・第283話:「聖母包囲網」
・第283話:「聖母包囲網」
20万もの数に膨れ上がった反乱軍は、とうとう、聖都を包囲した。
長命なことで知られるエルフでさえ、聖母によって支配された世界しか知らない。
それほどの長い期間続いて来た聖母の支配に、終わりが訪れようとしている。
今や、人類社会のほとんどが、反乱軍に味方していた。
聖母がその傲慢さ、残虐さから行った数々の行為は、人々に聖母への疑念を抱かせ、そして、エリックたち反乱軍がつかみ取って来た勝利の数々が、人間たちへの聖母への不信感を決定的なものとしていた。
常識で考えれば、絶対に勝つことのできない状況。
それを、エリックたち反乱軍は跳ねのけてきた。
それは、実は、エリックたちの方にこそ正義があり、聖母の方に正義がないからなのではないか。
神々に地上の統治を任されたという聖母の主張が、偽りだからではないか。
ならば、そんな聖母に従っていてよいのか。
聖母のために戦ったはずの者たちを、無慈悲に生き埋めにするような存在に、従っていてもよいのか。
人々の間に広がった疑念は、急速に拡大し、戦況を決定的にエリックたちにとって有利なものとしていた。
エリックの下には、続々と諸侯が集結し、その軍勢は20万にも膨れ上がって、何重にも陣地を築いて聖都を厳重に包囲している。
その一方で、聖母の下に集まった諸侯の数は少なく、その軍勢のほとんどが、つい先日まで戦い方など知らなかった者たちだった。
聖母の落ちぶれようは、包囲陣から聖都の城壁を見上げると、よくわかる。
その城壁の上には今でも聖母を象徴する紋章が描かれた軍旗がいくつもひるがえっているが、その軍旗を守っている兵士たちは、かつてのように完璧に武装を整えた教会騎士たちではなく、棍棒や長い棒きれなど、あり合わせの武器を持たされただけの信徒たちなのだ。
老若男女、様々な信徒が、城壁の守りについている。
まだ少年、少女と言っていい者たちや、白髪の老人。
そういった信徒たちが守りについている城壁は、これまで人間社会を支配して来た聖母がその威信を示すために、盛んに増築し、改修をくり返して来た堅固なものだ。
周囲は運河を兼ねる幅が広く深い堀によって囲まれ、城壁は高く厚く積み上げられ、いくつも建つ尖塔の屋根は美しい瓦でしあげられている。
その、この世界で最も堅固で、壮麗な城壁。
それを守るのが、装備もままならない信徒たち、にわか作りの軍隊であるというギャップが、聖母の没落ぶりをなによりも明らかなものにしていた。
しかも、聖都を守る信徒たちの戦意には、大きなムラがある。
聖母に絶対的な忠誠を誓い、狂信的に戦おうとする信徒が大勢いる一方で、この戦いに正義を見出すことができず、戦意を失っている者も少なくない。
そいった、戦意の小さな信徒たちは少しずつ聖都からの脱走を試みており、聖都を包囲した反乱軍に降伏して来る者たちも出てきている。
聖都には現状、籠城するのに十分な物資があるということだったが、それでもこれ以上聖母のために戦いたくはないという者たちもいるということだった。
聖母の勢力がそういった体たらくである一方で、反乱軍の戦意は高かった。
なにしろ、反乱軍の根拠地を出発する時には5000名程度であった反乱軍が、その40倍、20万もの軍勢に膨れ上がっているのだ。
しかも、今や人間社会の大半も反乱軍の味方であり、各地から集まって来た軍勢や、途切れることなく補給される物資の数々が、兵士たちが抱くこの戦いの展望を明るいものとしている。
ただ、エリックはまだ、この戦いの結末に楽観的にはなれずにいた。
というのは、聖母という存在が、未知数なものだからだ。
聖母は、長い時間を生き、不死の存在としてこの世界に君臨し続けてきた。
エリックが知った伝承では、元は人間の1人に過ぎなかった聖母は魔法研究によって不死の力を得て、神々を騙して自身がこの世界を支配する存在として成り代わったのだが、いったいどのような魔術や力を持っているかは知られていない。
なぜなら、聖母はこれまでなにかをする時は常にヘルマンや教会騎士たちを動かしており、自身でなにかをしたことはないからだ。
エリックが聖母と対決する時、聖母はどんな手段で抵抗して来るのか。
そもそも、エリックたちがもっている力で、聖母は滅ぼすことができるのか。
その点について、エリックたちはまだ、なんの確信も得られてはいなかった。
しかし、今さらだ。
エリックは、聖母を倒すための戦いで、多くの犠牲を払って来た。
父親に、親友に、自分自身。
妹のエミリアも、未だにその正確な所在はつかめていない。
聖母を倒して、自身の復讐を遂げ、この世界を聖母の支配から解放する。
エリックはもう立ち止まるつもりなどないし、聖母がどれほどの力を隠し持っているのだとしても、自身の勇者としての力と、魔王・サウラの力を用いて、聖母を滅ぼすつもりだった。
エリックは聖都の包囲を完成させると、総攻撃の準備を進めて行った。
数は20万もの多数にまで膨れ上がっていたが、反乱軍は各地から集まって来た諸侯の寄せ集めであり、その指揮系統は曖昧で、軍隊としては不完全な点が目立つ。
エリックはそんな状態の反乱軍の指揮系統を一本化し、各部隊がエリックの意志によって互いに連携しながら戦えるようにしなければならなかった。
また、それと並行して、反乱軍は聖都の城壁を打ち破るための攻城兵器の準備を開始した。
聖都の厚く高い城壁を崩すためには多くの投石機が必要だったし、城門を突破するために破城槌を用意しなければならない。
厄介なのは、聖都を囲っている運河だった。
堀としての機能をもたされているこの運河は、幅が広く、埋め立てようと思っても容易なことではない。
だからエリックたち反乱軍は、大量の船を準備し始めた。
元々運河の通行に使われていた船をかき集め、新たに建造もして、投石機で城壁を突き崩した箇所から一気に聖都の内部へと突入できるようにするためだ。
そうして攻城戦の準備が最低限整うと、エリックは投石機を使った攻撃を開始させた。
聖都を巡る攻防戦が、ついに開始されたのだった。