・第22話:「地獄の底」
・第22話:「地獄の底」
元盗賊・リーチ。
聖母の使い・ヘルマン神父。
信じていたのに、エリックを裏切った2人の顔が、声が、思い出が、エリックの脳裏にあらわれては消えていく。
エリックを、2人がなぜ、裏切ったのか。
なぜ、エリックを背後から突き刺し、捨てる必要があったのか。
それを確かめ、復讐を果たす。
魔王・サウラの復活を阻止するために、聖母に救いを求める。
それもエリックを突き動かす理由だったが、この復讐心こそが、なによりも強力にエリックを[生かして]いた。
エリックが捨てられた谷底は、深い。
どこまで続いているのか、出口はあるのか、エリックは知らなかったが、この地獄の底から、エリックは必ず這い出るつもりだった。
よろよろとした足取りで歩き始めたエリックは、まず、これからの旅路に必要な装備を整えるために、積み重なった魔王軍の死体を漁った。
魔王軍の死体がそうなる前に身に着けていたはずの装備のほとんどは、失われていた。
魔王軍を圧倒し殲滅した人類軍が、[処理]を実行する前に使えそうなものは回収していったからだ。
だが、エリックの旅に役立ちそうなものは、いくらか見つかった。
人類軍が漁った後だったが、数万もの魔王軍の将兵の隅々まですべて調べつくせるはずもなく、見落とされたものや魔王軍の将兵が隠し持っていたものが残っていたのだ。
食料や、治療に使えそうな薬品や道具。
エリックは少しでも体力をつけるために食欲もないのに食べ物とわかればそれを腹の底に押し込み、自身の身体に残された傷にできるだけの治療を施し、長い旅に耐えるための準備をした。
エリックの衣服は谷底へ蹴り落された時に、ボロボロになって痛んでいた。
だからエリックは、死体の中からまともそうな衣服を見つけると、それをはぎ取って身にまとった。
武器は、さすがに見つけることができなかった。
そのため、エリックは不気味に思いながらも、エルフの黒魔術士が使っていた折れかけた杖を手に取り、護身用の武器として、そしてよろよろとしか歩けない自分自身の支えとして使うことにした。
新たな旅の支度を整える間、エリックは、聖女・リディアの姿も探した。
おそらくは彼女もまた、エリックと同じように背後から刺され、この谷底へ捨てられたのだろうと思ったからだ。
だが、死体の数はあまりにも多く、原形をとどめないほどに損壊しているものもあった。
結局、エリックはリディアの姿を見つけることはできなかった。
日が傾き始めたころ、エリックは死体を漁ることをやめ、野営の準備を始めた。
今すぐにでも、聖母に救いを求め、そして自分を裏切った者へ復讐するために出発したかったのだが、体力が回復しきっていない状態ではどうせ長く歩く前に力尽きてしまう。
だから、一晩、それで足りなければ数日、しっかりと身体を癒し、体力を取り戻すつもりだった。
すべては、復讐のため。
深い絶望を味わったエリックに再び[生き続ける意味]を与えてくれた、血塗られた報復のために。
エリックは、その身を焦がすように熱い、激しい焦燥感に必死で耐えた。
幸い、食料は思ったよりも多く見つかった。
貴金属などの価値のあるものはほぼきれいに奪い去られていたが、あまり希少価値がない上に人間とは異なった食生活をしていた魔王軍の将兵が持っていた食料に、人類軍はあまり興味を示さなかった様子だった。
だが、食べ物は、食べ物だ。
それに、今のエリックには味などまともにわからなかったし、どうでもよかった。
ただ、復讐のために。
エリックは、自身が生きる新しい意味となったそえだけを考え、そのためならばどんな労苦も、苦痛も、厭わない。
問題なのは、水だった。
乾燥した魔大陸では水分は貴重で、人類軍は水を丁寧に探し出して奪い取っていったようだった。
だからエリックは、谷底に溜まっていた、濁った液体をすすった。
それは、鉄の錆びたような臭いと味のする水だった。
エリックが谷底へと蹴り落された時に降った雨。
そして、谷底へ投げ捨てられた死体から流れ出した血。
それらがまじりあってできた液体を、エリックは自身の体内へと流し込んだ。
(リーチ……! ヘルマン神父……! )
自身の内側に、死した者たちの無念と怨念を受け入れるたび、エリックはその2人の顔を思い出す。
(リーチ……! オレは、お前の命を救ってやったのに! )
おそらく、エリックを背後から突き刺したのは、リーチだろう。
その時ヘルマン神父はエリックの正面にいたし、バーナードやクラリッサはその場にはいなかった。
とすれば、残るのはリーチだけだ。
それに、エリックはリーチによって、この谷底へ捨てられたのだ。
エリックにとって真っ先に思い浮かび、そして最優先で復讐するべきなのは、リーチだった。
(ヘルマン神父……! どうしてですか……! )
ヘルマン神父は、エリックがリーチに刺されるところを傍観していた。
それどころか、ヘルマン神父はそうなることをすでに知っていたに違いない。
それは、エリックがさされる直前のヘルマン神父の言葉からわかる。
今なら、あの時に感じた違和感の正体を、エリックは理解することができる。
ヘルマン神父は、エリックが背後から剣で貫かれることを知りながら、それを傍観し、意識を失ったエリックが谷底へ捨てられることを阻止しよともしなかった。
神父もまた、エリックを裏切ったのだ。
エリックは飢えと喉の渇きを打ち消すと、亜人種の遺体からはぎ取ったマントを被り、谷底から夜空を見上げながら、眠りについた。