・第118話:「撤退:2」
・第118話:「撤退:2」
エリックはここで、引き下がりたくはなかった。
教会騎士たちをもっと倒してやりたかったし、エリックはまだ、ヘルマンにもリディアにも、一矢も報いることができていない。
だが、ケヴィンの撤退という判断に、異議をさしはさむつもりにはなれなかった。
聖剣を持たないエリックでは、ヘルマンやリディアにかなわない。
認めたくはないことだったが、エリックはその事実を認めないわけにはいかなかったからだ。
たとえ、今のエリックの力が聖母に、ヘルマンやリディアにさえ届かないのだとしても、エリックは自分自身の復讐をあきらめるつもりはない。
だが、ここで感情に任せて無暗に戦ったとしても、エリックの望みを果たすことはできない。
これは、逃げるのではない。
あくまで、最後の望みを果たすために、聖母を倒すための方法なり、力なりを手にするために、一度引き下がるだけだ。
エリックはそう考えることで自分をなぐさめながら、強く奥歯を噛みしめた。
ケヴィンが撤退の判断を下すと、残党軍はすぐさまその準備に取りかかった。
野営地にいた非戦闘員たちはすでに避難を完了していたし、ここにはもう、守るべきものはなにも残されていないからだ。
だが、撤退といっても、至難の技だった。
今も教会騎士たちの攻撃が激しく続いていて、門はまだ耐えていても、城壁にかけたはしごを登って教会騎士たちが断続的に攻めよせてきているからだ。
残党軍は白兵戦で教会騎士たちを撃退し続けているが、城壁を守ることをやめたら、妨害を受けることのなくなった教会騎士たちが激しい追撃をしてくるだろう。
結局、どんなに堅固な城壁の守りも、そこを守備する兵力がいなくなれば、ただの障害物に過ぎない。
そして相手になんの反撃もしてこない障害物は、ただ、乗り越えられるだけの存在となってしまうのだ。
ケヴィンは残っていた残党軍を2つに分けた。
一方が先に後退して新たな防衛態勢を作り、もう一方はその防衛態勢を作るまで、このまま城壁に残って守備をする。
後方で防衛態勢ができあがれば、城壁を守っていた側も後退し、そして味方が作った防衛線の後方にまで下がって、そこでまた防衛態勢をつくる。
そうして交互に撤退し合うことによって教会騎士たちが一気に追撃してくることを防ぎ、できるだけ損害を少なくして退却を完了しようというのだ。
もっとも危険なのは、最後まで城壁に残る隊だった。
そしてエリックは、この危険な最後尾に志願した。
ヘルマンやリディアに今のエリックの力が通用しないのだとしても、エリックの剣は教会騎士程度であれば十分に切り裂くことができるし、及ばないにしてもヘルマンやリディアを足止めすることができる実力を持っているのは、エリックしかいないからだ。
それに、ケヴィンを守らなければならないという理由もある。
彼は自らもっとも危険な最後尾の殿を名乗り出たが、しかし、それはとても認められないことだった。
ケヴィンは残党軍のリーダーであり、彼を失えば残党軍はその場で瓦解してしまう。
それだけではなく、彼はすでに負傷しており、危険な最後尾で戦い続ければ不覚をとる危険は大きかった。
加えて、エリックの中には魔王・サウラがおり、黒魔術によって容易には死ねない身体に変化している。
エリックにしか、この役割は果たせないものだった。
ケヴィンは最初、リーダーとして他の者たちを守らなければならないと強く主張して、自分も最後尾に残るとゆずらなかった。
だが、彼は最後にはエリックの意見を受け入れた。
エリックの言っていることが正しい、というだけではない。
エリックが本気で、心の底から、ケヴィンたちのために戦うと決意していることが、ケヴィンにも理解できたからだった。
エリックは志願して最後尾に残った残党軍の将兵と共にケヴィンたちを見送り、そして、彼らが後方で防衛態勢を整えるまで、今までよりもさらに少数になった戦力で教会騎士たちの攻撃を防ぎ続けることになった。
(悪くない、気分だ! )
自ら危険の中に身を置きつつも、エリックはすがすがしい気持ちだった。
思う存分に、聖母の手先である教会騎士たちを斬り捨てることができるというだけではない。
聖母に裏切られ、人類を敵にし、すべてを失ったエリックに、再び、守るべきものができたのだと、そう実感することができたからだ。
エリックは教会騎士たちの血のりをその身に浴び、自身の金髪に赤い色を染みこませながら、ひたすら教会騎士たちを斬り続けた。
剣を振るう手の握力が疲労で出せなくなると、布で剣を自身の手に固定して、戦い続けた。
一心不乱に、迷いなく。
エリックはただ、自身の復讐を果たし、新たにできた守るべき人々を生かすために、剣を振るう。
それは、エリックにとって、久しぶりに[幸福]を感じることができる瞬間だった。
エリックは戦っている間だけ、自分が聖母たちに裏切られたことも、父親を奪われたことも、故郷を失ったことも、自分自身がかつて守ろうとしていた人類種が、今やエリックの敵となったことも、すべて。
なにもかもを忘れて、真っ白になって、ただ、戦い、敵を倒すことだけに意識を集中させ、研ぎ澄ませることができる。
やがて、城壁を乗り越えてくる教会騎士たちはいなくなった。
彼らはまだ大勢残っているはずだったが、あまりの損害の多さに、また態勢を立て直さなければならなくなったのだろう。
最後尾の守りについた残党軍は、全員、血まみれだった。
あまりにも汚れすぎていて、それが自分自身のケガによる出血なのか、教会騎士たちの返り血なのかもわからない。
その身に着けた鎧は破損し、武器は折れ曲がり刃こぼれをしていた。
倒れ伏して、もう、二度と動くことのない者も、大勢いる。
そんなエリックたちの耳に、ケヴィンたちが防衛態勢を整えたことを知らせる角笛の音が鳴り響く。
するとエリックたちは、教会騎士たちの攻撃が下火となっている間に、城壁の守りを捨てて後退を開始した。
それは、傷つき、疲れ果てた一団でしかなかった。
だが、エリックたちは敗残兵などではなく、その瞬間だけ、勝者だった。
最後尾を守るという務めを果たし、教会騎士たちを再び、引き下がらせることができたのだから。
そうしてエリックたちは、堂々と、静かに、教会騎士たちに背を向けた。