・第31話:「聖都:1」
・第31話:「聖都:1」
魔王・サウラとその眷属である魔物、亜人種たちの支配していた魔大陸から、人間が住む大陸、サエウム・テラまでの航海は、風が順風で十分にあれば約2日程度の距離だった。
さすがに水平線の向こうに見える、とまではいかないものの、魔大陸と人間の住む大陸はそれほど離れてはいない。
エリックたちの航海は、順調そのものだった。
季節柄順風というわけにはいかず、横風をうまく使いながら進んでいく航海だったが、それでも風は十分に強く、船は快調に進み続けた。
そして、その航海は、エリックにとっては体力を回復するための貴重な機会となった。
なにしろ、食べ物も水も十分にあるし、自分の足で歩かなくとも勝手に船は風の力で進み続けてくれるのだ。
エリックは十分に食べ、休養し、その体調は、剣をかまえ、簡単な魔法であれば自力で仕える程度には回復していた。
船の船員たちは、全員、航海術をよく心得ている様子だった。
バーナードとその一族に忠誠を誓い、誠実に仕えている部下たちの動きはいつ見てもきびきびとしていたし、天文から自身の位置を割り出し、天候の変化を割き読む術を十分に知っていた。
そして、エリックたちを乗せた船は、3日目の朝には、サエウム・テラの姿を水平線の向こうに見つけていた。
「陸だ! サエウム・テラに、帰って来たぞ! 」
メインマストの上の見張り台に立っていた船員の声が響くと、船員たちはもちろん、エリックもいてもたってもいられず、船首に集まって水平線の向こうを見透かした。
そして、よく晴れた青空の下、緑豊かな大陸の姿が見えて来た時、エリックは思わず、涙をこぼしてしまった。
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聖母に会い、ことの次第を報告し、エリックを裏切ったヘルマン神父とリーチに正当な裁きを加え、そしてエリックの体内に存在し続けている魔王・サウラに対処するのに力を貸してもらうためにサエウム・テラへと戻って来たエリックたちだったが、船旅はそれでおしまいではなかった。
聖母が鎮座している人類社会の中心地、巨大で壮麗な聖堂を有する聖都へは、海から運河を使って、船で直接向かうことができるのだ。
カナーリス運河と呼ばれるこの運河は、サエウム・テラをほとんど横断することのできる、巨大な人工物だった。
伝説によればその工事には捕えた魔物や亜人種たちの奴隷、およそ500万人が投入され、10年もの大工事を経て完成されたということだ。
カナーリス運河は、さすがに大型船の通行は困難ではあったものの、エリックたちが乗っているような船であれば数隻は並んで航行することができるし、よく使われている中型の船舶であれば、余裕をもってすれ違えるだけの広さ、そして深さを持っている。
それに加え、その両岸は石造りの岸壁で固められ、たとえ無風状態となっても地上から馬などの家畜を使い、ロープで船舶を曳航することができるようにされている。
聖母の威光の現物化とも言えるカナーリス運河をさかのぼること、約3日で、聖都に到着することができるはずだった。
エリックは、ようやく満足に動かせるようになった身体を慣らすために船の甲板の上を散歩しながら、毎日、サエウム・テラの景色を眺めていた。
聖母の加護により祝福され、守られているサエウム・テラの景色は、どこを見ても穏やかで、暖かな陽光に満ち溢れ、多くの動植物であふれている。
魔大陸の荒涼とした景色とはまるで違う、豊かな大地だった。
運河沿いには多くの街が築かれ、その周囲には穏やかな田園風景が広がり、魔王軍の脅威が去って平和が取り戻された世界で、人々が幸せそうに暮らしている。
広大な牧草地でのんびりと寝そべりながら大きなあくびをした牛の姿を目にして、エリックは(自分は、勇者としての役目を果たし、平和を取り戻すことができたのだ)と実感し、思わず微笑んでしまった。
カナーリス運河は、どこまでも平坦に作られ、聖都に向かってのびている。
運河はなるべく平坦な場所を選んで建設されていたが、どうしても地形の険しいところを越えなければならないところでは山を切り開き、谷には巨大な運河橋をかけて、船がスムーズに通行することができるようになっている。
だが、聖都は海よりも高い場所にあるために、運河には途中でどうしても高低差ができる。
聖都のある高さまであがる、もしくは海面の高さまで下がるために、カナーリス運河では閘門を使った水路が作られていた。
閘門は、水門と水門で囲んだ区画の中に船を導きいれ、水門を閉鎖してその内側の水位を変化させることで水かさをコントロールし、船を高いところ、または低いところへ移動させる仕組みの構造物だ。
こういった閘門は、1度に多くの高低差を乗り越えさせようとすると水圧の問題が出てくるため、少しずつ高低差を乗り越えられるように複数の閘門を連ねて作られており、通行する船舶を段々と持ち上げたり、降下させたりできるようになっている。
カナーリス運河には、そういった閘門がなんか所もあり、エリックたちは聖都にたどり着くまでに3か所ほど、高低差を乗り越えるために閘門を通らなければならなかった。
閘門をくぐるたび、エリックたちは緊張しなければならなかった。
なぜなら、閘門に入った船舶は、水位が変化するのにかかる時間を利用し、その都度、検査官による立ち入り検査を受けることになっていたからだ。
一時は魔王軍の侵攻により人類軍は劣勢に立たされ、カナーリス運河の通航も麻痺していたのだが、魔王軍が魔大陸へと追い返され、そして完全に殲滅された今はその機能を取り戻し、閘門通過時の検査も復活している。
エリックたちが恐れていたのは、ヘルマン神父が先に手を回し、偽った報告をして、エリックを捕らえるべく罠を張っている、ということだった。
エリックたちが使用しているのは快速船であり、ヘルマン神父がエリックの脱走したことに気づいて慌てて追って来たとしても追いつかれる心配はなかったが、この世界には魔法という不可思議で便利な力がある。
魔術師たちは専用の道具と準備があれば、大陸と大陸との間で遠距離通信をすることが可能で、ヘルマン神父がエリックを捕らえるために手をまわしている、という可能性は十分にあった。
だが、幸いなことに、3か所の閘門を通過する際に行われた検査は、なにも問題なく通過することができた。
これは、バーナードがエリックに騎士が身につける全身鎧を着せ、他の数名の船員にも同じ格好をさせて、うまくエリックを隠してくれたおかげだった。
検査官たちは船に積まれている荷物などは入念に調べ、人が隠れられそうな樽の中や物陰なども熱心に調べていたが、バーナードの護衛としてつき従っている全身鎧の騎士たちにはほとんど触れなかった。
密航するとしたら大抵、コソコソ逃げ隠れするから、堂々と立っている全身鎧の騎士を怪しもうという発想が、検査官たちにはないようだった。
加えて、バーナードは自身の家柄を最大限に活用し、「あまりしつこいと、父上の覚えが悪くなりますよ」と検査官たちを暗に脅迫したため、検査官たちはみな深くは突っ込まずに引き下がってくれた。
普段のバーナードであれば、自身の家柄をかさに着たような傲慢なことは絶対にしなかったが、彼はエリックのためならばと自身の信念を曲げて力を貸してくれたのだ。
そうして、エリックたちは進み続け、そして、その眼前にとうとう、聖母が鎮座している聖都の姿が見えて来た。