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・第23話:「孤独な旅:1」

・第23話:「孤独な旅:1」


 周辺の状況から見ておそらく、エリックが谷底へと捨てられてから、数日は経っている。

 谷底には雨と流れ出た血によっていくつも池ができていたが、積み上げられた死体の一部はすでに乾燥し始めており、また、少しずつ腐敗も始まっているようだった。


 エリックはそんな中で、さらに数日、自らの体力を取り戻すために過ごした。

 そうして、どうにか身体が動くようになり、長旅に耐えられると思えるようになると、エリックはいよいよ、谷底からい出るために動き始めた。


 死体から役に立つものを探し出し、体力を回復させている間に、い出ることができそうな場所をいくつか見つくろってある。

 エリックはまともに動けるようになった体で、目星をつけていた場所を順に確認していった。


 かつて聖母の怒りによって作られたとされる巨大な谷は、峻険しゅんけんな地形だ。

 そのほとんどの部分は切り立った岩肌で、たとえ道具があったとしても切り崩すのは難しい。


 エリックはその中でも、地形が風化して崩れてもろくなっている場所や、岩のとっかかりを見つけ、少しでも上に登ろうと試みた。


 だが、エリックは、何度も失敗した。

 崩れた場所は他より確かに斜面が緩くなっていたが、自然に崩れているほどなので足場が悪く、エリックは登ったらその分だけ滑り落ちた。

 岩にある手がかり、足がかりを使用し、よじ登ろうとしても、途中でとっかかりが途絶えてしまい、エリックは引き返すしかなかった。


 エリックは谷底からの出口を探し、さまよった。

 少しでも人間の住む大陸に近づくような方向に向かって進みながら、少しでも登れそうな場所があればよじ登ろうと試みた。


 やがて周囲からは、人類軍によって捨てられた魔王軍の遺体がなくなった。

 エリックは魔王城から離れつつあったのだ。


 それでも、谷底から脱出できそうな場所は見つからなかった。

 谷は長く、深く、エリックをそこから逃がすことを拒むようにそびえていた。


 やがて、エリックが谷底でかき集めた食料も、乏しくなってきた。

 人間とは異なる食文化を持つ魔王軍の食べ物の味には少しも慣れなかったが、少しでも長く動き続けられるように切り詰めながら食料を食つなぐしかないエリックには、今は砂のような食感で奇抜な臭いのする魔物たちの保存食でもごちそうだった。


 だが、水がない。

 エリックは谷底に溜まった泥水をすすって来たが、魔王城から離れてしまい、最後に雨が降ってから日にちも経ってしまったので、まとまった水分は見つからなくなっていった。


 水筒などという便利な道具はここにはなく、せっかく水分を見つけてもそれを持っていくことはできなかった。

 エリックは渇きをいやすために、谷底から脱出できる道を探しながら、少しでも水分となるものを常に探し続けた。

谷底に生息していたトカゲのような生物を見つければそれを狩って生のまま食らい、わずかに生えている植物につく朝露あさつゆをなめ、日差しの厳しい昼間はなるべく日陰でしっとして、夜に活動するように工夫した。


 それでも、エリックののどは乾き、水分を渇望かつぼうし続け、唇は乾いて皮が張りつくようになった。


 1日でも長く、生き延びるために。

 聖母になにが起こったのかを知らせ、自身の内側に存在する魔王を消滅させ、そして、裏切った者たちへ復讐するために。


 エリックはそのことだけを思い描き、生きて、進み続けた。


 やがてエリックは、谷の深さが、少しずつ浅くなってきていることに気がついた。

 歩むことをやめなかったエリックは、とうとう、谷の終端まで近づいて来たのだ。


 もし、谷の終端までたどり着いても、谷からい上がれる場所が見つからなかったら。


 そんな想像がエリックの頭の中に何度も生まれ、その度にエリックはその考えを打ち払った。


 自分は、必ず、この谷底からい出て、帰るのだ。

 そして、自分を裏切った者たちへ復讐し、自身が味わったのと同じ絶望をくれてやる。


 そうでなければ、そうならなければ、おかしいからだ。

 エリックはこれまで、勇者であるために自分自身を[殺し]、我慢し、耐えてきた。

 その、[努力]は、必ず報われなければならない。


 そのはずだ。


 エリックの心の支えは、その、固定観念的な考えだった。


 自分は、これまで、必死に戦って来た。

 それはきっと、報われる。

 そしてその、努力を続けてきたエリックを裏切り、否定した奴らには、相応の罰が下らなければならない。

 そうであるべきなのだ。


 その思いが、エリックを生かした。


 魔王・サウラは、エリックの中に存在をし続けていた。

 だが、サウラはじっと、なにも言わずに、エリックの行いを見ているだけだった。


 同じ肉体に併存へいぞんしているエリックには、サウラの魂胆こんたんがわかる。


 サウラは、エリックがこの谷底からい出ることはできないと、そう考えているのに違いない。

 そして、必死に努力し続けるエリックが、その希望を断たれ、絶望し、自ら命を絶つ瞬間を、落ち着き払って待ち続けているのに違いなかった。


 エリックが死に、その魂が肉体を離れれば、あのエルフの黒魔術士が施した黒魔術は完成する。

 エリックの魂が消滅すれば、その肉体はサウラによって支配され、そしてそれが成った瞬間、エリックの肉体は魔王の肉体として蘇生するのだ。

 エルフの黒魔術士が自らを生贄いけにえとして施した黒魔術は、今も有効で、生き続けている。


(もし、このまま谷の端まで行きついて、それでも上に登れなかったら……、その時は、谷の反対側の端まで行くだけだ)


 エリックは、絶望しそうになる自身の心にそう言い聞かせて、必死に自我を保った。


 魔王・サウラは、黙っている。

 自分でなにかを言うよりも、エリック自身に考えさせた方が、エリックにより深く絶望感を自覚させ、その意思を砕く近道となると知っていたからだ。


 孤独な旅だった。

 エリックにはかつて仲間がいたが、今は1人きり。

 これまでエリックが行ってきたこと、そのすべてが無意味だったという事実を突きつけられ、信じていた仲間にも裏切られたエリックには、その心の支えとなるような[誰かとのつながり]はもう、存在しない。


 だが、エリックは、歩き続けた。

 そしてエリックは、絶望に打ち勝った。


 エリックが進み続けて到達した、谷の末端。

 そこはこれまでになく大きく崩れており、エリックは崩落によってできた斜面を登り、とうとう、谷底から脱出することができたのだ。


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