・第200話:「焦燥:2」
・第200話:「焦燥:2」
エルフ族としての誇りも、自分が積み上げてきた偵察兵としての経験も、なにもかも、信じられなくなってしまった。
セリス自身、自分が、自分でなくなってしまったかのような不安を覚えている。
それでも、エリックに向かって、なにかを言わずにはいられなかった。
「エリック。
あなたは、よくやっているわ。
聖母に裏切られて、味方もほとんどいない、孤立無援な状況でも、あきらめずに必死に戦い続けて。
そして、今は、世界を救うために、人間も、私たちエルフ族も、魔物やドワーフやハーフリングや、たくさんの種族を全部ひっくるめて、救おうとしている。
そんなこと、簡単にできるようなことじゃないよ。
1人には、あんまりにも、重すぎることだよ。
人間だろうと、エルフだろうと、関係なく、ね。
だけど、エリック。
あなたは、それをやろうとしている。
それだけでも、あなたは十分、すごいと思う。
それに、あなたは、ここまで最短で、たどりついているはずよ。
聖母たちの妨害を何度も跳ねのけて、確実に、前に進んできたはずよ。
だから、エミリアのことは、あなたの責任じゃない。
聖母や、あの、ヘルマンとかいう、卑劣な奴らのせい。
もし、あなたに責任があるのだとしても、それは、あなたに救われて来た、私たち全員の責任でもあるはずよ。
時間がかかってしまったのだとしたら、それは、あなたが私たち大勢を救うために戦ってくれたからなんだから」
だから、自分1人ですべてを抱え込まないで。
自分を、そこまで追い詰めないで欲しい。
セリスの内心には、そんな風に考えている自分に、驚いている部分もあった。
大の人間嫌いであったはずの自分が、いくら相手が、勇者であり魔王でもあるエリックとはいえ、そんなふうに、少しでも励ましたい、なぐさめたいと思うようになるなど、まったく、想像したこともなかったからだ。
「……とても、そんなふうには、考えられないんだ」
セリスの真剣な言葉に、エリックは声を震わせながら感謝したが、しかし、自責の感情を乗り越えることはできないようだった。
「エミリアは、オレにとって、たった1人だけ残された肉親……、家族、なんだ。
俺は、父さんを、デューク伯爵を、救うことができなかった。
目の前で、死なせてしまった!
確かに、それをやったのは、ヘルマンや、聖母たちだ。
だけど、そもそもは、オレがバカじゃなくて、最初から、アイツらの正体に気づいてさえいれば、避けられたはずなんだ!
オレは、本当に、バカだった!
聖母たちのことを疑うことすらせずに、いいように使い潰されて、捨てられた!
オレが、聖母の正体に最初から気づいていれば、よかったんだ!
そうすれば、こんなことに……、こんなことには!
父さんも生きていたし!
エミリアも無事だったはずだし!
たくさんの魔物や亜人種たちを、殺さなくても済んだんだ!
そして、大勢の人間の、命だって!
全部、救えたはずなんだ! 」
エリックはセリスに背中を向けたままで、その表情は、わからない。
だが、その悲痛な感情は、表情など見なくとも、はっきりと伝わって来る。
セリスは、自分の胸が、絞めつけられるような感覚を覚えていた。
最後の肉親さえ、失うかもしれない。
その恐怖は、家族と言えばケヴィンという兄がただ1人残っているだけというセリスにも、よくわかることなのだ。
この世界に、たった1人だけで、残される。
そんな、深く、暗い、絶望。
家族の暖かさを知っているだけに、その闇はひときわ、濃いものとなる。
命がけで戦っている以上、そうなる覚悟はずっとしてきていた。
だが、覚悟していても、実際にそれが起こることを想像すると、やはり、恐ろしい。
その時、セリスは、人間嫌いであるはずの自分が、エリックのことを心配して、心からはげまし、なぐさめたいと考えるようになった原因を理解した。
エリックは、自分と同じなのだと、そう気づいたからだ。
勇者として、たくさんの同胞を傷つけてきた、憎むべき相手。
1度はこの手で殺してやりたいと思い、それを実行しようとしたこともある存在。
だが、そんなエリックも、自分と同じように家族のことを心配し、それを失うことに恐れおののいている。
エリックだけではない。
デューク伯爵や、クラリッサ、レナータなど、何人かの人間と関わる内に、セリスは、人間も自分たちと同じような感情を持っているのだと、そう気づかされた。
今でも、セリスの内側で、人間たちへの憎しみは息づいている。
多くの同胞を殺しただけではなく、セリスとケヴィンの両親の命を奪ったのは、まぎれもなく人間たちだからだ。
だがそれは、すべて、聖母がそうなるように仕向けたことだということも、セリスはすでに知っている。
人間も、魔物も、エルフやドワーフやハーフリングたちも、みなが持っている、家族や友人を守りたいという感情を利用し、対立を煽り、戦うように仕向けてきた聖母こそが、すべての元凶なのだ。
(人間のことは、やっぱり、嫌い……。
だけど、私は、この気持ちを、乗り越えなきゃいけないんだ)
1歩を前に、踏み出さなければならない。
憎しみを乗り越え、聖母の支配から人々を解放し、本来あるべき、平和に共存していくことのできる世界を作るために。
そしてなにより、セリスは、目の前で家族を失うことに恐れおののいているエリックの、力になりたいと思っていた。
ただ1人、勇者と魔王の力を持ち、世界を救うという役割を世話されたエリックの、今にも壊れてしまいそうな心を、セリスは支えたかった。
エリックは、自身の絶望に負けずに、この世界を救おうとしている。
では、そのエリックを救えるのは、いったい、誰なのか。
自分にできるかどうかは、わからない。
しかし、セリスは、少しでもエリックの助けになりたいと、そう思うようになっていた。
だからセリスは、無言のまま、そっと、エリックによりそっていた。
そして、きつくバルコニーの手すりを握りしめ、恐怖と後悔と怒りに震えているエリックの手に、セリスは自身の手を重ねていた。
「……セリス? 」
そのセリスの行動に、エリックは、驚いたような視線を向ける。
そしてそんなエリックのことを見つめ返したセリスは、無言のまま、「あなたは1人じゃない」と言うように、うなずいてみせる。
すると、驚いたままのエリックの双眸から、涙が一筋、こぼれ落ちた。
「……ありがとう、セリス」
そしてエリックは、絞り出すような声で、セリスに感謝の言葉を伝えた。