・第80話:「セリスの提案」
・第80話:「セリスの提案」
「ねぇ、提案なんだけど。
……そろそろ、私たちの野営地に戻らない? 」
エミリアが行ってくれたことへの安心と、どうにもぬぐえない罪悪感を表情に浮かべたエリックに、セリスがいたたまれないといった様子で言った。
「これ以上、あの子を騙してなんておけないよ。
いつ気づかれてもおかしくないし……、なんか、悪いし」
どうやらセリスも、エミリアにウソをつき続けている現状に耐えがたい様子だった。
セリスは魔王軍のその残党の1人で、聖母と人間のことを心の底から嫌悪している。
エリックのことを[大罪人]と呼び、憎しみの視線を向けることを躊躇わなかった。
一緒に旅をするようになってからも、あくまで[しかたなく]協力しているのだという態度を見せていた。
だが、この場所に来て、デュ―ク伯爵やエミリア、その他の使用人たちとわずかながらでも触れる機会を得て、その頑なな人間嫌いは和らいでいる。
デュ―ク伯爵は、聖母に従ってはいるが、その思想を盲信しているわけではなく、[なぜ戦わなければならないのか][非戦闘員まで殺戮する必要があるのか]と、疑う心を持っていた。
エリックの父は、内心では、魔物や亜人種たちを根絶やしにする必要などなく、和解し、共存か、あるいはそれぞれ対立しないように住み分けができるのではないかと、そう考えているのだ。
そんなデュ―ク伯爵の娘、そして使用人たちだから、セリスのことを見て驚きはするものの、差別するようなことはせず、デュ―ク伯爵と同じようにセリスという1つの存在として、尊重する態度を見せていた。
人間であるというだけで、敵。
そう考えていたセリスだったが、彼女が今まで思い描いて来たイメージとはかけ離れた人間もいるのだと知って、その意識が揺らいできている様子だった。
だからこそ、エミリアに真実を教えないままでいる現状を[エミリアに申し訳ない]と言い、いたたまれなさそうにしているのだろう。
「それに、みんなのところに戻れば、アヌルスも、他の魔術師もいる。
その、クラリッサ、さん、だけだと時間がかかるだろうし、私たちの側の魔法も参考にした方が、進みが早いんじゃないかと思うのだけど」
「ほうほう、魔族や亜人種、いや、失礼、エルフの魔法ね。
それは、実に興味深いね! 」
セリスの言葉に、クラリッサは興味深そうに目を輝かせる。
ちなみに、彼女が亜人種という言葉を言い直したのは、それは人間から見た呼称であって、セリスのようなエルフならエルフ、ドワーフならドワーフと、それぞれの種族にはきちんとした名前があり、人間からの一方的な呼称で呼ぶことはセリスたちにとって不愉快と思われるかもしれないからだ。
「ああ、でも、エリックの家、快適だしな~。
快適な部屋はあるし、お掃除もお洗濯もみんな使用人の人がやってくれるし、おまけに仕事も丁寧。
ご飯だって、あたしが自分で作らなくっても、美味しいものが勝手に出て来るし」
魔物や亜人種たちの魔法と聞いて興味を持ったクラリッサだったが、彼女は悩ましそうな顔になって、周囲を見回した。
「実際、セリスさんも居心地、いいでしょ? 」
「それは、……そうだけど」
クラリッサに聞かれると、セリスは少し迷ってから、複雑そうな顔でそれを肯定した。
「でも……、少し、居心地が良すぎるのよ」
どうやらそれも、セリスが仲間たちの待つ野営地に戻りたいと言い出した理由であるようだった。
エリックが生まれ育ったデュ―ク伯爵の城館は、エリックにはもちろん、クラリッサやセリスにも居心地が良い場所であるらしかった。
使用人たちはみんな親切にしてくれるし、デュ―ク伯爵の命令で兵士たちが周囲を守ってくれているから、夜も安心して眠ることができる。
そんな環境にいると、[このままここにいたい]と、どうしても思ってしまう。
だが、エリックも、セリスも、それぞれやらなければならないことがある。
この快適で居心地のよい場所に、いつまでもとどまっていることはできないのだ。
「ん~、なるほど。
そういうことなら、動いた方がいいかもね」
クラリッサは、そんなセリスの気持ちを察してくれたらしい。
彼女はいつものように明るい笑顔を見せると、うん、とうなずいていた。
この場には3人の人間がいるが、その内の2人が同じ意見になった。
多数決でもあるし、エリックとしても、故郷に名残惜しくはあったが、セリスの言っていること、心配していることは、よくわかる。
もう少し、もう少し、と、デュ―ク伯爵たちに甘えそうになる。
自分たちにはそんなことをしている余裕はないのだと、頭ではわかっていても、ずるずると先延ばしにしてしまいそうになる。
だが、それでは、エリックの身体は完全に、魔王・サウラのものとなってしまう。
また、追い詰められているセリスの仲間たちも、どうなるかわからない。
彼らは巧妙に、慎重に野営地の場所を隠してはいるが、魔王軍が猛威を振るった時のような力はなく、もし聖母たちに見つかって攻撃を受けたらひとたまりもないのだ。
エリックが魔王軍の残党の野営地に戻ろうという決心を口にしようとした時、にわかに城館が騒がしくなった。
「なんだろうね、急に? 」
「さぁ。オレにも、わからない。父さんからは、なにも聞かされていないんだが」
首をかしげたクラリッサと、無言のまま感覚を研ぎ澄ませるセリスから視線を向けられたエリックだったが、けげんそうに自身も首をかしげる他はない。
そうしていると、突然、エリックの部屋の扉が、なんの予告もなく開かれた。
エリックが驚いて振り向きながら剣を手に取って柄に手をかけ、セリスが姿勢を低くして短剣の柄に手をかけ、その2人の様子を見たクラリッサが慌てて魔法の杖をかまえたが、3人はすぐに拍子抜けしたような顔をする。
エリックの部屋の扉を開いたのは、デュ―ク伯爵だったからだ。