豪泊〉でござる」
そんな理想を掲げた勢力であるはずなのに、肝心のエニシと縁がないことをハルカは不思議に思う。本当ならばすぐさま使節を出してもおかしくないようなものだ。
「では、その巫女と〈御豪泊〉は仲がいいんですか?」
「いや、連絡は取っておらんでござる」
「なぜ?」
「理由はいくつかあるでござる。周囲を好戦的な大大名に囲まれており、連絡を出すことを邪魔されておること。〈御豪泊〉と巫女が手を組んだと知られれば、巫女の方にも圧力がかかるかもしれないこと。そしてそれを守るだけの戦力がないこと」
もっともな理由であった。
エニシが聞けば、ちゃんと味方がおったのかと泣いて喜びそうなものだ。
あとはこれが噓か本当かを……、とハルカが考えているところに第三の理由が繰り出された。
「三つ目に、父とライゾウ殿が、エニシ殿のことが大好きすぎて、会うのが恥ずかしいとほざいていることでござる」
「…………はい?」
「エニシ殿のことが大好きすぎるでござる。絵姿見てキャーキャー言ってるでござる。拙者、尊敬する父やライゾウ殿がそんな風に騒いでいるのを見た時は、腹を切って死のうかと思ったでござる」
「それは……、なんというか、大変ですね……」
「大変なんでござる。ここまで身内の恥を晒したのでござるから、拙者のことを信じていただけたでござるか? あ、最後の理由は世間に知れ渡ったら拙者自害するでござるので、その辺りはご配慮してほしいでござる」
「十分に気を付けます……、あの、そのエイダさん本人を連れてきてもいいですか?」
「もちろんでござるよ」
真面目に話していたのに、最後の最後で変な気分になってしまった。
エニシは自分で大人気だと言っていたけれど、どうやらそれが本当のことであったことが証明されてしまった。
中年男性のアイドルエニシちゃんは実在したらしい。





