・第76話:「クラリッサ:1」
・第76話:「クラリッサ:1」
女性とはいえ、人を1人背負って運び出すことは、かなり大変なことだった。
だが、セリスの誘導のおかげで、エリックはどうにか無事に、クラリッサを運び出すことができた。
クラリッサがいつ目覚めてもいいようにさるぐつわをかませ、手足を縄で縛り、馬車の隠れ場所に押し込んで、エリックとセリスもそこに潜り込むと、すべてを心得ている馬車の御者がデューク伯爵に連絡をしに行った。
今頃は学長と語り合っているはずのデューク伯爵に、[忘れていた予定]があったことを伝え、エリックたちが無事に馬車に戻ってきたことを知らせるためだった。
デユーク伯爵が戻ってくるまでの間、窮屈になった隠れ場所でエリックもセリスもじっと耳を澄ませていたが、どうやら大きな騒ぎは起こっていない様子だった。
おそらく、クラリッサの研究室の様子は誰かが確認しに行っていて、その部屋からクラリッサの姿が消えたこと、そしてそこに争ったような形跡があることはすでに知られているはずだったが、クラリッサが連れ去られたということに気づくにはもうしばらく時間がかかるだろう。
やがてデューク伯爵が魔法学院の学長と親しげな様子で、肩を並べて馬車に戻って来る。
そして2人は別れの挨拶をかわすと、デューク伯爵は御者に命じて馬車を出発させた。
どうやら、騒ぎになる前に魔法学院から脱出できそうだった。
馬車が走り出したことで、エリックは少しだけほっとする。
しかし、まだ油断はできなかった。
魔法学院の外では、聖母の命令を受けてエリックを捜索している教会騎士たちが待ちかまえているはずだからだ。
「おや、デューク伯爵。
もう、お帰りになられるのですか? 」
思った通り、馬車は魔法学院の敷地を出てすぐに、教会騎士たちによって停車させられた。
「ええ。
もっと学長とお話をしたかったのですが、今日中にこなさなければならない仕事を思い出しましてな。
残念ですが、急いで館に帰らなければならないのです」
無理やり馬車を止められ、教会騎士たちによって勝手に馬車を調べられているにも関わらず、デューク伯爵はにこやかに教会騎士たちに受け答えをしている。
疑われる前に、さっさと通過してしまおうというつもりであるらしい。
その時、背後で人々の騒ぐような声がした。
どうやら、クラリッサが連れ去られたのではないかという可能性に一部の人々が気づき始めているようだった。
「どうやら、魔法学院の方では、なにやら騒がしい様子ですが。
我らは、校内に立ち入ることを許されておりませぬ。
デューク伯爵。なにか、心当たりはござらぬか? 」
「はて?
私も、今出て来たばかりですが、なにも存じ上げません。
私は、学長と楽しくおしゃべりをさせていただいただけで、学長の部屋以外は訪れておりませんので」
教会騎士の探るような問いかけに、デューク伯爵はとぼけたような声を出す。
「なるほど。
デユーク伯爵、ご協力、感謝いたす」
少し演技がキツ過ぎるような気もしたが、教会騎士はそれで納得して引き下がった。
どうやら、銘酒をプレゼントしたことが、効果を発揮しているようだった。
「お勤め、ご苦労様でございます」
デユーク伯爵はそんな[チョロい]教会騎士たちに、笑いをこらえながらにこやかにそう言うと、馬車を出発させた。
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「なるほど。
つまり、あたしはとっ捕まってるってわけだね? 」
数時間後、ようやく目を覚ましたクラリッサは、申し訳なさそうな顔をしているエリックと、冷ややかな視線を向けてきているセリスに向かって、自分の置かれた状況を納得したようにうなずいてみせた。
あれから、馬車は順調に走り続け、デューク伯爵の城館の手前で教会騎士たちから受けた検問も無事に通り抜け、エリックたちを城館へと送り届けていた。
その間、ずっと気絶したままで意識を取り戻さなかったクラリッサは、今、エリックの部屋のソファに座らされている。
拘束などはもう、していない。
馬車の中では急に目を覚まして暴れられたら困るので拘束していたが、エリックの部屋まで運び込んだ後は、拘束を解いて、ソファに寝かせていただけだ。
なぜなら、クラリッサはここから、脱出することができないからだ。
彼女の魔法の杖は取り上げて隠してあるし、単純な格闘戦であれば、エリックとセリスの2人がかりに、クラリッサが1人きりで対抗できるはずがない。
もし逃げ出そうとすれば、即座に取り押さえられてしまうだろうし、相手の拠点に連れて来られている以上、大声を出しても無駄だと、クラリッサはそう理解したようだった。
目を覚まして、そこが自分の居た研究室ではないことに気づき、次いで、なにがあったのかを思い起こし、現在の状況を把握したクラリッサは、自身の黒髪を手でかきあげながら、深々と溜息をついた。
「それで?
あんたたち、なんで、あたしをさらったのさ?
それと、あんた、エリックに見えるけど、誰なのさ?
なんでエルフも一緒にいるわけ? 」
自分が捕らわれている。
その事実をわかった上で、クラリッサはずけずけと、遠慮なくたて続けに質問してくる。
もう、どうせ捕まっているんだから、と割り切ってしまっているようだった。
そんなクラリッサのことを、エリックは、まっすぐ、真剣に見つめる。
だが、緊張して、すぐには声を出せずに、ゴクリ、と生唾を飲み込んだ。
少々手荒な方法にはなってしまったが、エリックはクラリッサと再会することができた。
そしてこれから、協力してもらえるように説得しなければならない。
だが、クラリッサはまだ、聖母たちが行った裏切りを知らない。
それを、エリックがどう説明しても、クラリッサにとっては信じがたいことに違いなく、すんなり協力してもらえるとは限らない。
クラリッサに協力してもらうことができなければ、エリックと魔王・サウラを分離するという願いは、大きく遠のくことになってしまう。
「クラリッサ。……聞いて欲しいことがある」
エリックは、祈るような気持で話し始めた。