トットのお家
言われてみれば金庫部屋自体は作ってもらった記憶がある。空っぽの部屋は確認したのだが、そこにお金が入っているところをハルカは見たことがなかった。
大きな額が動く時は、その場では証書のようなものでもやり取りされるけれど、結局最終的にはお金のやり取りが必要になってくる。
貨幣はどうしても嵩張るので、紙幣がないというのは少々不便だなとハルカは思う。
しかしまぁ、特に【独立商業都市国家プレイヌ】のような形式の国だと、貨幣自体にある程度価値がないと保証も何もあったものじゃないから、気軽に紙幣を流通させるわけにはいかない。
本拠点へ戻った時に、改めて金庫部屋を確認するかどうか。
そんなことを悩んでいるうちに、一行はトットの暮らす家へと辿り着いていた。
トットが扉に寄りかかりながら鍵を開けると、中から声が聞こえてくる。
「帰りが遅くなるなら連絡ぐらい……!」
がちゃりと扉が開いたところで、少々気の強そうな女性が玄関前に姿を現した。
「すみません、急に誘ってしまって……」
「え、いえ! 大丈夫です!」
ぴしっと体を緊張させた女性は「ただいまー」というトットを適当にあしらって家の中へ通し、ハルカたちに向き合った。
「いつもトットをありがとうございます」
唐突に礼を言われてハルカが戸惑っていると、女性は苦笑してソファに足をはみ出させて倒れ込んだトットを振り返る。
「いつもトットから話を聞いています。あなたの話ばかりするので、つい知り合いのような気持ちでいました。トットがバカで自信過剰な荒くれ者じゃなくなったのは、あなたのおかげです。だから、ありがとうございます」
「いえ、その……。こちらこそ世話になっているというか……」
「畏まらないでください。本当は歓迎してお話ししたいんですけど、今日は夜がもう遅いので」
「あ、いえいえとんでもないです。ええと、ご結婚されるのですよね? おめでとうございます。いつも仲良くしてもらっていますので、必ずお祝いさせてください。お話はその時にでもお聞かせいただければ嬉しいです」
女性は腰の低いハルカの話を黙って聞いてから、何が面白いのかクスクスと笑ってから答える。
「いろんな噂を聞きますけど、トットの言う通りで、偉くなっても前とあまり変わらないんですね」
「はい? ええと、どこかでお会いしてるでしょうか。すみません……、その」
「まだこの街で暮らしてた頃、一度店に来てもらったことがあります。隅っこで静かに食事をして、そーっと帰っていったのを覚えてます。あの人がラルフ様のお相手で、私の敵かー、美人で困ったなぁって思ってました。あ、今ではそんな関係じゃないってわかってますけどね」
「……紛らわしくてすみません。あの頃は本当に右も左もわからず、ただ彼に世話をかけていまして」
「勝手に勘違いしてただけですから」
こんな話をトットが聞いたらまた悲しみそうだ、とハルカがチラリと眠っているトットの方を見る。
「あの、今でもラルフさんのことが?」
小声で尋ねると、女性は頭を振った。
「あれはもう、遠くから見るだけでいいかもしれません。トットもうるさいので」
「あ、そうですか」
「……トットったら、ハルカさんの話を私がした時、どんな反応をしたと思いますか?」
「ええと、あなたのことが前から好きだったので悲しんだのではないでしょうか」
あるいは怒ってラルフに喧嘩を売りに行った、なんて考えも脳裏によぎったがそちらは口にしない。
「『姐さんはそんな人じゃねぇ!』って、私に怒鳴ったんです。その時は私もわかってたし、昔の話しただけなのに、バカみたいですよね」
知らないところで仲良しの二人の喧嘩の原因になっているのだから、ハルカからすれば笑い事じゃない。
「『じゃああんたは私のとこなんか来ないで、ハルカさんにくっついてればいいでしょ!』って、私が言い返したら『俺が好きなのはお前だって言ってんだろ!』って、初めて言われたんです。色々あったんですけど、そのおかげで結婚まで漕ぎ着けたので、それもいつかお礼が言いたかったんです」
「あ、なんだかそれは、良かったです。そうですか、そういうこともあるんですねぇ……」
男女関係って難しいなぁと感心すると、女性はまたくすくすと笑った。想像していたよりもさらに気の抜けた雰囲気を持つハルカが面白かったようだ。
「お祝い楽しみにしてます」
「はい、それはもうしっかりとやらせていただきます。長々とお邪魔してすみません、今晩はこれで。おやすみなさい」
「はい、おやすみなさい」
ハルカたちが背を向けてから扉がパタリと閉まる。少しだけ無言で歩き、それからコリンがポツリと言った。
「思ったより仲良しだったねー」
「そうですね。トットもいい奥さんが見つかって何よりです」
「ハルカは……、ま、いっか」
コリンはハルカも好きな人、と言いかけてやめる。いくら叩いても響かないし、本人が本気でどうでもいいと思っている節があるので、最近ではその話題から手を引くことにしたのだ。
「本当におめでたいですねぇ」
中身がおじさんであるうえに、特級冒険者と認識されてしまった今、ぽやぽやとしたこの美女に、春が訪れる日はまずこなそうである。





