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・第309話:「絶望を救う者」

・第309話:「絶望を救う者」


 エリックの中で新たに生まれた、強烈な欲求。

 それは、父と、妹のいる世界へ行く、というものだった。


 エリックは、聖母たちに復讐ふくしゅうをしたいという、強い欲求がある。

 その過程で、この世界を救おうという決意もある。


 だが、そうしたところで、いったい何になるというのか。

 自分にはもう、家族と呼べる存在はなく、かつてのような暖かで幸福な世界は、2度と戻ってくることはないというのに。


 その事実に気がついた時、エリックの内側にあった強い欲求も決意も、一瞬で消し飛んでしまっていた。


 この世界にいても、いいことなどなにもない。

 必死になって、自分の身をすり潰しながら戦い続けて来たのに、その先に得たものは絶望だけ。


 その一方で、父や妹がいる世界は、魅惑的だった。


 そこにはエリックが救うことができなかった、デューク伯爵と、エミリアがいる。

 ずっと昔に亡くなってしまった母親だって、いるはずだ。


 それに、エリックが自身の手で倒さなければならなかった親友、バーナードも。


 このまま生きて、戦い続けてもきっと、エリックはこれからも失い続けるばかりだ。

 聖母との戦いのためにすでに多くの人々が犠牲となって死に、そして、これから先も、エリックは失い続ける。


 クラリッサも、リディアも、セリスも、ガルヴィンも、ケヴィンも、ラガルトも、レナータも、アヌルスも。

 聖母との激しい戦いの中で傷つき、エリックよりも先に死んでしまうかもしれない。


 なぜなら、エリックは、死ねないから。

 自身の身体に施された黒魔術によって、エリックは普通の方法では死なないのだ。


 だが、聖剣ならば。


 魔王・サウラを滅ぼすために、そして用済みとなった勇者の命を刈り取るために、聖母が特別な力を与えて作った、この、聖剣ならば。

 自分も、きっと、死ぬことができる。


 死んで、失ってしまった人たちのところへ行くことができる。


 きっと、誰もエリックのことを歓迎してはくれないだろう。

 そんなことは、わかりきっている。


 だが、それでもエリックは、失ってしまった人たちにもう一度、会いたかった。


 これ以上失い続けることが、怖くて、たまらなかった。


「わっ、若様、おやめくだされっ!! 」「エリック、ダメっ! 」「勇者様ッ!! 」


 エリックがなにをしようとしているのかに気づいた人々が、悲痛な叫び声をあげる。

 もっとも近くにいたガルヴィンとクラリッサは慌てて立ち上がってエリックを取り押さえようとし、ケヴィン、ラガルト、リディアも駆け出しているが、しかし、絶対に間に合わないだろう。


 なぜなら聖剣の切っ先はすでに、エリックの喉笛へと迫っているからだ。


 聖剣の柄と鍔の突起で、聖剣をうまく床に固定する。

 あとは、なにも考えず、自分の体重も使って聖剣の切っ先に、自身の首を落とすだけ。


 その単純な行動を、止められる者など誰もいないはずだった。


────────────────────────────────────────


 エリックの喉笛を聖剣の切っ先が突き破り、その鋭利な刃でエリックの頸椎けいついをも切断する。

 ほんの一瞬で、エリックは、自身を終わらせることができる。


 そのはずだったが、エリックは、いつまで経っても、自身の身体に聖剣の切っ先が突き刺さる感覚を得ることができなかった。


 代わりにエリックは、全身を包み込む、誰かの体温を感じていた。


 ずっとずっと、昔の記憶を思い出させるような感覚だった。


 もうほとんど忘れかけていたような記憶だったが、エリックは、母親のことを思い出していた。

 まだエリックが小さかった頃、母親が生きていたころに、優しくエリックのことを抱きしめてくれた、暖かくて、懐かしい感覚。


 だが、すぐにエリックは、それが母親ではないことに気づいた。

 死を受け入れるつもりで閉じていた目を開いたエリックの視界に、淡いクリーム色をした金髪が見えたからだ。


 エリックを、セリスが抱きしめている。

 そう気がついたエリックは、その驚きで急に、思考を取り戻していた。


「なん……で?

 セリス……? 」


 呆然としながら、たどたどしい言葉で、彼女の名を呼ぶ。


 どうやらセリスは、エリックが急に立ち上がった時点で、エリックがなにをしようとしているのかに気づいて、動き始めていたらしい。

 だからこそ、ギリギリのところでエリックの死を防ぐことができたのだ。


「エリック……。

 そんなことをしても、誰も、あなたを喜んで迎えてはくれないって、あなたはわかっているはずよ」


セリスの言葉は、穏やかで、優しいものだった。


「だったら、生きなきゃダメだよ。

 そうして、絶対に、幸せになることを、あきらめてはいけないの。


 それが、生き残っている私たちの、役割。

 死んでしまった人たちの、願いなんだから」

「……っ! 」


 そのセリスの言葉に、エリックは愕然とする。


 幸せになることを、あきらめてはいけない。

 それはかつて、エリックがデューク伯爵から伝えられた、最後の言葉だったからだ。


 幸福になることを、あきらめてはいけない。

 未来に希望を持つことを、やめてはいけない。


 どんな悲しみが、苦難があろうと、負けてはならない。

 そうして必ず、幸せに生きて欲しい。


 そのデューク伯爵の言葉を、願いを思い出した瞬間。

それを、デューク伯爵がエリックへと向けた言葉と同じことをセリスが言ってくれたのだと、理解した瞬間。


 もう、全身の水分が枯れ果てるほど泣いたと、そう思っていたのに、エリックの頬を、一筋の涙が伝い落ちて行った。


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