・第65話:「父親:2」
・第65話:「父親:2」
エリックは数回、深呼吸をして、気持ちを整える。
デューク伯爵は、ベッドの脇に持ち込んだ机に向かい、なにかの書類を真剣に見つめ、時折ペンを動かしている様子だった。
魔王軍との戦争が公式には終結して平和が取り戻されたとはいえ、デューク伯爵には戦後処理など、領主としてこなさなければならないことが多いのだろう。
エリックは、その姿に懐かしさを覚えた。
昔からデューク伯爵は誠実な統治者であり、日々の職務に打ち込んでいた。
子供心に見上げた父親の背中を、エリックは思い起こしたのだ。
(きっと、大丈夫。大丈夫だ)
エリックはそう言い聞かせると、セリスを振り向いて部屋に踏み込むことを視線だけで伝える。
そしてセリスがうなずくのを確認すると、エリックはそっと、窓を開いた。
鍵は、かかっていなかった。
部屋の空気を換気するためか、少し開けられていたようだ。
1人分が通れる隙間を作り、エリックが窓枠をくぐって部屋の中へと入ると、机に向かっていたデューク伯爵がそれに気づいて顔をあげた。
そして、その双眸が驚きに見開かれる。
デユーク伯爵は自身が腰かけていたイスを蹴飛ばして倒しながら立ち上がり、数歩、ふらふらとした足取りで、エリックの方へと近づいた。
「ただいま戻りました。……父上」
驚き、呆然自失となっているデューク伯爵に向かって、エリックは外套のフードを警戒されないようにゆっくりと外しながら、微笑みかける。
「エリック……? 本当に、お前なのか、エリック! 」
デユーク伯爵は、まだ、目の前で起こっていることが信じられないという様子でいる。
「その……、聖母様から、お前は魔王城で死んだ、と、そう聞かされていて……」
だが、そこまで言って、デューク伯爵ははっとしたような顔になり、慌てて近くの壁に飾られていた剣を手に取った。
そしてデューク伯爵は、その剣の切っ先をエリックの方へと向けた。
「そうか! お前が、教会騎士団が言っていた、エリックの姿に化けている魔物か! 」
どうやらデューク伯爵にも、聖母たちによる情報操作がおよんでいるようだった。
儀仗用の剣だが、デューク伯爵がかまえている剣には本物の刃がついているということを、エリックは知っている。
子供のころ、不用意にさわろうとして怒られたことがあるからだ。
だが、エリックは少しも恐ろしいとは感じなかった。
魔物がエリックの姿に化けているという話を聞かされ、そのことを信じているデューク伯爵だったが、目の前にあらわれたエリックの姿があまりにも本人そのものであることに動揺し、疑念を生じて迷っているのが、はっきりとわかるからだ。
「父上。……まずは、オレの話を聞いてください」
エリックはそう言うと、1歩前に進み出て、デューク伯爵に向かってひざまずいてみせる。
それは、自分には戦う意思がないということをはっきりと示すための行為だった。
「オレは、まぎれもなく、本物のエリック、あなたの息子です。
その証拠を、今からお聞かせいたします」
そして、剣をかまえたままのデューク伯爵にそう前置きをすると、エリックは、エリックしか知り得ないようなことを話し始める。
家族の名前や、仕えている使用人たちの名前から、デユーク伯爵の愛馬たちの名前や、その毛並みの色まで。
エリックは、エリックしか知り得ないことを、はっきりと、途切れることなく言葉にしていった。
「もういい。……もういい、十分だ」
やがてデューク伯爵はそう言ってエリックの言葉を止めると、剣をおろし、双眸から涙をこぼしていた。
「本当に、エリック。……お前なのだな。
帰ってきてくれたのだな、息子よ!
しかし、いったい、どうなっておるのだ? 」
エリックが本物であることを理解したデューク伯爵だったが、状況がのみ込めずに動揺している様子だった。
「すべて。……すべて、お話いたします」
そんなデューク伯爵のことを真っ直ぐに見つめながら、エリックは、これまでにあったことをすべて打ち明けた。
エリックは、聖母たちによって騙され、利用されていたということ。
そして、魔王・サウラを倒した瞬間、もう用済みとなったエリックはそこで裏切りを実行されたということ。
しかし、エリックは投げ捨てられた谷底で、黒魔術士によって蘇らされたということ。
エリックの中に、魔王・サウラが存在しているということも、隠さずに打ち明けた。
あまりにも荒唐無稽過ぎて信じてもらえないかもしれないと不安には思ったが、父親に協力してもらわなければならない以上、なにかを隠し立てすることはできなかった。
「オレの身体は、今も、黒魔術によって魔王・サウラのものへと作り変えられています」
デユーク伯爵は動揺し、混乱し、頭を抱えるようにしていたが、エリックは躊躇わずに話続けた。
デユーク伯爵からすれば想像もしたことがなかったようなことばかりで、簡単には受け入れることができないということは承知している。
だが、エリックの状況を理解してもらい、協力してもらうためには、すべてを理解してもらわなければならなかった。
「ですから、オレには、クラリッサの力が必要です。
……彼女の、魔法の力があれば、黒魔術について調べ、オレと、魔王とを分離する方法が見つけられるかもしれません。
そのために、父上のお力が必要なのです。
クラリッサのいる魔法学院は、すでに教会騎士団によって厳重に警備されています。
どうか、父上のお力で、オレに、クラリッサと会って話をする機会を作ってください」
そしてエリックは自身の願いを伝え、深々と頭を下げた。
父親とはいえ、エリックに協力する。
それは、聖母たちを、人類社会全体を敵にしてくれと言っていることに等しいことだった。
だからエリックは、頭を下げて、協力を願う。
家族とはいえ、それは、あまりにも危険な行為だったからだ。
断られるのなら、それでもいい。
少なくとも、エリックの家族は無事でいられるだろう。
クラリッサの協力を得て、自分にかけられている黒魔術を解きたい。
それはまぎれもなくエリックの望んでいることだったが、家族の無事を願う心もまた、エリックの本心だった。
「顔をあげなさい、エリック」
長い沈黙ののちに、デューク伯爵はそう、優しい声で言った。
エリックがおそるおそる顔をあげると、デューク伯爵は曇りのない笑みを浮かべる。
「なにを、水臭い。……お前は、我が息子。
もう2度と、[死なせ]などせんよ! 」
そしてデューク伯爵はそう言って、エリックへ協力することを表明してくれた。