・第37話:「尖塔:2」
・第37話:「尖塔:2」
エリックは、尖塔の頂上へ向かう階段を、一心不乱に登り続けた。
鎧を捨て、身軽になったおかげで、武装に身を固めた教会騎士たちをエリックは少しずつ引き離していく。
尖塔は、背の高い建物だ。
地平線の果てからでも見え、聖母の威光を人々に思い起こさせるため、そして聖母を称える鐘の音を遠くにまで届けさせるために、聖堂の尖塔は高く作られている。
聖母たちの手を少しでもわずらわせ、その思惑の完成を遅らせる。
それは、むなしい、エリックの自己満足にしかならないような些細な復讐でしかなかったが、エリックは尖塔の階段をのぼり続けた。
息があがり、身体が熱くなって、汗が吹き出す。
バーナードがエリックのために十分に休息できる環境を用意してくれたおかげでエリックの身体はもう、ほとんどあの地獄のような谷底へ捨てられる前の健常な状態へと戻りつつあったが、全速力で階段をかけあがり続ければさすがに勇者といえども呼吸が苦しくなってくる。
聖堂の尖塔は、それだけを抜き出してみても巨大な建造物だった。
前後左右の幅や奥行きだけでも何部屋もの部屋が作られているほどに広く、階段は折り返しながら延々と続いているように思える。
その部屋のどこかに逃げ込むことも、エリックは少し考えた。
自分の信じていたすべてが、世界そのものが偽りであり、自分は道化に過ぎなかったのだという完全な絶望を味わい、そしてその先に至ってしまったエリックの思考は、かえって考える力を取り戻しつつある。
そして、少し考えた結論は、そんなことをしてもどうにもならないということだった。
どこかの部屋に隠れて教会騎士たちをやり過ごし、下に降りれば脱出できる可能性が出てくるのではないかというのが、エリックが少しだけ期待したことだった。
だが、階段を駆けのぼる足を一瞬だけ止め、呼吸を整えながら下の方の音に耳を澄ませると、教会騎士たちはエリックが通り過ぎてきた部屋をしらみつぶしに確認して回っているようだった。
教会騎士たちは閉じられたままの部屋の扉を強引に打ち破り、その内部にあるものすべてをひっくり返し、打ち壊すような勢いで調べている。
もし、エリックが部屋のどれかに隠れてやり過ごそうとしても、確実にバレてしまうだろう。
エリックは、自分の逃げ場が上にしかないことを確認すると、再び階段を駆けあがり始めた。
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ほとんど足を止めることなく逃げ続けたエリックは、部屋をしらみつぶしに探し回っている教会騎士たちを置き去りにし、距離を引き離すことに成功した。
だが、とうとうエリックは、尖塔の最上階にまでたどり着いてしまった。
教会騎士たちが部屋をしらみつぶしに探して回っているのは、もちろん、そこにエリックが隠れたかもしれないからだ。
だが、尖塔に逃げ込んだエリックにはもう他に逃げる道も隠れる場所もなく、下から順に、徹底的に調べて行けば、最後には必ずエリックを捕らえられるという計算も働いている。
実際、エリックにはもう逃げ道などなかった。
いくつも吊り下げられた鐘を一斉に打ち鳴らし、その音色を地平線の向こうにまで届かせるために聖堂の尖塔は高く、階段以外に下へと無事に降りる手段は存在しない。
飛び降りたとしても、確実に命を失うと確信させるだけの高さがあるのだ。
エリックは階段を駆けあがって荒くなった呼吸を整えながら、必死に、たどり着いた尖塔の最上階を見回す。
どこかに隠れられる場所や、安全に地上へと降りる手段がないかと、エリックは意識を集中した。
だが、そんなものがあるはずもなかった。
そこにあるのはいくつも吊り下げられたたくさんの鐘と、その鐘の音を外へと大きく響かせるために壁の取り払われた、幾重にもアーチ状の構造物を組み合わせて作られた、尖塔の上とは思えないほどに広々とした空間だけだった。
だが、その中に、エリックは1つだけ、特別なものを見つけた。
それは、修道服に身を包んだ、1人の少女。
エリックと共に聖女として聖母から選ばれ、共に長く苦しい旅を切り抜け、魔王・サウラを倒すために戦い、そして、エリックと同じように聖母たちから[使い捨て]にされたはずの聖女・リディアだった。
リディアは、まるでこの場にエリックが来るのを待っていたかのように、静かにたたずんでいた。
その手には、聖母から与えられた聖剣が、鞘に納まっていた状態で握られている。
「リディア! 無事、だったのか!? 」
じっとエリックの方を見つめていたリディアの姿に気づいて、エリックは喜びの表情を浮かべながらそう言った。
勇者・エリックは、聖母たちにとって使い捨ての道具に過ぎなかった。
そしておそらくは、勇者と同じように、聖女であるリディアもまた、聖母たちにとっては使い捨ての道具に過ぎなかった。
あの谷底で、エリックはリディアの遺体も探したが、見つけ出すことはできなかった。
だから、リディアが生存している可能性は薄いだろうとは思っていたのだが、決して、その可能性がなくなったわけではないと、エリックは思っていた。
どうやら、その、望み薄だと思っていた可能性の方が、正解だったらしい。
自分と同じく、聖母たちによって[使い捨て]にされたリディアなら、協力できるかもしれない。
1人よりも2人の方がここから逃げ出せる可能性は高くできるだろうし、勇者と聖女が共に人々に向かって聖母と教会の陰謀を糾弾すれば、耳を傾けてくれる人々もあらわれるかもしれない。
「リディア! 一緒に、ここから逃げよう! ……オレたちは、最初から聖母たちに使い捨てにされる道具で、聖母やヘルマン神父に騙されていたんだ! 」
エリックはたった今自分が駆けのぼって来た階段の方へ視線を送り、まだ教会騎士たちが追いついて来ていないことを確認しながら、リディアに向かってそう叫んでいた。
だが、その時、ふと、エリックの脳裏に、(自分はまた、とんでもない愚かなことをしているのではないか? )という疑念が浮かんでくる。
エリックは、勇者である自分が裏切られ、利用されていただけであるのだから、聖女であるリディアもまた、まったく同じ立場にいるのだろうと、勝手にそう信じていた。
思い込んでいた。
だが、そうだとすれば、リディアがここにいることは、そもそもおかしい。
なぜならここは、エリックとリディアを裏切り、利用した聖母と教会の総本山であり、エリックと同じように始末されるべき存在であるはずのリディアが、平然と存在しているはずがないからだ。
もし、リディアがエリックと同じように、聖母の裏切りを知らず、聖母に助けと、裏切り者への正当な裁きを求めてやってきたのだとしても、聖母たちによってエリックが今、そうされようとしているように、リディアは聖母たちによって始末されていなければならない。
エリックと同じように聖母たちから逃げ出し、尖塔へと追い詰められたのだとしても、まるでエリックを待っていたかのようにその場にいるのは、やはりおかしい。
絶望の先に足を踏み入れ、思考能力を取り戻しつつあるとはいっても、エリックはやはり混乱していた。
だから、そんな、感じて当然のはすの違和感に、すぐには気づくことができなかった。
エリックは、焦燥感を抱きながら、リディアのいた方向を振り返る。
だが、そこには、リディアの姿はもう、なかった。