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・第18話:「目覚め:1」

・第18話:「目覚め:1」


 エリックの意識は、濃い闇の中に飲み込まれた。


 谷底に無残に打ち捨てられた、無数の遺体。

 それらの魂が抱えた無念、恨み、憎しみ、悲しみの感情が複雑に混ざり合った濁流だくりゅうがエリックの意識を包み込み、エリックは自分がそれに塗りつぶされていくのを感じながら、意識を失った。


 それから、いったい、どれほどの時間が経ったのだろうか。


 エリックが目を覚ました時、切り立った谷の断崖絶壁で切り取られた空は、明るかった。


 乾燥した不毛の大地である魔大陸の空らしく、雲一つない、明るい空。

 最後に見たその空には無数の黒煙が立ち上り、かすんでいたが、今はもう魔王城の火災もやみ、煙も消え去ったようだった。


「ぅ……ぁ……」


 エリックは息苦しさを感じ、そして自分がしばらくの間呼吸を止めていたということに気がついて、慌てて空気を吸い込んだ。


 谷底へとリーチによって蹴り落されたエリックの身体は、傷だらけだった。

 全身の骨があちこちで砕かれ、場所によっては皮膚を突き破って露出し、肋骨も何本も折れて、呼吸をすることすら難しかったのに。


 今のエリックは、痛みを感じはしたものの、肺いっぱいに空気を取り込むことができた。


 だが、その空気は、不快によどんでいる。

 無理もない話だ。

 エリックがいる谷底には、魔王軍の将兵や、非戦闘員たちの遺体が折り重なっており、それらから発せられた死臭、流血の臭いが、谷底には満ちているのだ。


 エリックは、何度か呼吸をくり返し、息苦しさを感じなくなってくると、次に、両手を空へと向かって伸ばし、なんどか手を握ったり、開いたりしてみる。

 力はあまり入らなかったが、それでも、エリックの手は、エリックの意志に従って動いてくれた。


 どうやら、エリックの身体はまた、エリックの意志で動かせるようになったらしい。

 そのことを確認したエリックは、ゆっくりとした動きで身体を起こした。


 全身の筋肉が固くなってしまっていた。

 それに加えて、エリックが動こうとするたび、身体には痛みの感覚が走り、エリックは顔をしかめる。

 だが、エリックは身体を起こすことができ、そして、その目で、谷底の惨状を見ることができた。


 知ってはいたことだが、改めて見ると、恐ろしい光景だった。

 谷底には、乱暴に投げ捨てられたために損壊が激しい遺体が積み重なっており、わずかに吹く風によってかつて衣服や魔王軍の軍旗であったボロ布が動くだけで、他に動くものはない。


 死に覆われた、沈黙の世界。

 まるでそこは、死者の世界だった。


 身体を起こすことができたエリックは、次に、ゆっくりと立ち上がる。

 1回目はバランスを崩して倒れこんでしまい、うまくいかなかったが、近くに杖代わりになりそうな、エルフの魔術師が使っていた魔法の杖の残骸があり、エリックはそれを頼りにどうにか立ち上がった。


 どうやら、エリックが意識を失ってから、もう何日も経っているのだろう。

 エリックを中心に描かれた魔法陣に満ちていた、水と血の入り混じったものはほとんど乾いていて、底の方にどす黒い血の塊が沈殿している。


 その、見るからにおどろおどろしい魔法陣の後継を目にして、エリックは身体を震わせた。

 あのエルフの魔術師は、自分にいったい、どんな魔法を使ったのだろうか。

 自分はなぜ、あれだけの傷を負ったのに、また目を覚まし、こうして立ち上がることができたのか。


 すべてがわからず、自分にどんな変化が起こったのかを知ることが、恐ろしい。


 エルフの魔術師は、エリックの足元で息絶えていた。

 その顔は、自身の望みが必ず叶うとそう信じ切り、歓喜の表情を浮かべたまま硬直し、その双眸そうぼうはカッと見開かれたままになっている。


 その魔術師の姿を目にした瞬間、エリックは思い出していた。

 魔術師が行おうとしていた魔術は、魔王を、エリックの身体を依り代として復活させるための儀式であったということを。


 邪悪な力、恐ろしい黒魔術だった。

 だが、エリックは、それは失敗に終わったのだと思った。


 なぜなら、エリックは、魔王としてではなく、エリックとして生き返ったからだ。


 エリックの頭の中には、エリックとしての記憶がある。

 有力な貴族の家に生まれ、英才教育を施されて育ち、そして聖母によって勇者として選ばれ、世界を救うために戦って来た記憶。


 そして、信じていた仲間に裏切られ、無残に谷底に捨てられた記憶。


「リーチ……! ヘルマン神父! 」


 エリックは、自分がなぜこんな場所にいるのかを思い出して、奥歯を噛みしめ、両手で自身の顔をかきむしった。


 エリックを背後から突き刺した誰か。

 それはきっと、リーチに違いない。

 あれだけ嬉しそうに、愉悦ゆえつの表情で、瀕死のエリックを谷底へと蹴り落したのだ。

 リーチであれば、喜んでエリックを背中から刺したのに違いなかった。


 そして、ヘルマン神父も、グルだ。

 とても信じられないような心地だったが、しかし、あの口ぶりや、背後から刺されたエリックを助けようともしなかったからだ。


 なぜ。

 そんな疑問が、頭の中を渦巻いている。


 自分は、リーチを助けてやった。

 自分は、勇者としての使命を果たすために、必死に戦った。


 それなのに。

 それなのに!


 裏切られ、背後から突き刺され、捨てられた!


(憎い、か……? )


 エリックの心の中で、裏切られたことへの喪失感、絶望、そして怒り、憎しみの感情がふくれあがった瞬間。

 唐突に、エリックの心の中で、自分のものではない言葉が響いた。


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