・第20話:「その後の始まり:1」
・第20話:「その後の始まり:1」
仲間に裏切られ、背後から突き刺され、谷底に捨てられて。
その上、自身の身体の中に、倒したはずの魔王・サウラがいて、エリックが死に、その身体の主導権を明け渡すことを、待っている。
その状況を理解し、嘆くエリックに、サウラは愉快そうな口調でなにがあったのかを教えてやる。
(我が眷属が、その最後の力を使い、汝の肉体の中に、我が魂を宿らせたのだ。……汝ら、聖母の眷属が、[黒魔術]と呼ぶ、古代の魔法によってな)
(黒魔術、だと……? )
衰弱した身体で無理をして死んでしまえば、エリックの身体はサウラに奪われる。
魔王が、この世界に復活してしまう。
そのことを理解し、受け入れられないながらも向き合うしかないエリックは、自身への負荷をなるべく減らそうと声には出さずに、サウラにたずねる。
黒魔術は、聖母に従わない魔族、そして亜人種たちの間で、古くから受け継がれて来た魔術の系統だった。
その存在を忌み嫌った聖母と教会は、魔族や亜人種たちが用いるこの魔術を邪悪なものとして指定し、人間には用いてはならない禁忌の魔術として、厳しい規制をかけている魔法だった。
その黒魔術の力によって、魔王・サウラはエリックの肉体の中に入り込んだ。
おそらく、死ぬはずだったエリックが再び目を覚ましたのも、この、黒魔術のせいなのだろう。
あの、エルフの魔術師の成したことだった。
(あの者は、偉大な魔術師であった)
サウラは、谷底へ捨てられたエリックの周辺に魔法陣を描き、自らを生贄として黒魔術を執り行ったエルフの黒魔術師のことを、知っているようだった。
その短い感想には、黒魔術士についての記憶を思い出しながら、その死を悼む気持ちが確かに込められていた。
(なにが、偉大な魔術師だ! 邪悪な黒魔術士じゃないか! )
サウラにとって、肉体を離れ消え去るはずだった自身をエリックの肉体の中にとどめ、復活する可能性を与えてくれたエルフの黒魔術士は、恩人であっただろう。
だが、エリックにとっては、おぞましく、憎らしい敵でしかない。
エリックの脳裏に、黒魔術の光景がよみがえる。
あの、混沌とした、黒い光。
谷底へ捨てられた死者たちの怨念が、無念が、流れ込んで来る感覚。
なにもかもが思い出したくもない、おぞましい記憶だった。
(かの者は、聖母に選ばれし勇者、人間とは異なる力を持った汝の肉体であれば、我の容れ物として適当であろうと思ったのであろう。しかしながら、大きな誤算をしたようだ。……汝がまだ完全には死しておらず、その魂が残っていたということに、かの者は気づかなかったようだ)
エリックは、もう、サウラの言葉など聞きたくはなかった。
だが、エリックが身体をくの字に曲げて地べたに這いつくばろうと、両手で両耳を塞ごうと、エリックの肉体の中にエリックの魂と共に同居しているサウラの声は直接、エリックの頭の中に響く。
(かの者は、虚ろとなった汝の身体を再利用し、我の新たな肉体として、我を現世にとどめようとした。しかし、汝がまだ[死にきって]おらなかったがために、1つの肉体の中に2つの魂が存在することとなったのであろう)
(うるさい! ……黙れ! )
エリックはサウラに向かって心の中でそう叫んだが、しかし、サウラは(ククク……)と、必死な様子のエリックを笑っただけだった。
(残念だが、それはできぬ。……先ほども、言ったであろう? このまま汝の身体の中にいれば、新たな肉体が手に入るのだ。わざわざ出ていく道理があるまい? )
(ふざけるな! これは、オレの身体なんだぞ!? )
(知ったことかよ)
エリックは必死に、サウラが自らの体の中から出ていくか、消滅するように祈ったが、サウラは嗤うだけだった。
(我は、聖母を倒すのだ。……かの者を滅し、我が眷属、我がすべてを成すと信じ、共に戦い、死んでいった者たちに、永遠の安寧と繁栄をもたらすのだ)
(なにを……! そんなこと、絶対に、させない! )
(フン。いくら汝がそう願おうと、どのように抵抗しようと、どうにもならぬさ。……我はここで待っているだけで、やがて、汝は消え去って、この肉体を明け渡すこととなるのだからな)
どういうことだ。
エリックがそうサウラにたずねようとした時、エリックの身体の内側で、異変が起こった。
「ぐ……っ、がぁぁぁぁぁぁっ!!? 」
自分の魂が、自分自身の中に入り込んできた混沌に食い荒らされ、浸食されていく感覚。
肉体が感じる、痛覚による痛みではなく、魂そのものがヤスリでゴリゴリと削り取られていくような痛みに、エリックはたまらずに悲鳴を上げた。
その痛みは、すぐに治まる。
(な……、なんだ、今のは……っ!? )
エリックが荒くなった呼吸をどうにかおさめようとしながら問いかけると、その疑問に、サウラが答えてくれる。
(汝の魂がこの身体に残っていたことは誤算であっただろうが、あの者は当世随一の魔術師であった。
その生命を投じた魔術は強力なものだ。
その魔術には、かの者の命だけではなく、この谷底に打ち捨てられし、数万の我が眷属の無念が込められてもいる。
あの者が施した魔術は、汝の肉体を、我が魂の新たな容れ物として、我を復活させることであった。
そして、その魔術は、今も、現在進行形でその[あるべき帰結]に至ろうと作用をし続けている。
あの者の施した魔術では、汝の魂はないもの、言い換えればあってはならないものなのだ。
すなわち、汝の魂はこれより先、徐々に我が力によって浸食され、やがて十分に時が経てば、汝は完全に消滅し、この肉体は我の物となるのだ)
エリックの魂が肉体から完全に離れず、その内側にとどまっていたために、黒魔術によってもその肉体の主導権がエリックの手から奪われることはなかった。
しかし、強力な黒魔術は、現在でも有効で、エリックの肉体をサウラのものとするべく働き続ける。
エリックの魂は徐々に魔王の力によって浸食され、やがて、完全に[食い殺される]。
今、自身の身体に起こった異変、自身の魂がヤスリで削り取られるような苦痛は、エリックの魂が、魔王・サウラによって浸食されたことによって生じたものだった。
時が経てば、エリックは消え去り、魔王・サウラは復活する。
その事実を知ったエリックは、絶望し、そして、恐怖した。