・第306話:「終わりにして:2」
※作者注
本話、閲覧注意です。
キャラ死亡および残酷な描写があります。
また、読者様の気分を害するようなおそれがあります。
無理だ、と感じた読者様は、どうか、本話の閲覧の中断をお願いいたします。
・第306話:「終わりにして:2」
自分を、殺して、終わらせて欲しい。
どうしてエミリアがそんなことを言うのか。
エリックは戸惑い、呆然としてしまったが、すぐにハッとしたように聖堂の方をにらみつけていた。
まだ、エミリアは聖母たちにあやつられているのではないか。
だからこんな風に、エリックをさらに戸惑わせ、苦しめるために、エリック自身の手でエミリアを、妹を殺すように仕向けているのではないか。
そうに違いないと、エリックは思った。
「兄さん。
私はもう、誰の支配も受けてはいないよ。
クラリッサさんが、魔法で私を助けてくれたから」
だが、エリックの表情からなにを考えているのかを察したのか、エミリアはそう言ってエリックの考えを否定した。
そしてエミリアはそっと、自身の手を動かし、それを、自身の下腹部の辺りにあてる。
「私、ね? 兄さん。
子供が、いるの」
エリックもクラリッサも、その単語を、すぐには理解することができなかった。
子供。
それは、誰もが知っている、ごくありふれた言葉だった。
エリックもクラリッサも、当たり前のようにその言葉を知っている。
だが、その言葉をエミリアが口にした意味を、エリックは理解できなかった。
正確には、理解することを拒否していた。
そんなことは、信じられない。
信じたくない。
あってはならないことだからだ。
「私のお腹に、子供が、いるの」
だが、エミリアはもう1度、エリックにその事実を伝える。
エリックはもう、その言葉で、現実と向き合うしかなくなった。
「だ……、誰、の? 」
ただ、エリックは、絞り出すようにそうたずねる。
するとエミリアは、目を閉じて、できるだけ穏やかな表情を作りながら、事実だけを簡潔に伝えるように、押し殺した声で答える。
「アイツ、の……。
ヘルマンの、子供」
エリックもクラリッサも、ヘルマンのことを監視し続けていたセリスも、言葉を失った。
ただ、機械的な動きで3人は視線をヘルマンへと向ける。
ヘルマンは、怯えた悲鳴を漏らす。
その様子は、エミリアの言葉をヘルマンが認めているようなものだった。
「ねぇ、兄さん」
怒りも悲しみもなく、ただ、頭の中が真っ白になって呆然としているエリックに向かって、エミリアは穏やかな表情で声を抑えたまま、言う。
「私、ね?
あんな、バケモノの子供、生みたく……ないの。
それだけじゃ、ない……。
私の、身体。
聖母たちに、いろいろと、弄り回されて……。
私、多分、もう、普通の人間じゃなくなっているの。
きっと、私も、あの、ヘルマンや、聖騎士たちみたいな、バケモノに……。
だから、兄さんの手で、私を……、殺して?
私を、終わらせて。
お願い……、兄さん」
絞り出すような、エミリアの言葉。
それは、エミリアの心の底からの願いの言葉だった。
そのエミリアの願いは、エリックにも届く。
間近で発せられたエミリアの言葉は、否応なしに、エリックを現実へと引き戻す。
エミリアが意識を取り戻すのと同時に、錯乱したように暴れた理由。
自身が身ごもった子供の父親が、誰なのかをエミリアが認識している理由。
それを考えてみれば、エミリアがどれほど凄惨な状況に置かれていたのかがわかる。
エミリアは、聖母やヘルマンによって支配されていた。
しかしながら、その間、エミリアの意識はしっかりと、存在し続けていた。
エミリアは、エリックの妹は、抵抗することもできないまま、聖母やヘルマンによってもてあそばれたのだ。
とても、正気など保っていることはできないだろう。
クラリッサが施した魔法がなければきっと、エミリアはその、すべてを終わらせて欲しいという願いさえ、エリックに伝えることはできなかっただろう。
「子供……を……」
エリックは、身体の体温がすべて失われてしまったかのような、そんな深い絶望の感情をいだきながら、震える声を絞り出す。
「子供、だけ……、子供だけを、殺せば、いい。
エミリア、が、死ぬことなんて……、ない……っ! 」
だが、エミリアは静かに、首を左右に振る。
「もう、遅すぎるのよ、兄さん……。
私のお腹の子供は大きくなりすぎていて、中絶もできないの。
私を生かそうとすれば、生むしか……、ないの。
どんなバケモノが生まれて来るのかも、わからないのに……」
エリックは、世界のすべてが暗闇に包まれ、音を失ったように感じた。
エミリアを、救うことができた。
デューク伯爵を救うことはできなかったが、今度は、間に合った。
そんなふうに、思っていたのに。
エリックは結局、遅かったのだ。
エリックは、祈るような気持で、クラリッサの方を見つめる。
男であるエリックには、妊娠についての知識はほぼなく、クラリッサであれば今からでもエミリアを救う手段があるのではないかと、そうであって欲しいと願ったからだ。
しかし、クラリッサは唇を真一文字に引き結んだまま、顔をうつむかせ、小刻みに肩を震わせている。
それは彼女にも、手立てがないということを示していた。
「お願い、兄さん」
エミリアはエリックを安心させるように微笑みながら、彼女の最後の願いをあらためて言葉にする。
「私を、殺して、終わりにして、兄さん……。
今は、兄さんがいてくれるのと、クラリッサさんの魔法で、怖いのも、苦しいのも、感じないの。
だけれど、兄さん、私……。
私、とても、耐えられないの」
そんなことを、言わないで欲しい。
生きて、また兄妹として一緒に、昔のように、楽しく、幸せに笑って、生きて欲しい。
だが、そのエリックの願いを、エミリアに押しつけることはできない。
エミリアが受けた苦しみは、これから一生、エミリアに耐えがたい苦痛を与え続けることになるからだ。
「エミリア……っ」
エリックは、震える声でその名を呼ぶ。
「エミリアッ!! 」
そして、その絶叫と共に、エリックは聖剣を引き抜いていた。
自身の指が傷つくのもかまわず、刀身をつかみ、絶対確実に、一撃でエミリアの命を奪うことができるように、聖剣の切っ先をエミリアの心臓へと向ける。
そんなエリックに向けて、エミリアは、穏やかな微笑みを浮かべる。
「ありがとう……、兄さん」
そしてそれが、エミリアの最期の言葉となった。