・第139話:「救出作戦:1」
・第139話:「救出作戦:1」
クラリッサを、救い出す。
そう決心したエリックと残党軍は、限られた時間の中で、できるだけの準備を進めていた。
状況は、はっきり言って、悪い。
残党軍にはまだ多くの生き残りがいたが、野営地を失ったばかりで武具に乏しく、負傷者も多くいて、戦える者も少ない。
そして、負ったダメージを回復するための時間も、与えられていない。
聖母たちは、すべて織り込み済みでやっていることなのだろう。
人質とすることのできたクラリッサを使い、消耗しきっている残党軍をさらに苦しめる。
そのために、間髪入れることなく揺さぶりをしかけてきているのだ。
クラリッサを救うためにエリックたちがのこのことやってくるのなら、それでよし。
罠を用意して待ち構え、取り囲んで、袋叩きにしてしまえばいい。
もし、エリックたちがクラリッサを見捨てるという決断をしても、問題はない。
それはエリックたちに自分たちのおかれた絶望的な状況を思い知らせたということで、聖母に反抗しようという意思をくじいたことになるからだ。
だが、エリックたちはあきらめなかった。
ケヴィンの号令によって、残党軍は戦える者を集め、クラリッサを救出する準備を始めた。
聖母の支配に抵抗し、その本性を暴き、裁きを受けさせる。
その共通の目的のためにエリックたちは団結し、人間、魔物、亜人種といった、種族間の隔たりを超えて協力し始めていた。
救出作戦のタイムリミットは、クラリッサの体力がいつまでもつか、ということにかかっていた。
磔にされたクラリッサは今も衰弱をし続けているはずで、救出が遅れれば彼女は磔にされたまま息絶えるか、ヘルマンによって火あぶりにされてしまう。
だから、クラリッサの救出作戦は、そこまで凝ったものにはできない。
残党軍の一部を陽動とし、陽動部隊によって敵を混乱させている隙に、エリックを中心とした数名の精鋭だけで敵中に潜入し、クラリッサの近くまでたどりついて、彼女を救出する。
おそらく、こんな作戦は、すぐにヘルマンたちに見破られてしまうだろう。
だが、エリックたちには他の作戦を用意するだけの時間も余力も残されてはいなかった。
泣き寝入りは、絶対にしない。
しかし、救出作戦が成功する見込みは、低いといわざるを得なかった。
ケヴィンはこの半ば自殺行為とも言える救出作戦を実行するのにあたって、特に、エリックと共に敵中に潜入し、クラリッサの救出にあたる者については志願制とし、自ら名乗り出た者の中からさらに精鋭だけを選ぶことにした。
なぜなら、潜入する者たちに生還の見込みはほとんどないからだ。
陽動につく者たちも、もちろん危険だ。
クラリッサが磔にされている場所に聖母たちはできる限りの戦力を集めており、激しく反撃して来るのに違いない。
それだけではなく、きっと、残党軍の野営地に空から火をかけた竜たちも、待ち受けているはずだった。
陽動は複数の小部隊にわかれ、同時に多数の方向から攻め込むそぶりを見せ、辺りに火をつけるなどし、敵が追って来たらそれを引きつけつつ後退するということになっていたが、竜に捕捉され、身を隠せる場所にまで逃げ込む前に襲われてしまっては、犠牲が出ることは避けられなかった。
だが、これほど危険な陽動作戦であっても、クラリッサを直接救出するために潜入するエリックたちの方が、さらに危険であるといえた。
エリックたちは敵の罠の中に直接、飛び込んでいくことになるからだ。
そしておそらくは、クラリッサを救出するためには、ヘルマンかリディア、あるいはその両方と、戦わなければならない。
うまくクラリッサを磔台から解放することができたとしても、衰弱しているはずの彼女を連れてそこから脱出できる見込みもない。
ほぼ確実に、潜入する者たちは全滅するだろう。
そんな、必死の任務であるから、その任につくのは志願者を選ばなければならなかった。
手をあげた者は、少なくなかった。
普通なら、危険と、自分の命とを天秤にかけ、慎重に悩み、考えつくしても結論を出せないような困難な問題であるはずだったが、残党軍の兵士たちには意外なほどあっさりと志願を決意する者が幾人もいた。
エリックには、その志願者たちの気持ちが、なんとなくだがわかった。
自分は、すでに死んでいる。
そう考えているのに違いなかった。
今、ここに生き残っている残党軍の兵士たちの多くは、生き残った難民たちを守りたいと願っている。
自分が生きて、戦い続ける理由を持っている。
しかし、中にはすでに何度も死線をくぐりぬけ、そして、自身が守るべきだった、守りたかった大切なものを失ってしまっているという兵士たちも、多くいる。
志願してきたのは、そういった兵士たちだ。
もはや守るべきものはなにもなく、自分の命を惜しむよりも、正しいこと、行われるべきこと、すなわち、聖母に正当な報いを受けさせる、そのために戦う。
その、生死を超えたところに自分という存在を置いている者にとって、成すべきことを成すためにできることをするのは、ごく自然なことだった。
ケヴィンは、志願した者たちの中から慎重に人員を絞り込んで選んだ。
まず、負傷していて体調が万全でない者は取り除かれ、次に、それぞれの技量や性格によってふるいわけがされた。
潜入だから、大人数で行くよりも、なるべく少数の方が成功しやすい。
できればその技量も、優秀であればあるほど良い。
選ばれたのは、エリックの他に、セリスと、4名の兵士たちだけだった。
エリックも他の兵士たちもみな納得しての人事だったが、セリスについては、少しもめた。
なぜなら、本当はケヴィンが自ら行くと志願していたのを、周囲の者たちで説得して、無理やりセリスと交代させたからだ。
ケヴィンとしては、自分がクラリッサを救出しに行くという決定を下したのだから、もっとも危険な役割を果たすというつもりだったのだろう。
しかし、残党軍にとって、ケヴィンはなくてはならない存在だった。
もしケヴィンがいなくなれば、残党軍はきっと瓦解して、バラバラになる。
だから、アヌルスを始め多くの者たちがケヴィンを説得し、そして、セリスが「兄の代わりに自分が行く」と申し出たのだ。
セリスは残党軍の中でも特に優秀な偵察兵、隠密行動の専門家だったから、誰からも異論は出されなかった。
ケヴィンは迷っていた様子だったが、結局はセリス自身に説得されて、陽動部隊の指揮をとることに決められた。
そうして、限られた時間と戦力の中で、エリックたちは、クラリッサを救うためにできるだけの準備を整えていった。
※作者より
熊吉はちゃんと読んだことがないのですが、[葉隠]という武士の心得を説いた有名な書物には、「武士と云うは死ぬ事と見付けたり」、ということが書いてあるそうです。
熊吉は他の人から聞いただけなんですが、自分はもう死んでいるのだから(そんなふうに覚悟をすれば)、恐れずに敵と戦うことができるし、主君に対して罪に問われることも恐れずになんでも気づいたことを諫言することができるし、自らの損得を超えた視点から[正しいこと]を見極め、その正しいことを躊躇わずに行えるようになると、そういうような意味であるそうです。
今のエリックたちの心情は、それに近いものとして考えています。
熊吉は、武士にあこがれもあるのですが、武士に生まれてよかったなとも思います。
とてもマネできない生き方です。