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・第308話:「絶望」

・第308話:「絶望」


 ヘルマンは、とうとう、動かなくなった。

 いかに聖母から人外の力を与えられ、強靭な生命力を持っていようと、その頭部を、打撃によって完全に破壊されてしまえばもう、生きていることなどできないようだった。


 エリックはヘルマンの頭部が完全に潰れ、石の床板を拳で叩いているということも、しばらくの間気づいていなかった。

 だが、いつの間にか近くにやってきていたエルフの戦士、ケヴィンが振り上げたエリックの手をつかんだことでようやく、エリックは動きを止めた。


 どうやら、エリックたちがいつまで経っても塔から降りてこなかったため、様子を見に来たらしい。

 そこにはいつの間にか、ケヴィン、ガルヴィン、ラガルト、そしてリディアの姿があった。


 みな、すでになにがあったのかは知っているのだろう。

 エリックの手を止めたケヴィンも、エミリアの遺体の側でひざまずいているガルヴィンも、塔の上へと登って来る階段の近くで、あまりの事態にどうして良いかわからず呆然としているラガルトとリディアも、沈痛な表情を浮かべている。


 エリックは感情の失われた表情で、緩慢な動きで、ケヴィンのことを見上げる。

 するとケヴィンは短く、「もう、ヘルマンは死んだ」とだけエリックに伝えた。


 エリックは、つい先ほどまで殴り続けていたヘルマンの方へと視線を戻す。

 するとそこにあったはずのヘルマンの頭部はすでになく、あるのは、粉々に砕けた肉片と骨片、そして血だまりだけとなっていた。


 エリックは呆然としたようになったまま、自身の両手の手の平を顔の前に持ってくる。


 ヘルマンを処刑するために、エリックは自身の手がどうなろうと、かまわなかった。

 ヘルマンの皮膚が割け、肉が飛び散り、骨が砕けるのと同じように、エリックの手の皮膚は割け、肉がむき出しとなり、骨も見えていた。


 しかし、エリックの手は、エリックが見ている前で、みるみる内に修復されていく。


 すべては、エリックにかけられている黒魔術のために。

 エリックの身体は今も、黒魔術によって魔王・サウラの肉体として改造され続けており、その働きによって、エリックの肉体は急速に修復されていく。


(なんで……、なんで、オレなんだ……)


 その光景を目にしていたエリックの、まっさらになった思考の中にふと、そんな疑念が生まれる。


 エミリアは、死んでしまった。

 エリックが、自分自身の手で、その命を奪った。


 エリックはエミリアに生きていて欲しかった。

 エミリアを救い、また、かつてのように、故郷に戻って、兄妹として仲良く、楽しく過ごしたかった。


 それは、エリックにとっての数少ない、未来の展望だった。

 エリックにとっての、希望だったのだ。


 しかし、その希望は、失われてしまった。

 エリックはあまりにも遅すぎ、エミリアを救うことができなかった。


 デューク伯爵の時と、同じように。


 確かに、ヘルマンは死んだ。

 エリックが復讐ふくしゅうし、かたきを討った。


 だが、エミリアがそれで、生き返ってくれるわけではない。

 また元気な笑みを浮かべて、「兄さん! 」と言って、微笑みかけてはくれない。


 エミリアが死んだ、その一方で。

 エリックは未だに、生き続けている。


 それも、今、目の前で傷ついた自身の手が修復されていくように、[死ねない]存在として、エリックはここにいる。


 なぜ、自分なのか。

 どうして、エミリアではないのか。


 いったい、エミリアがどれほどの辛酸を味あわされたのか。

 血の記憶を見たエリックは、すべてを知っている。


 今まで、この世界でもっとも不幸なのは、自分なのだと、エリックは心のどこかでそう思っていた。

 勇者として選ばれ、必死に戦い、そして裏切られて使い捨てにされ、ゴミのように谷底へと捨てられた。


 そんな悲劇以上のことがこの世界にあるとは、エリックは想像もしたことがなかった。


 だが、それはあった。

 エリック自身の妹の身に、起こったのだ。


 もう、生きていたくない。

 エミリアはそう願うほどの経験をし、エリックはその最後の望みをかなえてやることしかできなかった。


 こんなのはあんまりだと、そう思う。

 受けた苦痛の大きさを比較すれば、エミリアこそ、生きて、幸福になるべきはずだったのに。


(オレは、置いていかれた……)


 エリックの心の中には、絶望感と、喪失感とが広がっていく。


(オレはもう、この世界で、1人ぼっちなんだ……)


 どうして自分には死ねない力があって、エミリアにはそれがなかったのか。

 もしエミリアにこのエリックの力があれば、彼女は今も生きていたし、きっと、普通の人間ではできないような手段で、その腹に生みつけられた異物を排除することもできたはずだったのに。


 エリックは、自身の手で、自身の失敗で、肉親を失ったという事実に、恐怖し、そして、絶望していた。


 もしたとえ、聖母を倒すことができたのだとしても。

 その先に得るはずだった未来はもう、どこにも存在しないのだ。


 それならば、いっそのこと、と、エリックは思ってしまう。


(よせ、エリック! )


 その時、エリックの内側で、絶望の中から急に生まれ、一瞬で思考のすべてを生み出すほどに肥大化したその欲求に気づいた魔王・サウラが、鋭い言葉で制止した。


 しかしエリックにはもう、その、自身の内側からの声も、聞こえない。


「エリック殿ッ!? 」


 突然立ち上がり、よろめきながら駆け出したエリックの様子に驚き、戸惑ったケヴィンが声をあげるが、エリックは立ち止まらない。


 その目指す先にあるのは、エミリアの遺体の近くに放置されたままの、エミリアの血のついた聖剣。


 その聖剣をつかんだエリックは、エミリアの遺体の前にひざまずくと、聖剣の切っ先を自身の喉笛へと向けていた。


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