・第57話:「裏切り者の運命:2」
・第57話:「裏切り者の運命:2」
その瞬間、リーチに抱かれていた愛妾が、悲鳴をあげようとした。
だが、すぐさまセリスがその口を塞ぎ、愛妾から見えるように、その首筋に短剣を突きつける。
「大人しくして? 大丈夫、私たちの用があるのは、こっちのブサ男だから。……静かにしていれば、あなたを傷つけるつもりはないの」
暗に、騒いだら殺す、という脅しを受けて、愛妾はすっかり黙りこくり、恐怖に双眸を見開いたまま、うんうんと小さくうなずいてみせる。
「へっ、へへっ、へへへへっ! 」
リーチは、冷や汗を流しながら、肩を震わせて笑った。
そして、ゆっくりと、エリックを刺激しないように身をよじって背後を振り返り、その顔に親しげな笑みを浮かべる。
「これは、これは! 勇者サマじゃ、ありませんか!
いやぁ、ま、まさか、生きておいでだとは!
ご無事のご帰還、お、お祝いいたしますぞ!
せ、聖母様も、さぞや、お喜びになるでしょうなぁ! 」
その声は、震えている。
「白々しいことを言うな、リーチ!
それに、オレはもう、聖母たちとは会って来た! 」
この状況でもエリックのご機嫌取りをしようとするリーチに向かって、エリックはもう隠すことなく、憎しみの視線を向けていた。
「オレは、お前を決して許しはしない! 今すぐにでも、お前を八つ裂きにしてやる! 」
すると、リーチの顔から、スーッと、愛想笑いが消えて行った。
代わりに彼の顔に浮かんできたのは、冷酷な顔だった。
「ハンッ! エエトコ育ちの、ボンボンの小僧が。
オレ様を八つ裂きにしたいってんなら、なんでしないんだ?
それをしないってことは、オレに用があるってことなんだろう?
なら、さっさと聞けよ、まどろっこしい」
エリックは、思わず自身の奥歯を噛みしめていた。
リーチの言うとおり、今のエリックにはリーチを殺せない理由がある。
そして、リーチが浮かべている、冷酷な表情。
エリックから剣を突きつけられながらも、冷静に状況を把握し、エリックの事情を読み取った観察眼。
それが、リーチの隠して来た、狡猾な盗賊としての本性なのだ。
(コイツの、正体に気づけなかったせいで、オレは! )
エリックは悔しさと後悔を感じていたが、じっと、セリスに見つめられていることに気づき、どうにか自分のやるべきことを思い出していた。
「リーチ。お前に、聞きたいことがある。……言えば、助けてやる」
「ハッ! 生かす気なんざ、これっぽっちもないクセに。……オレ様に聞きたいことってなんだよ、小僧? 」
リーチはうざったそうな顔で、エリックに続きをうながす。
そのふてぶてしい態度に、エリックは今すぐにでもリーチの喉笛を切り裂きたい衝動に駆られたが、これにもどうにか耐えて、怒りに震えた声を出す。
「クラリッサのことだ。……彼女は、今、どこにいる? 」
「クラリッサだぁ? あの、魔術師のお嬢ちゃんのことかい? 」
すると、リーチは少し驚いてみせ、それから、ガハハ、と笑い出す。
「まさか! まさか!
勇者サマ、あの嬢ちゃんに惚れちまったんですかい!?
どうやって生き返ったかは知りませんが、生き返って最初にすることが、まさかまさか、女を探すことたぁね!
さすが、苦労知らずのボンボン小僧は、考えることが違うなぁ! 」
「ふざけるな! オマエと一緒にするなよ、リーチ! 」
エリックは、未だにリーチの下に組み敷かれている愛妾の姿を見て、リーチを睨みつけながら、激高して叫んだ。
「聞いて驚け!?
オレはな、あの谷底で、黒魔術をかけられて、この体の中に魔王・サウラの魂がいる状態なんだ!
オレの身体は、黒魔術のせいでサウラに少しずつ浸食されていく!
だから、オレと、サウラとを分離するために、クラリッサの力が必要なんだ! 」
そんなエリックのことを、セリスが冷ややかな視線で見つめていた。
「しゃべり過ぎだ」、そう言いたそうな視線だった。
そのセリスの冷ややかな視線のおかげで、エリックは少し冷静さを取り戻し、何度か深呼吸して気持ちを落ち着けようとする。
「うはっ! うはははははっ! わけわかんねーよ、勇者サマァ! 」
そんなエリックのことをしばらくの間、きょとんと見上げていたリーチだったが、やがて哄笑し始める。
「お前の中に、魔王の魂がいるだってエ!?
気でも狂っちまったんですか!?
なんにしたって、気分がいいや!
お前はその内、あの魔王に食われて死んじまうんだからなぁ! 」
「うるさい! 黙れ、リーチ! オレに聞かれたことだけに、黙って答えろ! 」
エリックのことを嗤っているリーチに、エリックは剣の切っ先をさらに近づける。
すると、リーチの首筋の皮膚が浅く切れて、血がじわりとにじみ出てきた。
「へっ、へへっ、そう、怒るなよ? 勇者サマ。
こんな風に剣を突きつけられてちゃ、おっかなくって、話したくてもできねぇよ」
その刃の感触に、リーチは嗤うことをやめ、また愛想笑いを浮かべながらそう言った。
「……剣をおろせば、話すのか? 」
「ああ。……いいぜ、そのくらい、教えてやるさ」
エリックが冷ややかな視線で見下しながら確認すると、リーチはぺろりと自身の唇を舌でなめ、小さくうなずいてみせる。
エリックは、少し迷ったが、リーチから剣を引いた。
完全におろしはしなかったが、エリックは自分が冷静ではないことを自覚しており、一度仕切り直すためにも剣を引いた方が良いと思ったのだ。
「かかったな!? この、ボンボン小僧が! 」
そして、そのわずかに生まれた瞬間に、リーチはエリックへと襲いかかった。