・第164話:「反撃の始まり」
・第164話:「反撃の始まり」
長い夜が明けようとしている。
変異した聖騎士たちによってもたらされた惨禍で、街の半分が破壊され、焼け野原となった夜が、終わろうとしている。
東の空がうっすらと明るくなり始めても、街で起こった火災はまだくすぶっていた。
だが、魔法学院から派遣された魔術師たちや、生き延びた人々の懸命な消火活動によりほとんどの火災は鎮火し、辺りは、落ち着きを取り戻しつつあった。
街を無差別に破壊し、多くの人々を傷つけた聖騎士たちは、そのすべてが討伐されていた。
核である心臓を失い、その肥大化した身体を維持できなくなった聖騎士たちは残骸となり、そのドロドロとした気味の悪い体組織をたれ流しながらその遺骸を横たえている。
力を失ったその遺骸は、すでに腐り始め、辺りに臭気をまき散らし始めていた。
魔法学院の学長・レナータの指示によって、その体組織のいくらかが回収されて、すでに魔法学院で研究が開始されていた。
同時に、研究用のサンプルとして採取されない残りの大部分は、すでに腐り始めていることや、放っておくとどんな疫病をもたらすかもわからないために、魔術師や兵士たちの手によって焼却処分が行われつつあった。
また、それと並行して、街では被害に遭った人々の救出作業が続けられている。
聖騎士の下敷きになった者や、倒壊した建物の下敷きとなってしまった者。
その多くは命を絶たれることとなったが、中には負傷しただけでまだ生きている者がいるし、無傷なまま建物の瓦礫に閉じ込められている者もいる。
そういった、適切な治療が施せれば助けられるかもしれない人々を救うことは、最優先事項だった。
リディアは、その聖女としての力を使い、できるだけ多くの人々を救おうとしていた。
聖母から与えられた人々の傷を癒す力は、リディアが聖母たちに反抗した今でも有効なものであり、人々の命を救い続けている。
古く、威厳ある建造物が立ち並んでいる魔法学院は、魔法のシールドの力によって守られたために被害こそなかったが、まるで戦場のようだった。
多くの避難民だけではなく、負傷者たちが運び込まれ、その治療が必死に続けられているからだ。
リディアは懸命に自分の癒しの力で人々の傷を治し、また、魔法学院の魔術師たちだけでなく、避難して来た人々も協力して負傷者を救おうとしている。
だが、それでも間に合わずに、息を引き取っていく人々が続出していた。
魔王・サウラの存在を受け入れ、新たな姿と力を手にしたエリックは、そんな魔法学院へと舞い戻って来た。
鎧のような甲殻で全身を覆い、背中に4枚のコウモリの羽を生やし、そして、その手に聖剣を持った姿で、エリックは魔法学院の正門の上に降り立った。
彼は、今までずっと、戦い続けていた。
街を無差別に破壊し続けていた聖騎士たちをすべて屠った後も、上空を飛び回り、クラリッサを救出するための陽動をしていたケヴィンたち残党軍を攻撃していた竜たちを倒して回っていたからだ。
飛竜をあやつる竜騎士たちのほとんどは、地上で起こっている惨劇を目にして動揺し、エリックからの攻撃を受けると戦意を喪失して逃げ散って行った。
いくらかは、聖母への狂信を発揮してエリックと戦ったが、勇者としての力で聖剣を振るい、魔王の力をも手にしたエリックによって討ち取られていった。
今、街の周辺からは、聖母に忠誠を誓っている勢力は一掃されていた。
教会騎士たちは壊滅し、生き延びた者は逃げ散って行ったし、聖騎士が変異したバケモノに襲われた人々や兵士たちはもう、聖母のことを信用していない。
もちろん、まだ聖母のために自分たちがこんな目に遭わされたのだという状況を受け入れられない者も大勢いたが、しかし、少なくとも聖母のためになにかをしようとか、エリックのことを攻撃しようと考える者は誰もいない。
この日の夜、誰もが、目撃していたからだ。
4枚のコウモリの羽で、街を燃やす炎の明かりに照らされながら夜空を飛翔し、人々を救うためにバケモノたちと戦ったエリックの姿を、誰もが知っていた。
おそらく、事情を知らない者が見れば、今のエリックの姿に恐怖し、パニックを起こしたのに違いなかった。
エリックの今の姿はあまりにも異質で、人々がその存在を理解し、受け入れることは容易なことではないはずだからだ。
しかし、人々は舞い降りてきたエリックの姿を見上げると、誰もが祈りを捧げるようにエリックに向かって手を組んで頭を下げた。
まるで、人々が日常的に、この地上の世界の支配者であり、人類を守護していると信じられていた聖母に向かって、祈りを捧げるように。
人々はエリックに向かって、感謝の祈りを捧げていた。
ああ、よかった。
エリックは、ほっと安心して、嬉しい気持ちだった。
犠牲になってしまった、救えなかった人々も、大勢いる。
だが、エリックは、目の前で自分に向かって感謝の祈りを捧げている、数えきれないほど多くの人々を救うことができたのだ。
そうして、ほっとすると、エリックの身体から力が抜けた。
エリックはその場に立っていることができず、ばたり、と倒れこむ。
するとエリックは、自分の身体が徐々に、人間らしい姿に戻っていくのに気がついた。
(まだ、汝の身体は、我が、魔王のものとして完全ではない。
ゆえに、我が力を用い、我が姿でいられる時間には、限りがあるのだ。
ただ、完全に、戻るわけではないが)
「そうか……。
それでも、良かった」
自身の内側からサウラにそう説明されると、エリックは大きく溜息をついた。
2度と元の身体に戻れないのではないか、たとえそうなっても受け入れようと、そう思ってはいたものの、やはり、自分がまだ人間で、[エリック]でいられることは、嬉しいことだった。
だが、サウラが言った通り、エリックの身体は完全に元の人間のように戻れたわけではなかった。
羽はなくなったし、全身をおおっていた甲殻もそのほとんどが消滅したが、一部はエリックの元々の人間の皮膚と一体化するような形で残り、エリックは自身の骨格にも違和感を覚えていた。
エリックは、地平線に顔を出し始めた朝日に向かって自身の手をのばし、そして、自分の身体に起きた変化を観察した。
エリックは、まだ、人間と呼ぶことができる状態だった。
少なくとも、エリックはまだそう思っている。
だが、エリックはもう、後戻りのできない1歩を踏み出してしまっていた。
エリックに後悔はなかった。
なにが起ころうとすべてを受け入れるつもりで魔王の力を手にしたのだし、エリックはその決断によって、多くの人々を救うことができたのだ。
エリックは、朝日を自身の手の平につかむように、手を握りしめる。
「待っていろよ、聖母。
それに、ヘルマン。
この報いは、必ず、受けさせる! 」
それは、エリックにとっての、反撃の合図だった。