・第45話:「セリスの看病」
・第45話:「最低の相棒:1」
うまくすれば、勇者と、魔王の力が両方、手に入る。
ケヴィンの言葉は、その場にいた、エリックを除いた者たちにとって、魅力的に響いた。
エリックが、ウソをついているかもしれないのに。
エリックの中に魔王・サウラの魂が存在しているなどと、普通に考えれば荒唐無稽な話でしかなかった。
だが、魔王軍の残党たちは、エリックを生かすことを決めた。
どんな小さな可能性にすらすがらなければならないほどに、彼らは追い詰められていたからだ。
魔王軍は、人類軍によって殲滅された。
ケヴィンたち魔王軍の残党は、聖母を頂点として人類によって支配されているサエウム・テラに取り残され、増援のあてもなく、物資も乏しい。
このまま耐え忍んでいるだけでは、どうにもならない。
その共通した危機感が、エリックを生かした。
エリックにとっては、余計なお世話、だった。
信じていたものすべてに裏切られ、捨てられたエリックは、無気力で、自暴自棄だった。
もし、エリックのこの精神状態に気づき、ケヴィンがエリックを拘束したままにしておかなければ、エリックは自ら命を断とうとしていたかもしれない。
自分を騙し、利用し、使い捨てにしたすべての存在に、仕返しをしてやりたいという気持ちが、ないわけではない。
だが、こんなに追い詰められて、孤立無援となってしまった状態では、いったいなにができるのか。
エリックには少なくとも1人、信頼できる親友であるバーナードがいたが、彼はエリックを逃がすために戦い、その後、どうなったのかもわからない。
だが、生きてはいないだろうと思う。
聖堂は聖都の中心地であり、聖母の影響力がもっとも強い場所だ。
そこから無事にバーナードが逃げ出せたとは思えないし、エリックと共に聖母たちの裏切りを知ってしまった以上、聖母たちがバーナードを生かしておくとも思えない。
エリックは、孤独だった。
自分が死ねば、魔王・サウラが復活する。
それは、人類の危機に直結する。
そんなことはできない。
エリックの中にわずかに残った[自分]がそう主張していたが、エリックの心を覆う絶望は深く、わずかな理性の声も、復讐を、とささやく声も、その絶望の深さに比べればあまりにも小さかった。
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「ああ、もう!! なんで、私が! 」
無気力にうなだれたまま、起きているのか、眠っているのかさえわからない様子で木の杭に縛りつけられて拘束されているエリックの目の前で、セリスはいらだたしそうに憤っていた。
その手には、たっぷりとシチューの入った底の深い木皿と、それを口に運ぶためのスプーンが握られている。
「いい加減に、少しはなにか食べろ! お前に死なれたら、兄さんに私が怒られるんだぞ! 」
セリスは再びそう怒鳴り声をあげつつ、うなだれているエリックの口に向かってシチューをすくったスプーンを突き出すが、やはり、エリックは口をつけようとしない。
それどころか、目の前にセリスがいることにさえ気づいていない様子で、うつむいたまま呆然自失としている。
目は、開いている。
だが、その表情には感情らしいものはまったくなく、瞳は虚ろで、息はしているが死んでいるように見える。
「ああ、もう! ……ほんとに、なんで、私がこんなことを……」
エリックに食べさせることを諦めたセリスは、エリックに代わって器に口をつけ、お行儀悪く立ったままスプーンでシチューを自分の口の中に流し込みながら一気に食べきった。
「ああ、美味しい。……くそっ、一番上等な材料で作ったってのに」
それからセリスは用意してあったテーブルに空になった器を乱暴に置くと、イスを引き寄せ、いらだたしそうに言いながら、背もたれを身体の前にして座った。
「お前が拾って来たんだから、最後まで責任をもって面倒見ろ、だって……、いくら兄さんの言うことだって、適材適所ってものがあるでしょうに」
セリスは、退屈そうに自身の形の良いあごをイスの背もたれに乗せ、ジト目でエリックのことを睨みつけながらそう愚痴る。
セリスは今、兄であり、この魔王軍の残党の集団を統率しているリーダー、ケヴィンから、エリックの世話係を命じられていた。
その人選の理由は、エリックを発見して拾って来たのがセリスだから、というものだったが、セリスは完全に生きる気力を失っているエリックにすっかり手を焼いていた。
人手不足、というのもあったのだろうとは思う。
たとえば魔術師に魔法で無理やりエリックに物を食べさせるとか、そういうことをすればセリスがここで苦労などせずとも済んだはずなのだが、魔術師たちは貴重な存在で、他にもいろいろ、やらなければならない仕事がある。
だから、[第一発見者]だからという名目で、セリスがエリックを世話することになったのだ。
だが、セリスがなにをしようとしても、エリックは無反応。
今みたいに食事を与えようとしても、大声で怒鳴っても、なんなら平手打ちしても、エリックは反応を示さない。
その中に、魔王がいる。
エリックを生かすことを決めてからそのことを魔術師たちが確認し、実際にエリックの中に魔王・サウラがいることを確認できてしまった以上、エリックを放っておくことはできない。
今のセリスたちにとっては、本当に、わらにもすがるような思いなのだ。
エリックの中に魔王がいる以上、粗末なものは食べさせられない。
だからセリスは狩りに出て、立派な鹿を1頭しとめ、それを元にシチューを作ったのだが、結局その苦労も実を結ばず、セリスが自分自身でシチューを食べることになってしまった。
「いよいよ手に負えなくなったら……、兄さんに泣きつくしかないわね。かっこ悪いけれども」
エリックの方に問題があるとはいえ、それは少しかっこ悪い気がする。
だが、セリスがなにをしてもダメだった場合には、エリックを生かすためにそうする他はなかった。
「はぁ……。まったく、一思いに始末できれば、楽だったんだけどなぁ……」
セリスはそうため息を吐くと、自身の腰の後ろから、愛用している短剣を引き抜き、その切っ先をエリックの方へ向けて、憎しみのこもった視線でエリックを睨んだ。
それまでなにをしても反応を示さなかったエリックが顔をあげたのは、その時だった。