・第171話:「聖女」
・第171話:「聖女」
エリックは、聖母への怒りに震える身体を抑えながら、説明を続ける。
その説明は怒りのせいかたどたどしいものとなったが、なんとか意味は伝わった。
聖母が作り出した[戦争という仕組み]。
その仕組みの中で、魔王と勇者の役割は、聖母のために最後には[死ぬこと]だった。
魔王は、世界の[危機]を演出するために。
勇者は、魔王を倒し、人類に聖母の加護の存在を示すために。
勇者は、[聖母が人類に対して加護を与え]、[人類が聖母の加護を受けて脅威に勝利する]という[物語]を生み出すために、人間の中から選ぶ必要があった。
だが、その一方で魔王と聖女は、聖母の作り出した仕組みを機能させるための[パーツ]に過ぎず、聖母の強い支配下に置かれていたというのが、実態だ。
その[役割]を演じた後は、魔王は聖母に[再利用]されるために回収され、勇者は邪魔者として使い捨てにされる。
ただ1人生き残るのは、聖女だけ。
魔王を倒すという使命を果たした勇者を始末する聖女だけが、聖母の作った仕組みの中で生き続ける。
勇者は、魔王を倒すことができる力を与えられている。
そして、そんな勇者を始末するためには、勇者と同様の力を持った存在、聖女が必要だった。
聖女・リディア。
彼女は、魔王・サウラと同じように、聖母によって人為的に生み出された存在だった。
そして彼女は、聖母の[戦争という仕組み]を機能させ続けるために、これまで長い間その使命を果たし続け、幾人もの勇者たちを始末してきたのだ。
「ちょっと、待ちなよ、エリック」
その時、クラリッサが再び手をあげて、驚きのあまりかえって表情を失ってしまった様子で、エリックに質問する。
「その説明だと、リディアって、いったい、何歳なの? 」
クラリッサがそう思うのは、当然のことだった。
リディアの外見の年齢は、10代の後半。
エリックと同じくらいで、少なくとも、20代の後半に入っているクラリッサよりは若々しく見える。
そのリディアは、聖母によって人工的に生み出された存在で。
聖母が作りあげた[戦争という仕組み]を機能させ続けるために、魔王を倒すという使命を終えた勇者たちを、背中から刺し殺し続けてきた。
だとすると、リディアはもう、一千年以上、生き続けていることになる。
「……クラリッサ。
勇者様の、エリックの言っていることは、本当よ」
そのクラリッサの問いかけには、リディアがエリックの代わりに答えた。
「私は、聖母が、[戦争という仕組み]を作った時に、聖女として、聖母に忠実で、絶対に裏切ることがなく、確実に勇者を始末するために生み出した、人工的な生命体。
私は、たくさんの[聖女]たちと一緒に、ガラス瓶の中で生まれて、培養されたの。
だけど、聖母自身に永遠の命を、不老不死をもたらした力を応用して作られた私たち[聖女]は、完全な存在ではなかった。
たくさんの仲間が作られて、たくさんの仲間が[失敗]した。
その中から聖母に選ばれたのが、私。
そして私は、それ以来、何人もの勇者様を、背中から突き刺して来たのです」
リディアから、自分は一千年以上も生きてきたのだと明かされて、クラリッサは絶句していた。
聖母の秘密が明かされて驚いているところに、今まで妹のようだと思っていた存在が、自分よりも遥かに年上だったのだと教えられれば、誰だって思考停止してしまうだろう。
「けれども、実際に私が[生きた]と言ってもいい時間は、20年にも満たないだろうと思います」
そんなクラリッサをフォローするかのように、リディアは言葉を続ける。
「私は、聖女としての役割を果たすために勇者様と旅を共にする以外の時は、ずっと、大聖堂の地下に作られた聖母の実験場のガラス瓶の中で、[保管]されていました。
そこで覚えているのは、冷たさと、暗闇と、静寂だけ……。
私が、私として生きることができたのは、勇者様と一緒に旅をしている間だけでした」
そのリディアの言葉に、クラリッサは思考を取り戻したようだった。
聖母に騙されて来たというだけではなく、自分の直感まで信じられないとなってはショックもより大きいものだったが、少なくとも自分の直感や感覚は正しかったとわかれば、少しは落ち着ける。
それからクラリッサの顔には、苦々しさと、怒りが浮かんできた。
聖母たちのリディアへの扱いは、まるで[道具]だった。
用があれば保管場所から取り出していいように使い、用がなくなればまた保管場所にしまい込んで、ずっと放置する。
エリックやクラリッサの見るところ、リディアは人間と同じに見えた。
聖母に作り出され、すれに一千年以上もこの世界に存在し続けているのだとしても、リディアはエリックやクラリッサと同じように笑ったり泣いたり怒ったりする、感情のある存在だった。
そんなリディアを、聖母たちは道具として扱って来た。
それはとても、許せるようなことではない。
しかし、エリックは複雑な気持ちだった。
リディアの事情は、エリックにも同情心を覚えさせるほどのものだった。
だが、リディアはエリックを背後から突き刺した、裏切り者の1人なのだ。
やはり、その事実は、エリックの心の中に引っかかっている。
リディアがそのために生み出され、彼女自身が望まないにも関わらず、聖母たちに勇者を始末するという役割を強制されて来たのだとしても、エリックを殺したのはリディアなのだ。
そしてエリックは、これまで、そんなリディアに対しても復讐するのだという望みを燃料として、[死なずに]いたのだ。
リディアの事情を知ったところで、簡単にすべてを忘れ去ることなどできはしなかった。
だが、それを乗り越えなければならないというのも、エリックは頭では理解してもいる。
リディアは自らの意志で聖母に反抗したが、その誕生の経緯と、聖母たちの強い支配下にあったことを考えれば、その反抗は相当な決意がなければできなかったことのはずだからだ。
リディアは、エリックへの罪を償うために、彼女にとっての[すべて]を捨てた。
そんなリディアのことを、エリックは、できれば許せるようになりたかった。