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・第39話:「内に潜むもの」

・第39話:「内に潜むもの」


 勇者・エリックは、再び、聖女・リディアの聖剣によって貫かれた。


 そして、意識を失い、重力に引かれて落下したエリックは、水面に叩きつけられ、深く、深く、沈んでいく。


 エリックは、絶望の中で、2度目の[死]を迎えた。

 自分への裏切りが、ヘルマン神父やリーチによって行われたのではなく、エリックを勇者として選び、この世界の救世主となるべく定めた聖母によって行われたのだと知り、自分自身の信じてきたこの[世界]が、偽りであったのだと知って。


 エリックは、最後には、笑っていた。

 絶望を通り越し、失望を置き去りにして、ただただ、滑稽こっけいさだけが残った。


 エリックの人生。

 そのすべてが、最初から報われることなどないと決まっていた。


 それを知らずに、エリックはたった1人、必死で、毎日努力を続け、勇者としての務めを果たそうと、あらゆる困難に立ち向かっていたのだ。


 きっと、聖母も、聖母が作った[筋書すじがき]の中でエリックを見てきたヘルマン神父たちも、そんなエリックの姿を見て、内心ではほくそ笑んでいたのだろう。

 単純な、愚か者よと。


 エリックは、魔大陸から、復讐を果たし、正義を成すために、地獄の底からい出して、生き延びた。

 だが、意識を失う瞬間には、もう、そのすべてがどうでもいいと思えた。


 だって、すべてが無駄だったのだから。

 自分の信じていたことがすべて間違いで、エリックはただ、いいように利用されただけ。

 そして、その現実をもう、くつがえすことさえできない。


 エリックの意識は、しぼんで、消えようとしている。


 そして、それと入れ代わりになるように、エリックの身体に施された黒魔術がうごめき出す。


────────────────────────────────────────


 混沌こんとんが、流れ込んで来る。


 無念を抱いたまま散って行った、無数の命。

 老若男女関係なく、戦闘員も非戦闘員も関係なく、皆殺しにされた、その、犠牲者たちの魂。

 その、記憶。


 その奔流ほんりゅうの中で、魔王・サウラは目覚めた。


(まこと……、哀れなものよ)


 それは、嘲笑ちょうしょうではない。

 聖母によって翻弄ほんろうされ、使い捨てにされた、勇者・エリックに心から同情する思いだった。


(道化だ。……この世界は、道化なのだ)


 サウラは、倒れていった者たちの思いをその一身に受けながら、この世界を恨み、そして強く憎んだ。

 それは、失われた無数の魔物、亜人種たちの思いであり、サウラを魔王たらしめている信念だった。


 黒魔術が、エリックという持ち主を失った肉体を、急速に修復していく。

 エリックの肉体を新たな容れ物として、魔王・サウラの、その強大な力を、世界への脅威を復活させんとするために。


 みるみるうちに、聖女の聖剣が貫いた傷口がふさがり、出血が止まる。

 サウラという新しい主を得て、肉体は生命を取り戻し、意識だけの存在となっていたサウラに、新たな五感が生まれる。


 最初に感じたのは、全身を覆う冷たさだった。

 サウラは、いや、エリックは、聖堂の尖塔の上から落下し、その聖堂を囲むように作られた、水堀を兼ねた運河の水面へと叩きつけられ、深く沈んだからだ。


 サウラが命じると、かつてエリックのものであった身体の指先が、ピクリ、と動く。

 そして、サウラが確認するように少しずつ身体を動かしていくと、慣れない感覚はあったものの、この新しい魔王の器はサウラの意識に従って動いてくれるようだった。


(じきに、慣れていくであろう)


 サウラはその口元に不敵な笑みを浮かべながら、水の中で泳ぎ出す。


 人間であれば、水の中では呼吸することはできないし、定期的に空気を肺に取り込めなければ死んでしまうだろう。

 だが、サウラは魔王であり、もはやこの身体は、黒魔術の力で魔王のものとなっていた。


 まだ、人間の姿も、機能も、ほとんどを留めている。

 だが、黒魔術は今も働き続けており、身体を作り変え続けている。

 その黒魔術が働いている間は、常にこの新しいサウラの肉体は魔術によって[あるべき姿]へと作り変えられ続けるから、呼吸ができなくとも関係がなくなっていた。


 サウラは、水をかき分けながら進んでいく。


 エリックが尖塔から落下したということは、多くの人々が目にしたことだろう。

 当然、追っ手たちもそのことに気がつき、今頃はエリックの死を確認するために血眼になって探し回っているはずだ。


 少しでも顔を出せば、あっという間に袋叩きにあい、肉体の支配権を得たとはいってもまだ完全な調子ではないサウラは、教会騎士たちによって討ち取られてしまうだろう。

 だからサウラはこのまま、黒魔術によって肉体が作り変えられ続けているのを利用し、水の中を移動して逃げるつもりだった。


(汝らの無念……、必ず、この、我が晴らそう)


 サウラは、まだ慣れない身体で水をかき分け続けながら、自身の身体の内側で渦を巻き続ける無数の魂たちに向かって誓った。

 それは、黒魔術が行われる際に、魔術師が自身の力だけでは足りず、谷底に積み上げられた無数の遺体たちの力をも、魔術のかてとして用いたために、魔王・サウラの中に取り込まれた魂たちだ。


 それは、サウラを王と仰ぎ、信頼し、つき従って来た者たちだった。


(ム? )


 サウラはぎこちない手つきで泳ぎ続けていたが、突然、自身の新しい体となったはずの肉体に違和感を覚えた。


 どういうわけか、黒魔術の進行も、遅くなっている。

 まだ身体は魔王の肉体としてふさわしい姿へと作り変えられ続けてはいたものの、その進行ペースを鈍り、まるで、[変わる]ことをさえぎるなにかがあるようだった。


(ほう? ……これは、奇縁よの)


 サウラは、自身の内側に取り込まれた無数の魂の中にあるものを見つけて、愉快ゆかいそうに微笑む。


 それは、この肉体の本来の持ち主である、勇者・エリックの魂だった。


(まこと、しぶとい奴よ。……いや、そうか。あの聖女の剣が急所を外れていたゆえ、死にきらずにおったのか。そして、魔術により肉体が蘇生したことにより、完全に消滅せずにすんだか)


 エリックは、この肉体の本来の持ち主だ。

 だから、肉体とその魂は、強い結びつきを持っている。


 エリックは2度目の死を迎えたが、その身体は黒魔術によって蘇った。

 そして、蘇った肉体は、消え去るはずだったエリックの魂をこの場にとどめ、エリックの魂が存在していることが黒魔術によってこれ以上[変わる]ことを拒んでいる。


 つまり、サウラがこの肉体の主導権を手にできたのは、一時的なことになるということだった。

 黒魔術によって作り変えられた肉体の部分が逆行し元に戻ることはないが、残りの大部分は元々のエリックのままであり、その元々の肉体と強い結びつきを持つエリックの魂が残されている以上、エリックが目覚めれば肉体の主導権もサウラからエリックへと戻るだろう。


 そう理解したサウラは、泳ぐ速度をあげた。


(もうしばし、眠っておれ。勇者よ。……この窮地きゅうちより逃れる間は、我に肉体を貸せ。汝では逃れられぬが、我であれば、逃れられる)


 黒魔術が働き、身体が作り変えられているから、呼吸を気にせず水の中を逃げることができるのだ。

 エリックの魂が主導権を取り戻し、黒魔術の進行が再び、肉体の本来の持ち主であるエリックの魂との強い結びつきによって阻害されることになれば、呼吸が必要となって水の中を逃げ続けることはできない。


(まったく。……愉快ゆかいなことになったものよ)


 エリックと、1つの肉体に共存する。

 そのあまりにも奇妙な状況に、サウラは楽しそうに口元に笑みを浮かべていた。


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