・第50話:「野営地」
・第50話:「野営地」
ケヴィンの言っていた[根回し]が済み、今後の行動方針を話し合うためにエリックが呼ばれたのは、協力関係が成立してから2日後のことだった。
その間エリックはずっと、拘束こそされていないものの、ずっと地下牢獄にとどまることになった。
他にエリックを住ませることのできる場所がないということもあるが、一番大きな理由は、エリックが勇者であるということだ。
勇者・エリックは、聖母の名の下に人類軍の先頭に立ち、魔王軍と戦った。
敗れた魔王軍の残党が集まっているこの場所では、エリックはすなわち同胞の仇であり、勇者ではなく[大罪人]なのだ。
当然、エリックは恨まれている。
もし、のこのことエリックが出歩こうものなら、同胞の仇を討たんと、残党たちが襲いかかって来る可能性は高かった。
牢獄は、罪人を閉じ込めておくのと同時に、そういった、復讐心にかられた者たちからエリックを守るのにも、ちょうどよかったのだ。
エリックは、そのことに不満を持ったりはしなかった。
[復讐]の炎がいかに強く、根強く燃え盛るのかは、エリック自身がもっともよく知っていることだったからだ。
その間、エリックの世話をしてくれたのは、セリスだった。
彼女はずっとそのことが不満そうで、エリックのことをいつも冷ややかな視線や、憎しみの込められた視線で見ていたのだが、なんだかんだ、エリックに必要なことはすべてやってくれた。
それが命令だから、というのが主な理由だったのだろうが、セリスは元々、世話好きな性格でもあるようだった。
よく気がつき配慮ができる性格で、エリックの言葉足らずな部分をきちんと察して、必要なものを用意してくれた。
おかげで、ケヴィンたちから呼び出しを受けた時には、エリックはかつての自分らしい、精悍な容貌を取り戻していた。
武器を持つことが許されさえしたら、いつでも戦えるような感覚だった。
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地下牢獄から出たエリックは、その、魔王軍の残党たちが拠点としている場所が、深い谷の底にあるのだということに初めて気がついた。
谷、というだけで、エリックの頭の中には、あの地獄の光景がよみがえる。
だが、すぐにそこは、自分が目にしたあの地獄とは異なっているということがわかった。
まず、そこには、豊富な緑があった。
たくさんの木々や植物が生い茂り、地面は湿り気を帯びていて、近くの岩肌からは飲用できるほどに清潔な水が豊富に染み出し、谷底に大きな池を作っている。
そして、そこにいる者たちはみな、生きていた。
多種多様な種族が集まっている。
エルフやドワーフなど、有名で誰でも知っているような亜人種をはじめ、あまり名前の知られていない種類の亜人種たち。
魔物の姿もたくさんあり、オークやゴブリン、リザードマン、ミノタウロスなどの有名どころや、名前のわからない魔物たち。
エリックは、自分が人間の世界ではなく、魔物や亜人種たちの世界にいるのだということを実感した。
そして、その谷底には、生活があった。
魔物と亜人種たちはどこからか入手した材料で小屋やテントを張り、そこで寝泊まりしている。
煮炊きをするためのかまどがいくつも作られ、そこでは、エリックにとっては馴染みのない料理が煮込まれている。
人類軍の攻撃に備えて、武具を補修する者や新たに作る者、それ以外の生活に必要な道具を整えている者もいる。
そこには、老若男女、様々な魔物と亜人種たちがいた。
中でも印象的だったのは、魔物と亜人種たちの子供が、連れ立って遊びに興じている姿だったが、一番驚いたのは、その遊びが、人間の子供も遊んでいるようなものと少しも変わらないことだった。
平穏な光景。
その姿を見て、エリックは、少なくないショックを受けていた。
自分は、勇者。
人類の救世主。
そう信じて戦ったエリックは、数えきれない魔物や亜人種たちを葬り去って来た。
戦闘員、非戦闘員、関係なく。
老若男女、関係なく。
皆殺しにしてきた。
奴らは、敵だ。
聖母様の加護に服せず、逆らい、人類を滅ぼそうとする脅威。
エリックは迷うこともあったが、しかし、そういう意識が結局、剣を振るうことを止めさせなかった。
だが、今、目の前にある光景は、エリックの想像の中にはなかったものだった。
エリックは、人類にとっての脅威である魔物や亜人種たちが、自分たち人類と同じように、平穏に暮らしているのだという意識が、まったくなかった。
その、想像すらしたことのなかった光景を、見せつけられて。
エリックの内心では罪悪感が膨れ上がり、エリックは思わず、自身の胸を手で押さえていた。
そんなエリックの姿に気づき、魔王軍の残党たち、おそらくは各地から逃れてきた難民なども多く含んでいる魔物や亜人種たちは、皆、冷ややかな視線を向けて来る。
ケヴィンの根回しが済んでいるおかげで、残党たちが攻撃をしかけて来ることはなさそうだったが、その冷たい、憎しみの込められた視線はエリックの心に氷でできた杭のように突き刺さった。
エリックは、必死だった。
人類を救おうと、ありとあらゆる苦難に耐え、戦い続けた。
だが、エリックは、自身の剣の切っ先に[なに]があるのかを、少しも知らなかったのだと思い知らされる。
それから、エリックは、自嘲するように笑った。
(こんなんだから、聖母たちに利用されたんだ)
それは、もう、何度目になるかわからない、自嘲。
エリックは小さく声に出して自分自身を嗤うと、表情を引き締め、ケヴィンが待っている、残党軍の本営へと向かった。