4 ついに卒業パーティー……婚約破棄の日が来たようです
三か月の時はあっという間に過ぎ、いよいよ卒業パーティーの日がやってきた。
学生たちは既に寮を出て、みんな家へと戻っている。
家で支度をし、学院のホールに向かい、そしてこのパーティーをもって、もう学院へ来ることはなくなるのだ。
学院への、青春への、お別れの日である。
そしてこのパーティーは、実質、貴族の子供たちの、社交界デビューの場でもある。
といっても学生主体の会なので、そこまでガチガチに気張る必要もないという、まさに社交界初心者のための会である。
それでも、意気込む貴族は多いらしい。
特に婚約者のいない人たちは、この場で血眼になって縁を繋ぐ者も少なくないそうだ。
さらには子供たちをだしにして、仕事の繋がりを得たり、派閥を強化しようという心づもりの大人たちも参加してくる。
なかなかに、ごった煮のパーティーである。
そんな卒業パーティーにも、一応それなりの作法はあり、参加する者には同伴者が求められる。
通常、婚約している者は婚約者をパートナーに。
相手のいない者は親族や、仲の良い友人に相手を頼む。
冷めきった仲とは言え、私にはセバスチャンがいるので、今日は入場から彼と過ごすことになる。
――はず、なのだが……
「何よ……これ…………」
ドレスを着込み、もう家を出るころか、となった時、一通の手紙が届いた。
急ぎの配達人が届けてきた手紙には、とんでもないことが書かれていた。
『僕、セバスチャン・スミスは、卒業パーティーのパートナーに、ルルナ・ウェルボートを選ぶことにした』
飾りっけのない簡素な便せんに、定型文の挨拶と、この内容と、署名だけ。
彼には事前に私の家から、待ち合わせ時間と場所を取り決めた手紙を出していた。
返事は返ってこなかったのだが、何事も後手後手の彼から返事が来ないのは、よくあることなので、まぁいいかと油断していた。
まさかこのタイミングで、こんな返事が返ってこようとは。
私は愕然として、五回も手紙の字を追ってしまった。
「嘘でしょう……? なんでこんなものを、当日に寄越すのよ……」
常識を疑う。
きっとこちらの都合など、これっぽっちも考えていないのだろう。
私は、せっかく侍女に綺麗に結い上げてもらった頭を、グシャグシャに抱えたくなった。
こんなことを言われても、今から身内でパートナーをこしらえることなんて、できないのだ。
父はもう執務へ出てしまったし、兄は今、所用で郊外へ出向いている。
親戚は遠いし、弟はまだ十一歳の子供だ。
何も知らない母は能天気に、楽しんできてね、などと手を振っている。
私は手紙をぐしゃりと丸め、クズ入れに投げた。
悪役令嬢をやっていた時とは天と地ほどの差のある、平坦な声音で、私は母に挨拶をした。
「…………では、行ってきます……」
今ならあの涼しい顔をした神官に負けず劣らずの、無表情を作れている気がする。
■
家の馬車に揺られ、貴族学院に向かう。
まとっているドレスは、今日のために新調したものだ。
落ち着いた青色で、繊細なレースとオーガンジーがふんだんにあしらわれた、涼やかな印象のドレス。
セバスチャンは紺色のものを好んで身に着けるから、彼が着るであろう衣装に合わせて、青系の色合いにしたというのに……
窓から見える町並みは、もうそろそろ夕焼けに染まる頃だ。
(……十三歳のあの頃は、これからどんな素敵なことがあるのだろう、と胸躍らせながら、この景色を見ていたわね)
少女だったあの頃、まさかこんな、はちゃめちゃな学院生活を送ることになるとは、夢にも思っていなかった。
人に思い切り体当たりをぶちかますなんて、きっと人生でこれっきりだろう。
ついでに高笑いをする機会も、これっきりであってほしいと、しみじみ思う……
遠い目をして学院生活を振り返っているうちに、もう目的地はすぐ目の前に迫っていた。
(さて、このパーティーで、もう本当に終わりなのだから……最後まで頑張るのよ、メルーシャ!)
私は自分の頬を両手でパシンと叩き、気合を入れた。
学院の大ホール前の広場は、たくさんの馬車で賑わっていた。
簡素な馬車から荘厳な装飾の馬車まで、色々あって、見ていて飽きない景色である。
在学中はみんな、実家の影がない中で生活していたので意識していなかったが、今日をもって家格の上下関係も解禁だ。
比較的ゆるいパーティーだとは聞いているが、なんだか緊張してくる。
私は一人で馬車を降り、広場に立った。
御者が心配をしてくれたが、無理やり笑顔を作って別れてきた。
広場に馬車と御者は多いが、参加者と思しき人影は、もうほとんどなかった。
みんな既に、入場を済ませているようだ。
(出遅れてしまったわね……なるべく人混みに紛れたかったのに)
セバスチャンの手紙に頭を抱えていて、出発時間が遅れてしまったことが悔やまれる。
ドレスが乱れぬよう注意しつつ、足早に入場口へと向かう。
派手な装飾をほどこされた玄関扉の前では、受付の人が入場者の確認をしていた。
招待状を見せ、名前の読み上げと共に入場するらしい。
『――様、ならびに――様のご到着です』
名前を朗らかな声で読み上げられ、入場している参加者たちがいた。
私は少しばかり冷や汗を流した。
これは、このシステムは……
(まずいわね……これじゃあ、独りぼっちがバレバレだわ……)
公開処刑システムだ。
(受付の人に同伴者の都合が合わなかったことを打ち明けて、人と人の間に、目立たずササッと入れてもらおう……)
そうだ、それが良い。
というか、そうするしか手がない。
よし! と気合を入れなおし、痛みそうな胃をさすりながら、入口へと歩を進める。
――が、そこで、今最も聞きたくない声に、呼び止められてしまった。
「あれぇ? メルーシャ様? お一人でこんなところで、どうしたんですかぁ?」
「なんだメルーシャ、お前一人か? なぜ家族に同伴を頼まなかった。手紙を送っておいただろうが」
声をかけてきたのは、ルルナとセバスチャンだった。
三か月間、人のことを空気のように無視しておいて、今更声をかけてくる神経を疑う。
(というかそもそも、どうしたも何も、あなた方のせいでこんなことになっているのだけれど……)
当日出際に届く手紙なんて手紙じゃない。ただのクズ紙だ。
言ってやりたいことは色々あったが、私は腹立たしさをグッと堪える。
人の集まるパーティー会場で、いざこざを起こしてはいけないのだ。
ゴシップ好きの貴族たちの良いネタにされてしまう。
平静を装い、サラリと挨拶を返した。
「あら、お二人ともごきげんよう。あいにく、お父様もお兄様もお忙しくて、都合がつきませんでしたの。私に構わず、どうぞお先にご入場なさって」
サッと場所をゆずったが、そんな私に、ルルナがニコリと微笑んだ。
「私、今日新しいお靴を履いてきたので、あんまりスタスタ歩けないんですよぉ。だからメルーシャ様が、お先に入ってください!」
キュルン、という効果音が鳴りそうな笑顔で、ルルナは言う。
私は引きつった笑みを浮かべた。
私を先に一人で入場させたあとに、彼女たちが手を組んで入場するというのか。
公開処刑、ここに極まれり。
今宵の貴族たちのお喋りのつまみは、私たちのこじれた三角関係話で決まりだろう。
しかも、ご丁寧に、ルルナは相当目を引くドレスをまとっている。
真っ白で、裾を引きずりそうなほど丈の長いドレス。
ホイップクリームのようなボリュームのある純白のドレスは、こういうパーティーで着るようなものではない。
この衣装はまるで、ウエディングドレスではないか。
セバスチャンの方も、着てくるであろうと思っていた紺色の衣装ではなく、上下真っ白の衣装に身を包んでいる。
浮気相手と衣装を合わせてくるなんて……
非常識にもほどがある。
私はクラクラしてきた頭を抱えつつ、彼女たちから顔を背けた。
「……そうですか、わかりました。ではお先に失礼します」
もう、どうにでもなれ。
とりあえず、一刻も早く、彼女たちから離れたい。近くにいたくない。
私は一旦、思考を停止し、逃げるように入場口へと歩を進めた。
受付の人に事情を説明し、名前の読み上げ無しで通してもらう。
何事もなかったかのように、スタスタと歩を進め――……
――ようとした時、背後から甲高い声があがった。
「ちょっと受付さん! メルーシャ様のお名前を呼び忘れていますよぉ? メルーシャ様に失礼です! 彼女、怒りやすいんですからぁ、ちゃんとしないと! メルーシャ様ぁ! ご到着の名前の読み上げ、受付さんがもう一度ちゃんと、やってくれるみたいですよぉ!」
会場内の貴族たちから、ざわめき声と笑い声が聞こえた。
私は頬の内側を噛んで、崩れそうな表情を保った。
心臓が、変な音を上げている……きっと今、私の顔は真っ赤になっているに違いない。
もう、勘弁してほしい……
振り返ることもなく、そのまま歩を進める。
私が入ってすぐ、後続の名前が読み上げられた。
「セバスチャン・スミス様、ならびに、ルルナ・ウェルボート様のご到着です」
二人は寄り添い、満面の笑みで入場してきた。
貴族たちのざわめき声が大きさを増した。
『まるで結婚式じゃないか』
『え? あの二人ってご婚約されていたの?』
『ってことはメルーシャ・アルノル様のほうは破談となったのか。だからお一人で……』
早速ネタになっている……
(でも残念ながら、私は未だ、彼の婚約者なのよ……本当に、おかしなことだけれど)
そう、婚約者は私なのだ。
彼の腕に絡みついて、揃いの衣装を着ているのは、ルルナなのだけれど。
貴族たちのヒソヒソ話の中、私は身をすくめて、歩を進める。
このまま隅っこに行って、今日は壁の花に徹しよう。
そう思っていたのに。
――貴族たちがネタにしていた内容は、直後に現実のものとなってしまった。
セバスチャンが突然、会場全体に響き渡るような、大きな声を上げたのだ。
「お集まりの皆さま、お聞きください! 本日この時をもって、僕、セバスチャン・スミスはメルーシャ・アルノルとの婚約を破棄し、ルルナ・ウェルボートと結婚することにいたしました! お集まりの皆さまを立会人とし、今ここに、神への誓いを立てましょう!」
途端、周囲のざわめき声は、嵐のように激しさを増した。