・第115話:「届かぬ剣(つるぎ):1」
・第115話:「届かぬ剣:1」
エリックは、これまでに身に着けてきたありとあらゆる剣技を駆使して、リディアを攻撃し続けた。
だが、リディアは静かな、悲しそうな表情を浮かべたまま、息を切らすこともせずに、エリックの剣を防ぎ、かわし続けた。
まるで、今のエリックには自分を傷つけることはできないと、そう教えるように。
リディアは自分から反撃することなく、エリックに攻撃させるのに任せていた。
そして、エリックの剣は、少しもリディアには通用しなかった。
リディアは、目の前にいるのに。
エリックの剣の間合いにいて、剣が届きさえすれば、一刀の下にその命を絶つことができるはずなのに。
エリックは、自身の復讐を、果たすことができるはずなのに。
届かない。
エリックとリディアの間には、今、乗り越えようのない高く厚い壁が立ちはだかっているようだった。
エリックはもう数えるのも嫌になるほど自身の剣をリディアに弾かれ続けた後、荒くなった息を整えるために後方に飛び退って距離を取った。
そして剣を握りなおしながら、「くっ……! 」とうめき、その表情を屈辱に歪める。
リディアは、変わらずに、静かで、悲しそうな表情を浮かべている。
そしてその息は少しもあがっておらず穏やかで、汗一つ、かいていない。
自分の剣が、リディアにはまったく、通用しない。
厳然たるその事実を突きつけられたエリックは、汗と一緒ににじんだ涙を、そでで乱暴に拭い去った。
エリックは、かつて勇者だった。
その手には聖剣を持ち、聖母から与えられた力を振るい、人類の先頭となって戦い、そして魔王・サウラを倒した。
だが、今のエリックは、本来であれば同程度の実力であるはずのリディアに、軽くあしらわれるだけの存在だった。
(聖母の力がなければ……、オレは!
こんなにも、弱かったのか……! )
見せつけられるその現実に、エリックは気が狂いそうになる。
エリックは、勇者としての使命を果たすために、必死に努力をしてきた。
そして今は、自身の復讐を果たすために、そのことだけを考えてその身を削るように、生きている。
だがエリックは、エリックを使い捨てにして裏切った聖母から与えられた力なしでは、リディアの呼吸を乱すほどの戦いもできない、その程度の存在でしかないのだ。
なによりエリックのプライドを傷つけたのは、態勢を立てなおすために後退したエリックに対し、リディアが追撃をしかけてこなかったという点だった。
彼女はじっとエリックを見つめているだけで、聖剣をかまえなおすこともせず、1歩も動くことなくそこにいる。
屈辱だった。
そして、エリックは、恐ろしかった。
自分は、今、復讐のために生きているのだ。
聖母たちへの復讐を果たすためにこそ、この世のもっとも凄惨な光景を目にし、すべてを終わらせたくなるほどの絶望を体験しても、[死ななかった]のだ。
それなのに、自分の剣は、届かない。
リディアにも、その先にいるはずの聖母にも、届かない。
あきらめるわけにはいかなかった。
あきらめてしまえば、エリックがこれまで耐えてきたすべてのことが、無駄になる。
聖母たちに高笑いさせ、世界は聖母の本性を知ることもなく、エリックのことなど忘れてしまうだろう。
それだけは、絶対に許せなかった。
だが、今のエリックは、あまりにも無力だった。
聖剣という力を失っても、エリックは並みの剣士よりもよほど強い存在だった。
それこそ、血のにじむような努力を続けて、自らを鍛え上げたのだ。
だが、それではまだ、足りない。
その程度のことでは、まったく、足りないのだ。
その時エリックは、自身の内側で、魔王・サウラが、無言のままその存在を誇示してくるのを感じた。
力が、欲しいのなら。
リディアを倒し、ヘルマンの首を落とし、聖母につぐないをさせたいのであれば。
サウラの、魔王の力を用いろ。
サウラは無言のまま、エリックに自身の存在を誇示することによって、そう誘いをかけてきていた。
それは、魅力的な誘いだった。
エリックの力だけでは、目の前にいるリディアにさえ、その刃を届かせることができない。
復讐を、果たすことができない。
エリックの身体は黒魔術による作り変えが進み、徐々に、サウラの力を使うことができるようになりつつある。
そして、もはやなりふりかまわずに、魔王の力であろうと頼らなければ、エリックを支配している唯一の願望、彼が未だに生き延びている理由である復讐は、果たせそうにない。
それは、エリックも頭では、理解している。
理解せざるを得ないことなのだ。
だが、エリックは、思い切りをつけることはできなかった。
魔王・サウラの力を頼るということは、エリックが、自身の内側にサウラがいるという現実を、受け入れるということに他ならなかった。
全人類を滅ぼそうとした強大な敵であり、エリックが、その存在を滅ぼすためにすべてを捧げた、魔王。
その存在を認め、利用し、たとえ一時であろうと、エリックの身体をサウラに明け渡してしまうことは、エリックには認めることはできなかった。
屈辱と怒りに表情を浮かべ、奥歯を強く噛みしめながらリディアを睨みつけているエリックを、聖女はやはり、悲しそうに見つめているだけ。
「来いよ、リディア!
オレを殺すのが、お前の本当の使命だったんだろう!?
そのために、オレを、ずっと騙していたんだろう!?
黙ってないで、さっさと、オレを殺しに来いよッ!! 」
今のエリックには、そう、虚勢を張ることしかできなかった。