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・第231話:「卑屈なる者」

・第231話:「卑屈なる者」


 ヘルマンは、エリックに対する憎しみを胸に、歩き続けた。

 何日もかけて着の身着のまま歩き続けたヘルマンは、聖母がまだ支配している地域に到着し、その地を防衛している人類軍に発見されても、すぐにはヘルマンだとわからないような状態となっていた。


 それでもヘルマンは、とうとう、聖都へとたどり着き、聖母に、弁明する機会を得ることができた。


「お詫びの言葉も、ございませぬっ! 」


 ヘルマンは、聖母に拝謁はいえつするなり、その場にひれ伏し、叩きつけるような勢いで頭を床につけていた。


「聖母様から与えられた、貴重な1万もの教会騎士!

 100頭以上もの竜!

 数百の決死の精兵!


 そのすべてを失いながら、エリックを始末できなかったこと、このヘルマンの不徳の致すところにして、お詫びする言葉も見つけられませぬ! 」


 ヘルマンは、聖母に粛清しゅくせいされるかもしれないという恐怖と、エリックへの復讐ふくしゅう心とで声を震わせながら、聖母の慈悲にすがりついていた。


 そのヘルマンの言葉を、聖母は黙って聞いている。

 その黄金の仮面の裏でどんな表情を浮かべているのかは少しもわからなかったが、聖母は優雅に足を組み、左手で頬杖をつきながら、じっと、ひれ伏しているヘルマンのことを見つめていた。


「我が罪は、まこと、万死に値するものと心得ております……っ!


 しかしながら、こうして生きながらえて、聖母様の御前に醜態しゅうたいをさらしておりますのは、ひとえに、エリックめに復讐ふくしゅうを果たす機会を、お与えいただきたいからでございます!


 このうえは、我が身命を賭しまして、エリックめと刺し違え、聖母様のご恩に報い、聖母様の次の一千年のご安泰の糧となりたく思いまする!


 なにとぞ、なにとぞっ、わたくしめにご慈悲をっ! 」


 ヘルマンの弁明を、聖母は最後まで黙って聞いていた。


 そして、聖母との謁見えっけんの間に、沈黙が落ちる。


 ヘルマンの全身からは、冷や汗が吹き出し、あごを、頬を伝って、流れ落ちて行った。

 その沈黙は、ヘルマンにとってはまさに、恐怖の時間であった。


「ヘルマン、近くに」


 やがて聖母は、ただそれだけ、短い言葉でヘルマンへと命じた。


「はっ、ははーっ!! 」


 その聖母の意図はわからなかったものの、ヘルマンはただただ恐縮し、ひれ伏したままカサカサと、まるでゴキブリのように、聖母の方へと近づいていく。


「ヘルマン、もっと、近くへ。

 もっと、もっと近くに来るのです」


 ヘルマンは数メートル聖母へと近づくたびに停止して聖母の反応を待ったが、聖母はヘルマンが停止するたびに、さらに近くへ来るようにと命じた。


 そしてとうとう、ヘルマンは、聖母のすぐ足元にまで呼びよせられることとなっていた。


 ヘルマンは、ガタガタと震えている。

 これほど近くにまで呼びよせられたのは、初めてのことだったからだ。


 そんなヘルマンの頭上で、聖母はゆったりとした動きで組んでいた足を解くと、それをそのまま、勢いよくヘルマンの頭上へと落とした。


「ふぎゃっふ!? 」


 鼻を折られるような勢いで床へと蹴りつけられたヘルマンは思わずそんな悲鳴をもらしたが、すぐに慌てて声を飲み込んだ。

 おそらくはヘルマンに対して怒っている聖母の前で、痛いだの、苦しいだの、なにかをヘルマンが主張するだけで、処断されるような事態になるかもしれないからだった。


 そんなヘルマンのことを踏みつけながら、聖母は、ぐりぐりと靴裏でヘルマンの頭部を踏みにじると、やがて、泰然たいぜんとした口調でヘルマンに問いかけた。


「なぜ、お前は死ななかったのですか? 」


 聖母の、よく通る美しい声による、冷酷な問いかけ。

 ヘルマンはその言葉にビクリ、と肩を震わせると、「そ、それは……」と、言いよどんだ。


 エリックに対する復讐ふくしゅうをし、雪辱せつじょくを果たしたい。

 それは紛れもなくヘルマンの本心だ。


 だが、あの戦いの場から無様に逃げ出した時、ヘルマンはただ、死にたくないという一心で逃げ出したのだ。

 その臆病な心を、聖母はまるで、見透かしているような様子だった。


「……しかし、まぁ、いいでしょう」


 だが、聖母に粛清しゅくせいされるという恐怖におびえているヘルマンに、聖母は突然、優しい言葉を投げかけた。


「今回の戦いでは、わたくしも、多くのものを失いました。


 お前にあずけた、1万の教会騎士団。

 100頭を超す竜。

 数百の決死の精兵。


 お前の失態のせいで、わたくしの元にはもう、手駒はほとんど残っていないのです。


 ならば、せっかく生き残ったのですから、お前のことを活用することも、考えなければなりません」


 聖母は、ヘルマンのことを許したわけではなかった。

 その心の中では、決してヘルマンを許さず、その失態を不快に思っている。


 だが、状況が、ヘルマンにもう1度、機会を与えなければならないものとなっていた。


 聖母は、自身の思うままにすぐに動かせる戦力のほとんどすべてを失ったのだ。

 そんな中で、失態をかさねその無能をさらしたと言っても、聖母に忠実なヘルマンという手駒は、聖母にとって貴重な戦力となっているのだ。


「はっ、ははーっ!

 聖母様の、おおせのままに!


 このヘルマン、粉骨砕身、働かせていただきます! 」


 聖母はまだ、ヘルマンに利用価値を見出している。

 それはつまり、すぐにヘルマンが粛清しゅくせいされることはなく、ヘルマンがその汚名をそそぎ、うまくすれば復権できる機会さえあるかもしれないということだった。


 そう気づいたヘルマンは、聖母に踏みつけられたまま、笑みを浮かべ、聖母に対する忠誠の誓いを新たにしていた。


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