・第54話:「新たな旅立ち」
・第54話:「新たな旅立ち」
エリックは、新しい旅に出た。
それは、かつてエリックがそのすべてをかけた旅、世界を救済するための旅とは、まるで異なるものだ。
復讐のために。
エリックを騙し、利用し、使い捨てにした聖母たちの望む通りにしないよう、最後まで戦い抜くために。
エリックは、他の人々のためではなく、生まれて初めて、己の渇望によって旅立った。
その標的は、エリックのかつての旅の仲間であり、裏切り者でもある、元盗賊・リーチ。
リーチは、驚いたことに、エリックが助けられた魔王軍の残党たちの野営がある場所から、それほど離れてはいない距離にいた。
馬なら急げば半日、徒歩でも無理なく歩いて2日程度の距離に、リーチはいる。
そこで、豪遊して暮らしている。
街外れに大きな屋敷を買い、使用人を雇い、愛妾を囲って、毎日毎晩、大騒ぎして、面白おかしく笑っている。
元盗賊であるリーチは、そんな暮らしを送れるほどの財産など持っていなかった。
彼は、エリックへの裏切りに加担することで、褒美として聖母たちから大金を得たのに違いなかった。
リーチがエリックを谷底へと蹴り落した時の情景が、何度も蘇る。
あの、うれし涙を流しながら、エリックを嘲り笑いながら、エリックが示した慈悲の心を踏みにじったリーチの姿は、到底、忘れられるものではない。
1分1秒でも早く、リーチに[再会]を果たしたい。
エリックはその焦がれるような気持に必死に耐えながら、新たな旅を1歩1歩、確実に進んでいった。
絶対に、失敗などしたくはないからだった。
エリックのために、ケヴィンは必要な旅に持つだけではなく、馬までも用意してくれた。
最上級の名馬ではなかったが、乗用馬として十分に頑健で健康で、よく訓練された素直な馬だ。
だが、リーチがいるという街までは、数日かかる旅となった。
聖母たちが、エリックが生きていると知っているかどうかはわからなかったが、魔王軍の残党たちと行動を共にしているエリックは確実に人間たちからは敵として見なされる。
だから、整備された街道を避け、人里離れた山林の中の獣道をゆっくりと進むしかない。
エリックの旅には、数名の残党軍の戦士たちが同行した。
すべて、情報収集に長けた偵察兵たちで、その中にはセリスも含まれている。
彼らは人目を避けて動くことに慣れており、山林の中の獣道についてもよく知っていた。
もし彼らがいなければ、エリックは数時間と経たずに迷ってしまっていただろう。
残党軍の偵察兵たちはみな、優秀だったが、エリックと共に旅をする間の雰囲気は険悪なものだった。
ケヴィンの根回しによって残党軍の人々もエリックと協力関係を結ぶことを受け入れている様子だったが、それでも彼らにとっての[大罪人]であるエリックと行動を共にすることは、複雑な気分なのだろう。
もっとも、エリックからすれば[お互い様]だった。
エリック自身、魔物や亜人種たちの非戦闘員まで殺戮する人類軍のやり方には、嫌悪感や罪悪感はあった。
残党軍の野営地で、彼らの[普通の]暮らしぶりを見た後では、なおさらだ。
しかし、エリックにとって、人類と魔王軍との戦争は、魔王軍が始めたものだった。
エリックなりの迷いや罪悪感はあれど、自分は正当防衛のために、人類を救うために戦ったのだという意識の方がはるかに強い。
お互いに、正しいのは自分で、間違っているのは相手だと思っている。
戦争をしている両方の陣営というのはそういうふうに考えているものだったが、エリックと残党軍の間で結ばれた協力関係はあくまで利害関係と目的が一致した結果であり、お互いに[敵]であるという認識には少しも変化は生まれていない。
エリックも、残党軍の戦士たちも、それぞれの目的のために表面的には協力をし続け、そして、リーチがいるという街の近くにまでたどり着いた。
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馬を森の中に隠し、徒歩で、必要なものだけを持って接近したエリックたちは、遠目に、リーチが住んでいるという屋敷を観察していた。
それは、昔はこの辺り一帯を治めていた貴族が建てた城館で、ぐるりと、あまり高くはないが十分城壁として機能する花崗岩でできた壁に取り囲まれた屋敷だった。
城壁には門が3か所あり、城壁で囲まれた敷地には、領主や使用人たちが住んでいた屋敷に、馬小屋、納屋などが建てられ、城壁の外側にはワインを醸造するためのブドウ畑が広がっている。
残党軍の調べによると、リーチは魔大陸での戦いから帰還した後、大金を引っ提げてこの街へと流れ着き、元々の主人が新しい館へ引っ越したことで売りに出されていたこの城館を一目で気に入り、即金で購入したということらしい。
リーチは屋敷で働いていた使用人たちをそのまま雇い入れ、街に出かけて好みの商売女を見つけて身請けをして愛妾とし、まるで王侯貴族のような豪華な暮らしを送っている。
リーチたちに気取られないように十分な距離を置いて観察すると、確かに、リーチは贅沢に暮らしている様子だった。
姿を見られないよう、夜間を選択してエリックたちは接近してきたのだが、望遠鏡を使って観察すると、リーチの城館では煌々(こうこう)とかがり火がたかれ、集まった人々が飲めや歌えの宴会をしている様子だった。
リーチの姿も、その中にある。
エリックはリーチの姿を見つけて、全身が沸騰したように沸き立つのを感じたが、すぅっと夜の冷たい空気を吸い込んで深呼吸をし、どうにか冷静さを保った。
「さて。……どうやって、あのバカ騒ぎしてるのを捕らえましょうか? 」
エリックから少し距離を置いてリーチの宴会の様子を望遠鏡で見ていたセリスが、試すような視線をエリックへと向けて来る。
彼女たちはここまでエリックを案内してきたし、そもそもリーチがここにいるという情報を持って来たのも彼女たち残党軍だったが、彼女たちはあくまでエリックに[協力する]という体でここにいる。
セリスは、エリックにどうやってリーチを捕らえるのかを決めさせることで、エリックを値踏みしようとしているようだった。
エリックは、セリスと同じような視線を他の偵察兵たちからも向けられているのを感じながら、冷静に城館を観察し続けた。
復讐を、果たす。
エリックの目的はそれだけであり、それだけは絶対に失敗したくない。
セリスたちからどんな目で見られようと、どう思われようと、エリックにとっては気にするようなことではなかった。
「城館の警備は、ずいぶん、手薄だ。
見たところ、警備の兵士はいるみたいだが、その兵士たちでさえ酒を飲んでいる。
出入口は限られているが、城壁の一部は低くなっているようだし、そこから簡単に進入できるはずだ。
そして、リーチがいい気分で部屋に戻ってきたところを、捕まえてやる」
「……フン」
その、エリックの冷静で落ち着いた口調に、セリスは小さく鼻を鳴らした。
だが、セリスも、その場にいた他の偵察兵たちにも、それでひとまず異論はない様子だった。