連行
ユーリはハルカの教育方針に従って育てられたから、人に優しくしようという気持ちを持っている。
おかげで、前の世界で十数年生き、過酷な環境に生まれたにもかかわらず、倫理観としては殆んどまっさらであったユーリは、とてもとても良い子に育った。
ただしユーリは、人の根元にある悪意をよく知っている。
人を一皮をむいたときに出てくるものが、優しかったり、きらめいていたりするばかりではないと知っている。どぶ川のような、目を背けてもなお顔をしかめたくなるような汚物が隠れていることだってある。
ユーリはそんな隠れた悪は、強くなれば強くなるほど、目にする機会は少なくなるものだと思っている。
毒気を抜かれる、という言葉がある。
ハルカほどの規格外になると、人はそんな状態になってしまうのではないだろうかと、ユーリは一人考えることがあった。
一皮どころか、己の根源的な、幼い子供のようなきらめきまで剥けきってしまう。
だからハルカは滅多に、酷い悪に遭遇したりしない。
ハルカが出会うよほどの悪は、こびりついたものが本質と一体化してしまっているか、生まれ持っての悪であるのかもしれない。
一方でレジーナの行動は、あれだけの暴力をもってしても、理性や常識の範疇を出ていないのだろう。
忘我には至らない、防衛本能を働かせる。
目を覆いたくなるような光景であったが、ユーリはそれをしっかりと最後まで見つめていた。守られている自分が、邪魔をする気は一切なかった。
ユーリはハルカが思うほど小さな子供ではない。
守りたいと、健やかに成長してほしいと願ってくれる気持ちは、温かく、ずっとそれに甘えていたくなる。
しかしそれと同時に、早く冒険者として一人前まで成長して、皆の力になりたいと思う気持ちも失っていない。
ユーリは、レジーナの行動を、一つの正しい答えとして認識していた。
レジーナはいったん優男の口の中に先ほど自分が掴んだことで破けた服の切れ端を詰め込み、泣こうが叫ぼうが無視をして、おそらく利き手と思われる方の指を順番に、全て反対に折り曲げた。
綺麗にぽっきりと折ってやったので、元の形に戻して安静にしておけばひと月程度で治るはずである。取り返しがつく程度のけがで収めているのは、レジーナなりの気づかいだ。
「全員立て」
レジーナの静かな命令に、冒険者たちが素早く一斉に立ち上がる。
蹲っているのは優男だけだ。
「立てないのか」
そう言ったレジーナが無事な方の腕を掴まえた瞬間、優男は跳ねるようにして立ち上がった。口に詰められた布を自分でとろうともしない。
整った顔をしているのに、痛みに歪み、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになってしまってはそれも台無しであった。
「終わったかしら?」
ちゃんと見ていたユーリに対して、カーミラはへたりと情けない表情をして、日傘で視界を遮っていた。
元々カーミラは、暴力があまり好きでない。
最近は甘えてばかりいるからなおさらだ。
それでも邪魔をしないのは、レジーナの行動に理があるとわかっているからだろう。
「そのまま歩いていいよ。僕が手を引くから」
「あら、そう? じゃあお願いしようかしら」
前方の光景に対して、こちらの光景が平和すぎる。
小さな手を握って、カーミラは優しく微笑んでみせた。
ふんっ、と鼻息を漏らしたレジーナは、直立不動の六人に再び指令を発する。
「そのまま人目につかない場所を歩いて、東門に新しくできた屋敷まで行け。逃げたら殺す」
同じトーンで宣言された殺す、は脅しではない。
必ず実行するという意思を込められた、気負いのない言葉だった。
もはやだれもそれを疑うことはしない。
冒険者の諍いは推奨されるものではないが、大人数で武器を持って後をつけていたとされれば、人が数人くらい死んだとしても、ギルドからは注意くらいですまされる。まして目立たないところでやって、冒険者の評判が落ちるわけでなければなおさらだ。
今のレジーナは一人で生きているわけではない。
だからこそ、自分が恐ろしい人物であると、赤の他人にまで示す必要がなくなった。つまり、生かした奴に近付かないほうがいい奴だと宣伝させる必要もない。
それをレジーナは本能的に理解している。
殺すとなればひっそりと命を奪うことは極めて容易だ。
緊張にやや呼吸を荒くしながらも、一行は素直に裏路地を練り歩き、東門へと向かった。
あとは大通りに出て、少し歩けば新築の街拠点というところまできて、レジーナは再び指示を出す。
「いつまでも泣いてんじゃねぇよ。普通にしろ」
息を呑み、口の中に詰め込まれた布をそーっと外した優男は、無事な方の手の袖で顔をぬぐって、卑屈な表情でレジーナの顔色を窺う。
「見てんじゃねぇよ、殺すぞ」
「はい!!」
「うるせぇ」
「はいっ」
そうして一見平和そうに見えるひきつった表情の六人が、不自然に並んでレジーナたちを先導する。ちょうど拠点へたどり着いたとき、玄関からはオウティが出てくるところであった。
「長居しちまったな、頼んだぜ」
「いえ、わざわざ足を運んでくださりありがとうございました。あ、おかえりなさい、早かったですね……?」
オウティが渋い表情でため息を吐く。
「悪いな、ハルカさんよ。急いで挨拶にきたつもりだったが、もう少しばかり早く来るべきだったぜ」
「ええと、はい、あー……、レジーナ、その人たちは……?」
「話がある」
三倍ほどに腫れあがった指を見て、ハルカは状況を微妙に察した。
あれは折れている。訓練でぽきぽき骨を折る仲間たちがいるので、ハルカはなんとなくその症状を知っていた。なんならこの大陸でも上から数えたほうが早いくらいには、骨折を目視しているはずだ。
嫌な実績である。
扉を開け放ち、押さえ、少しずれて困った顔をしたままとりあえず声をかける。
「中へどうぞ、治療をしますから。あと、ええと、オウティさんもすみませんがもう一度」
「しゃあねぇな……」
「すみません、お騒がせして」
対外的には謝罪をするが、ハルカはいきなりレジーナに文句を言ったりはしなかった。
何か事情があるのだろうと信じているからだ。
ただやっぱりついていけばよかったなぁと、自分の判断を少しばかり反省していた。





