・第135話:「学長・レナータ:3」
・第135話:「学長・レナータ:3」
それは、強い悲しみの感情だった。
レナータの悲しみは、ただ、友人を失ったというわけではない、それ以上に深く、つらいものだった。
きっと、レナータ学長とデューク伯爵との間には、口で[友人だ]という以上のものがあったのに違いなかった。
それは、男女の間に成立した恋慕の感情なのかもしれなかったし、あるいはそういった男女という性別とは関係なしに成立した愛情なのかもしれなかった。
なんにせよ、レナータにとって、デューク伯爵は特別な存在であったのだろう。
そして、おそらくはデューク伯爵にとっても。
デューク伯爵は、すでにこの世にはいない。
クラリッサたちの目の前で、息を引き取った。
クラリッサは、不可抗力とはいえ、その最期の瞬間の情景をレナータに見せてしまったことを後悔していた。
口伝てに聞くよりも、はるかに受けるショックが大きかったはずだからだ。
(……クラリッサ、あなたが、気にするようなことではありません。
私が、知ろうとしたのが、いけないのです)
そのクラリッサの後悔が読み取れたのか、レナータはそう伝えてくる。
それからレナータは顔をうつむけたまま、そっとハンカチで涙をぬぐうと、また、クラリッサのことを見上げた。
(やはり、聖母や、ヘルマンの言っていたことは、ウソであったのですね。
クラリッサ。
私のことを、気にかける必要はありません。
あなたが知っている[真実]を、すべて、私に教えてください)
クラリッサは、そのレナータの要求に、否とは言えなかった。
念話によって断固としたレナータの意志を直接示されているだけではなく、真剣な、覚悟のこめられた表情で真っ直ぐに見すえられてしまっていたからだ。
クラリッサは、やむを得ず、自分の知っている限りのことをレナータに教えた。
エリックが勇者としての使命を果たしたその時、聖母たちによって裏切りが実行されたこと。
かろうじて生き延びたエリックは、偶然に魔王軍の残党たちと合流し、互いに協力して、聖母の正体を暴き、裏切りの報いを受けさせようとしていること。
クラリッサは、エリックの身体に魔王・サウラの魂が存在し、黒魔術によって、エリックの身体が徐々に魔王・サウラのものとして作り変えられているという現状も、隠さずにレナータへと伝えた。
人間にとって[世界を滅ぼそうとする大敵]であるサウラが、エリックの身体を利用して復活しようとしているという事実は重大で、場合によってはエリックやクラリッサへの助力を躊躇わせる理由にもなり得ることだったが、レナータには伝えるべきだと思えたからだ。
レナータは、クラリッサ以上にすぐれた魔法使いだ。
その力があればエリックにかけられた黒魔術を解除するのに大きく役立つであろうし、解決までの道のりもずっと短くなるはずだった。
それに、レナータはずっと、聖母のことを[聖母]と呼び捨てにしている。
その1つの事実だけでも、レナータが多くの人々のように聖母のことを盲信してはおらず、逆に、不信感を持っているということがわかる。
そうでなければ、デューク伯爵の死について、ヘルマン神父の言い分を信用せずに疑い、真実を知るために危険を冒してクラリッサの前に姿をあらわすことなどないはずだ。
几帳面で真面目な性格のレナータが、人間社会の[絶対]である聖母の意向に反する行動をとっているという時点で、彼女のことは信用に値すると判断できる。
(レナータ学長。
これが、危険で、困難なことで、人類そのものを敵に回してしまうかもしれないということは、よく、わかっています。
それでも、あえて、お願いします。
あたしを、そして、エリックを、助けていただけませんか? )
クラリッサは、自身の説明を聞き終え、険しい表情で押し黙っているレナータに向かって、できるだけの気持ちをこめて訴えかける。
もしレナータが協力してくれれば、その影響は大きい。
レナータ自身が優秀な魔術師であるだけではなく、彼女は社会的な信用を持っており、その言葉であれば、クラリッサやエリックがなにかを言うよりもずっと、人々に説得力を感じさせることができるはずだからだ。
そうして、魔法学院の魔術師たちの協力も得て、さらに、人間たちの一部からでも協力を得ることができれば、状況は一変するだろう。
エリックや残党軍と力を合わせれば、聖母に対抗する望みが出てくる。
少なくとも、今の状況よりはずっと、希望が持てる。
(残念ながら、私の力だけでは、そこまでのことはできないかもしれません)
クラリッサの期待が伝わってしまっていたのか、レナータは少し申し訳なさそうにそう念話で伝えてくる。
(魔法学院でも、多くの者が聖母の存在は絶対のものとして考えているのです。
我々人類は、長い間、そう信じて生きてきましたから。
ですから、いくら私の言葉とはいえ、人々を目覚めさせることは難しいでしょう)
(あー……、まぁ、そう、ですよねぇ……)
クラリッサは、落胆した。
おそらくレナータは手を貸してくれるだろうが、だからと言って、クラリッサが思ったようにはうまくいかないと理解できたからだ。
冷静に考えれば、そんなことはすぐにわかるはずだった。
しかし、追い詰められてしまったクラリッサはわらにもすがるような気持ちで、わずかな希望でも大きく輝いて見えてしまう。
自分がそういう状況に、磔にされて、足元に並べられた薪にいつ火をかけられるかわからないという状態にあることを、クラリッサは再認識させられた。
(クラリッサ。
ですが、あきらめては、いけませんよ)
レナータは、そんなクラリッサをはげました。
(困難ではあるかもしれませんが、私は、あなたを救うために、そして、聖母たちの罪を明らかにして償いをさせるために、できる限りのことをするつもりです。
デューク伯爵も、エリック殿も、このような仕打ちを受けるようないわれはありません。
そして、クラリッサ、あなたも、このようなむごいことをされる理由は、ないのです。
私は、正しいことが好きなのです。
ですからきっと、クラリッサ、あなたをこの場から救い出して見せます)
(……ええ、はい。
信じて、頑張ります)
そのレナータの言葉に、クラリッサはまた、力を取り戻していた。
そしてそのことを確認すると、レナータはクラリッサに向かって「約束します」と言うように力強くうなずいてみせた。