・第147話:「本当の気持ち」
・第147話:「本当の気持ち」
リディアは顔をうつむけたまま、震え続けている。
しかしそれは、先ほどまでの、葛藤や、聖母やヘルマンに対する怖れから来る震えではなかった。
エリックへの、怒り。
今のリディアは、その怒りに、震えている。
「あなたに……、いったい、なにが、わかるというのですか? 」
エリックの耳に、リディアが小さな声でそう呟くのが聞こえる。
自分が、エリックを裏切るのは、仕方のないことなのだ。
それは聖母の命令で、ヘルマンからの指示で、リディアに与えられたもう1つの、役割だ。
だから、自分はやりたくはないけど、やらなければならない。
リディアはそう思うことで、エリックを裏切るという行為によって生じる、リディア自身の良心の呵責を打ち消していた。
そして、そんな自分を、「なんて、不幸なんだ」と嘆くことで、リディアは自分のことを守っていたのだ。
ヘルマンとは違って、リディアは、良心を持っていた。
自分のことを信じて背中を見せているエリックを裏切り、背後から突き刺すことを躊躇し、その行為を[悪]だと感じる心を持っていた。
その罪悪感は、リディアの心を苦しめる。
だからリディアは、そんな自分のことを「かわいそうだ」と嘆くことで、自分は悲劇のヒロインであり、そういう[運命]なのだと、言い訳をしてきた。
そうでもしなければ、自分という存在を、リディア自身が[容認]することができなかったのだ。
それを、エリックに正面から指摘されて、リディアは、怒っていた。
表面的にそれは、「なにも知らない奴が、知ったふうな口をきくな」という感情ではあったが、深層では、自己防衛本能が働いた結果だった。
自分は、かわいそうなのだ。
そう思わなければ、リディアは、自分自身のことを決して、許すことができない。
自分のことを信じてくれていた者たちを裏切り、その命を絶ってきた、卑劣な行為を行って来た自分のことを、認められない。
リディアにとって、「自分はかわいそうなのだ」と思い込むことは、自分がこの世界に存在しても良いという、その[理由づけ]となっていた。
そして、もしもその理由を失ってしまえば、リディアは、自らその命を絶つほかなくなってしまう。
死をもって、償うほかはない。
それほどに罪深いことをしているのだという自覚が、リディアにはあるのだ。
「フン、たわごとを、ぺらぺらと」
エリックに対して怒りながらも、それでも聖剣をかまえないリディアのことを呆れたように見つめていたヘルマンだったが、やがてエリックへと視線を向けると、そう鼻で笑い飛ばした。
「どうせ、お前と一緒に忍び込んできたネズミどもを逃がすために、時間稼ぎでもしようというのだろう?
ハッ、心配するな!
貴様を消滅させた後で、じっくり、他の反逆者どもも始末してくれる」
エリックは口の中で小さく、チッ、と舌打ちをしていた。
ヘルマンの、余裕ぶっていて人のことを見下した態度は癇に障るが、言い返せないのだ。
そんなエリックのことを満足そうな目で見た後、ヘルマンはリディアへと視線を向けなおし、改めて命じる。
「さァ、リディア!
エリックにトドメを刺すのだ!
そして、聖母様への忠誠心と、自分が聖母様にとって役立つ手駒だということを、示すのだ!
……それとも、リディア。
貴様、また、あの[ガラス瓶]の中に、戻りたいのか? 」
そのヘルマンの言葉で、リディアの顔色が変わった。
それだけは、嫌だ。
そんな嫌悪と怖れの表情が浮かび、リディアの顔色がみるみる、青ざめていく。
(ガラス、瓶……?
いったい、なんのことだ? )
エリックは内心でいぶかしんだが、しかし、その答えを知る時間は、なさそうだった。
ヘルマンの一言によってとうとう、リディアはエリックに聖剣を突き刺すことを、決心したようだからだ。
リディアは、良心の呵責と、ヘルマンが言った[ガラス瓶]という言葉への恐怖で小刻みに震えながら、ゆっくりとした動きで、聖剣をかまえる。
腰だめに、右手で柄を持ち、左手で持ち手にもなっている鍔を持ち、身体の脇に抱え込んで、しっかりと相手に突き刺せるように。
おそらくは、エリックを背中から突き刺した時も、リディアはこんなふうに聖剣をかまえていたのだろう。
エリックの心臓をその切っ先で確実に貫き、その命を奪い去るために。
そして、せめて、エリックを苦しませないように。
エリックは、リディアが聖剣を突き刺すその瞬間を、静かに待った。
聖母に対する復讐を、あきらめたわけではない。
リディアがエリックに聖剣を突き立てた瞬間に、この場を切り抜ける、最後のチャンスがあると感じていたからだ。
エリックは黒魔術によって、簡単には死ねない。
だから、リディアが聖剣を突き刺したところで、エリックは即座に蘇生し、動き続けることができる。
その、死への猶予時間の間に、リディアに反撃をする。
たとえば、その首を絞めたり、目を潰したり。
素手でもできる攻撃を駆使して、そして、リディアが聖剣を自ら手放せば、エリックがそれを奪って使うことができるかもしれない。
(オレは、どんな手段を使っても、聖母を滅ぼす! )
エリックは冷静に思考をめぐらし、しかし、消えることのない復讐の炎も燃やしながら、リディアに向かって両手を広げて見せた。
「さぁ、突き刺せよ、リディア!
だが、ちゃんと、急所を狙えよ?
じゃないと、オレはまた、蘇るからな! 」
それは、リディアを動揺させるための言葉だった。