・第53話:「ターゲット」
・第53話:「ターゲット」
リーチ。
その名前を聞いた瞬間、エリックの背中をゾワリと逆撫でるような不快な感覚が走り、心の奥底で静かに燃えていた復讐のどす黒い炎が、激しく燃え上がった。
忘れるはずのない名前だった。
リーチ。
それは、かつての、エリックの旅の仲間。
エリックが、旅の道中で命を救ってやり、それに恩義を感じて、盗賊として犯して来た数々の罪を償うために力をつくしていた、戦友の1人。
しかし、それはすべて、うわべだけのことに過ぎなかった。
リーチは、命を助けてくれたエリックのために改心して働くと誓っていたが、実際には少しもエリックに感謝などしてなどいなかった。
リーチは、ヘルマン神父と一緒になって、エリックを裏切った。
聖女・リディアの聖剣に背後から貫かれ、瀕死となったエリックを引きずって行き、リーチはエリックを谷底へと蹴り落したのだ。
リーチは、エリックを蹴り落す時、泣いていた。
それは、ずっとずっと、内心では嫌悪し、憎み続けていたエリックのトドメを、自分自身の手で刺せるという、嬉し涙だった。
もし、あの地獄そのものの谷底で、黒魔術士によって魔王・サウラの新たな器となるべく黒魔術をかけられなかったら、エリックはそのまま消え去っていただろう。
エリックはかつて、リーチを助けた。
盗賊であるリーチは、魔王・サウラを倒すための旅を続けていたエリックたち一行からある時、盗みを働いた。
だが、その場でエリックたちに捕らえられ、裁判にかけられ、余罪も含めて処刑されることが決まった。
エリックは、それを救ってやった。
必死に命乞いをするリーチのことがあわれになり、「盗賊としての力量は確かで、きっと役に立つはずだから」と理由を作って、彼を旅の仲間に加えた。
リーチは、旅の間ずっと、エリックに[感謝]して見せていた。
エリックたちのために率先して行動し、盗賊としての技能を活用して旅を助け、また、いつもエリックに丁重に接していた。
その、すべてが演技だった。
最後の瞬間、リーチはそれまで隠し通して来た本性をむき出しにし、エリックを裏切って、谷底へと蹴り落した。
「ええ、覚えています。……忘れようとしても、忘れられないほどに」
エリックは一瞬だけ双眸を閉じ、感情をあふれさせないように自分を落ち着けてから、できるだけ短い言葉で答えた。
「その、リーチの居場所なら、つかむことができた。
……確か、エリック殿と共に旅をしていた仲間だっただろう?
もしかしたら、なにか、クラリッサ殿につながるのではないか、そう思って、エリック殿を呼んだのだ。
それに、聞いた限りでは、エリック殿も、リーチに会いたいのだろう? 」
そのケヴィンの言葉に、エリックは、酷薄で、獰猛な笑みを浮かべていた。
そして、穏やかな声で、だが、冷酷な復讐の刃を忍ばせた声で、うなずく。
「はい。おっしゃる通りです。
リーチには、とても。
……とても、会いたいと思っていました」
もちろん、[会う]というのは、旧交を暖めるためではない。
リーチに、エリックが命を救ったという恩を忘れ、エリックを裏切ったあの小汚い盗賊に、エリックが味あわされたのと同じか、それ以上の苦痛を与え、そして、裏切ったことを後悔させるためだ。
そしてエリックは、リーチがまた命乞いしてきても、今度は一切の情けもかけるつもりはない。
「リーチは、ここからそう離れてはいない人間の街で暮らしている」
ケヴィンはエリックの残忍な笑みを見つめながら、得られた情報を教えてくれる。
「どうしてわかったかと言えば、ずいぶん、派手に豪遊して暮らしているからだ。
なんでも、聖母からたんまりとご褒美とやらをいただいたらしい。
リーチは豪邸に住み、何人もの使用人を雇い、愛妾をかかえて、毎日毎晩、飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎだそうだ」
エリックの脳裏に、容易にその光景が映し出される。
リーチは、彼に裏切られ、絶望に染まったエリックの表情を思い浮かべながら酒をあおり、美女を抱いて、ガハハ、と高笑いしているのに違いなかった。
「少し、話を聞いてみようと思います」
エリックは、両手の拳をきつく握りしめながら、しかし、なるべく感情的にならないように、できるだけ冷静に考えるようにしながら、ケヴィンに申し出る。
「ぜひ、オレに、リーチに[会い]に行くご許可を下さい。
できれば、[話を聞く]のに[必要なモノ]も、お貸しいただけると幸いです。
リーチから、できるだけの情報を、クラリッサについてだけではなく、聖母たちについての情報を、仕入れてこようと思います。
少なくとも、奴は聖母の側の人間です。
オレよりもずっと、事情に詳しいはずです」
「いいだろう」
エリックの言葉に、ケヴィンはうなずいてみせる。
エリックの、聖母たちへの復讐に協力する。
それが、エリックとケヴィンたちが協力するのにあたって取り決めた、[契約]であるからだ。
「感謝します。ケヴィン殿」
エリックは、自身の身体が、復讐への焦がれるような渇望と、報復の時が来たのだという、甘美な喜びとの両方で満たされるのを感じながら、そう言って頭を下げていた。