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モノクロ・アート  作者: 七転八幸(元 鴨ミール)
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幕間 天才と天災 & エピローグ モノクロ・アート

   幕間 天才と天災



 午前十一時。

 千愛芸術展のとある一角で、ボクは目の前のスタッフがとある絵の設置をしているのを見届けていた。

「ここでいいですか?」

「うん、ありがとう」

 よし、これで良いかな。勝手に運んで来ちゃったけど、まあ良いさ。今は疲れきってぐっすり寝ている彼も、きっと許してくれるだろう。

「よお、チビ」

 彼の絵を眺めていると、横から見知った声が飛んできた。

「きょーくんか。もう来てたのかい」

「当たり前だろ? せっかくの後輩どもの絵だ。アタシが見てやらねえとな」

 まあボロクソにけなすがな、と言ってきょーくん――京楽 天理は、いつも通りのぎらついた眼をしながら笑った。

「……ん? これ、お前のとこの野郎のか?」

 たった今運び込まれたばかりの作品を見て、きょーくんは眉を上げた。

「ああそうだよ。キミがボロボロに評価して叩きのめした、あの彼の作品さ」

「当たり前だろ。つまんねえもんをつまんねえもんといって何が悪い」

 確かにあの時彼が描いたものは、きょーくんからすれば面白くないものだったかもしれない。だが今は違う。彼は変わって、進歩した。それは絵からもよく伝わって来る。

「アイツは今どうしてんだ? って、聞くまでもねえか」

「きょーくんの予想通り、この絵を今朝完成させて今は気絶するように寝ているよ」

「はっ、だろうな。あちこちボロボロじゃねえか。ひでえ出来だ」

 罵倒とは裏腹に、きょーくんの口は笑みの形を浮かべていた。

「にしても、あの猿真似野郎がこうも変わるかねえ……」

 当然だ。モノクロ君は今日この日まで、ずっと頑張って来たのだから。

 それはきょーくんも分かってくれているようで、ボクは自分のことのように嬉しくなる。

「ん? 何笑ってんだよ」

 ついにやけているのがバレたらしい。迷った末に、ボクは話題を反らすことにした。きょーくんにバレたらからかわれそうだ。

「きょーくんも人が悪いな、と思って」

「はあ?」

「だってそうだろう? 講評の時にもう少しオブラートに包んだ言い方をすれば、モノクロ君もあそこまで傷つかずに済んだ。違うかい?」

 話題反らしとはいえ、これは言おうと思っていたことだ。あの時の講評では百数十種類の絵があった中できょーくんが講評したのはたった十数枚だけだ。その中に選ばれた時点でモノクロ君の絵には魅力があるということに他ならない。それを本人に伝えればあそこまで折れずに済んだはずだ。だというのに。

「ふん、あそこで筆を折る程度ならそこまでのやつだったってことだ。それにそこまで分かってたなら、お前から言ってやれば良かっただろ」

「ボクが言ったところで、傷心の彼が聞くと思うかい?」

 少々怒りを込めた視線をボクがぶつけると、きょーくんはばつの悪そうに頭を掻いた。

「ハイハイ悪かったよ。でもいいだろ、今はこうしてまた描いてるんだからよ」

「ああ、そうだよ。あの日キミに打ちのめされた一人の画家はそれでも立ち上がって、足掻いて、こうして一枚の作品を描ききった」

 彼の受けた痛みや苦しみを思うと、ボクは自分のことのように胸が痛くなる。その辛さは、ボクもよく知っていた。そしてそれでも立ち上がれる人間は、とても強くなるのだということも。

「見てなよきょーくん。彼は――物倉 奏一郎は、きっと最高の画家になるよ」

 きょーくんは少しの間驚きに目を見開くと、ひどく悪戯な笑みを浮かべた。

「へえ、そこまでお前に言わせるかね。まさか絵だけじゃなく本人にまで惚れたか?」

「なっ……!」

 バレていたのか!?

 思わぬ攻撃にボクは言葉を詰まらせる。顔と体が熱を帯びていく。

 って、しまった。そういうことか! ハメられた!

 そこでカマをかけられたと気づいたボクは、顔を益々紅く染めていく。きょーくんから見たボクは、林檎のように真っ赤になっていることだろう。

「はっはっはっは! やっぱ図星か!」

 実に愉快と言った様子で、きょーくんはこちらを窺ってくる。何もかも分かったような視線が実に腹立たしい。

「別に、そんなのじゃあ」

「そんな顔しといて、何が別にだよ」

 ボクは自分の頬に手を当ててみる。すると熱くなっているのが分かった。

「可愛いツラするじゃねえの。恋する乙女の顔ってやつだな」

「う、うぅぅぅ……」

 羞恥に耐えきれなくなったボクは、床にしゃがみこむ。

「違うんだ。これはこのホールの暖房が効きすぎているせいで、別に恋だとかそんな甘酸っぱいものが胸の内にあるわけでは——」

 そこでボクは言いよどむ。ない、とは口が裂けても言えなかった。

 だって。

 だってそれは、自分の想いに嘘をつくことになるから。

 ボクが言葉を出せずにいると、それが答えだろと言ってきょーくんはニヤついた。

「ま、惚れただのどうのは結構だが、付きあったとしても家で一日中獣みたいに盛り狂うだとかはやめろよ。絵で発散しろ、絵で」

「きょーくん!」

 公共の場でもお構いなしか!

 当の本人は一切恥ずかしがること無く、こっちの反応を見てからからと笑っている。

 ボクがお返しに睨み付けると、きょーくんはそれを避けるかのように腕時計を見た。

「おっと時間か。そろそろ行くかね」

「もう出るのかい? まだ開場もしていないのに」

 「こっちはコネで七時入りだ、審査も終わって、今さっきくれてやったところだ。まあ正直見足りねえと言いたいところだが、予定があってな」

 お前にもこうして会えたからいいさと言ってきょーくんはボクの頭を撫でると、会場を後にすべく歩いていく。けれど途中で足を止めると、こちらに振り返った。

「あ、そうだ。あの野郎に伝言を頼めるか?」

「モノクロ君にかい?」

「ああ、――またボロクソに貶してやるから、山程絵を描いて待ってろってな」

 予想外の言伝に、ボクは思わず笑みを溢す。

「ああ! 必ず伝えるよ!」

「それじゃあな」

「うん、また!」

 手を振りあった後、きょーくんは足早に会場の外に出ていく。と思ったら、会場の出口からひょっこり顔を出してきた。まだ何か用でもあったんだろうか。

「それなりに頑張ったんだ、アイツへのご褒美にキスの一つでもしてやれよ! 初心なお前でも頬にくらいは出来るだろ!」

「は、はあっ!?」

 突然の爆弾攻撃に、ボクは面食らう。キス、接吻、ベーゼ。そんな単語たちで頭が埋め尽くされ、今朝見たモノクロ君の寝ている様子が、唇をアップにした状態で頭の中に呼び起こされた。

 って、何を考えているんだボクは!

 自分の顔が再び強い熱を帯びていくのが分かった。

きょーくんはそんなボクを見ると悪戯な笑みを浮かべ、

「ごちそーさん! んじゃあばよ、チビ!」

 と言って今度こそ帰っていった。

「二度と来るな! バカきょーくん!」

 出口に向かって叫んでも、返事が帰ってくることはない。

「全く、もう」

 次に会ったら何か悪戯してやろうと心に決めて、ボクは会場をぼんやりと歩く。頭に浮かぶのは、さっきの言葉。

「キス、か……」

 歩きながらそっと、唇に手を当ててみる。キス。言葉では知っているがしたことなんて勿論無かった。ボクとモノクロ君が、キス。もしするなら、どんな風だろうか。モノクロ君のあの細くも男らしい腕に抱かれて、お互い見つめあって、それから——。

 次の瞬間、 先の光景を想像したボクは顔が溶けてしまいそうなくらい熱くなって、またもしゃがみこむ。

「なんてモノを残していってくれたんだ、きょー君……」

 ボクは一人溜め息をつく。紅くなった顔が冷めるのには、まだ長い時間がかかりそうだった。






   エピローグ モノクロ・アート



 季節は巡り、穏やかな春の調べが満ちる朝。

「いいねえ、春は!」

 見事に満開の桜並木が立ち並んだ路を、一色は弾んだ足取りで歩いていた。

「おい、あんまりはしゃぐなよ。こけても知らねーからな」

 その後ろについて歩く俺は、桜の花弁が舞う中を踊るように進んでいく一色に向かって叫んだ。

 あの特別展から、二か月ほどが過ぎようとしていた。俺も一色も無事進級を迎えて、四月からは二年生になる。

 そしてそれとは別にもう一つ、今までとは違うことがある。

「引っ越ししてから初めての通学はどうだい? といっても特に変わらないか」

 一色は俺の横まで近づいてくると、並んで歩きながら尋ねてくる。

「まあな。引っ越し作業で元の家に戻るときの方が新鮮に感じたよ」

 俺は正式に、一色の家に住み込むことになった。最初に一色に提案された時は無理じゃないかと思ったが、一色の両親は二つ返事で了承し、俺の両親も許可してくれた。

 なんとあの京楽天理も説得に協力してくれたらしい。そして俺はその時になって初めて、一色と京楽天理が友人だと知ったのだった。

「ったく、最初は悪い冗談かと思ったぜ。あの京楽天理がアンタと知り合いなんてな」

 俺が意地悪く愚痴をこぼすと、一色は手を合わせてこちらに謝ってくる。

「教えなかったのは本当にごめんよ。でももしキミにそのことを伝えれば、会わせろって言われそうだったからさ」

「子供じゃねえんだ。言いやしねえよ」

 実際のところ、もしそうなれば言わない自信はまるでないのだが。

「そういえば俺が寝ている間に二人で色々話してたんだろ?何を話してたんだよ」

 俺が突然そう切り出すと、一色は立ち止まり真っ赤に染まった顔だけをこっちに向けた。

「な……!モノクロ君、それをどこで……!?」

「本人からの手紙に書いてあったんだよ。『お前が寝ている間に面白いことを話したから、チビに聞いてみな』って」

正直、最初に手紙が届いたときは、新手の詐欺か何かかと思った。しかし同封されていた「マシにはなったな」とだけ書かれた手紙と、サインの描かれた名刺を見て、すぐに本人からの手紙だと気づいた。あの京楽天理から直々に名刺をもらったという事実に、俺はしばらく開いた口がふさがらなかったほどだ。

「で、何だったんだよ? その話って」

 京楽天理の言いているチビと言うのは、一色のことで間違いないだろう。二人で話すとなれば、絵のことに決まっている。だったらどんな話だったのか聞いておきたいところだった。

「いやその、別に何も話してないよ……」

 一色は顔をそらすと、視線だけをこちらにやってくる。何故だかその視線は俺の口へと注がれているような気がした。

 何だ?俺の口に何かついているのか?

 俺は手で探ってみるものの、いつも通りの口周りからは、何の感触も返ってこない。

「と、とにかく! それはきょーくんの嘘だから、気にしないでくれ!」

「そうなのか?」

「そうなの!」

 ここまで言うということは、おそらく聞かれたくないことなのだろう。俺にだって、それを察知できるくらいには鈍くない。

 まだ腑に落ちないところもあったが、とりあえず一色の主張を信じることにした俺は、それ以上の追及を止める。

「全くきょーくんめ、余計なことを……」

 俺に背中を向けた一色は、何か小さく呟いてから深呼吸をし出した。

 それから少しすると一色は落ち着いたようで、顔に差した紅みも収まっていた。俺たちはまた学校への道を進みだす。

「それにしても、本当に良かったよ」

しばらく歩いていくと、一色はそう切り出してきた。

「何がだ?」

「キミがまた絵を描こうとしてくれたことさ」

 ああ、そのことか。

 一色はまた俺の数歩前に出ると、噛み締めるように言葉を紡いだ。

「長い間道を歩いているとさ、色々な人を見ることになるんだよ。だから途中で立ち止まってしまう人を、ボクは何度も見てきた」

 俺は何も言わずに、一色の哀色が混じった独白を聞くことにする。

「だからさ、キミがまた立ち上がって絵を描くことを決めた時、ボクは本当に嬉しかったんだ」

 一色は空を見上げた、つられて俺も空を見つめる。そこでは雲一つない爽やかな空が、何も知らずにただ漂っていた。

「ボクは心が折れる痛みを知らない。けれど痛みを知ってもなお、前に進む人間の尊さをボクは知っている。だからね」

 そこまで言い切ると、一色はこちらに振り返った。動きに合わせて一色の着ているモノクロ色のワンピースの裾が、風と共に揺れた。

 桜並木の途中に生えた、格別大きな一本の樹。その下に立った一色に、桜の花びらが風で舞って降り注ぐ。

「ありがとう、モノクロ君。諦めないでいてくれて」

 春色の鮮やかな天幕の中で、一色は俺に向かって桜のように笑った。

 その姿はまるで、一枚の絵画のようで。

「——」

 俺は思わず、一色に見とれてしまった。

「……? 大丈夫かいモノクロ君?」

 固まった俺を不思議に思ったのか、一色が近づいて覗き込んで来ていた。俺はそこでようやく我にかえると答える。

「ああいや、一色が綺麗だなって思ってさ」

「へっ……!?」

 率直な感想を俺が告げると、一色はまたも林檎の果実のようになって固まった。その様子がなんとも可笑しくて、思わず俺は吹き出してしまう。

「な、なんで笑うのさ!」

「悪い悪い」

 俺は抗議の目を向けてくる一色に謝ると、口の端を上げ右手の拳を前に突き出した。

「見てろよ一色、いつかお前や京楽天理が見惚れちまうような、最高の絵を描いて見せる」

 一色は数瞬きょとんとした顔をしていたが、まだ紅色の残っている顔で微笑むと口を開く。

「うん、楽しみにしてるよモノクロ君。ボクも君に負けないような、素晴らしい絵を描こう」

 同じように一色も拳を突き出して俺の拳に合わせた。お互いの拳が、わずかに音を立ててぶつかり合う。俺たちは顔を見合わせて笑いあった。

 それからどちらともなく、俺と一色は二人揃って学校への道を再び歩いていく。足音と風の音だけが静かに響いた。

 この先、今回のようなことが何度も俺の前に立ちはだかるだろう。けれどきっと、そのたびに俺は立ち上がるのだと思う。そしてどうしようもなく苦しくて、どうしようもなく楽しい絵を創り続けるのだろう。

 上等だ。創り続けてやろうじゃないか。俺の、俺だけの芸術ってやつを。

 俺は一人決意すると、拳を固く握った。

 それに、だ。

 俺には、俺の絵を好きだと言ってくれる心の支えでもあり、素晴らしい絵を描く偉大なライバルでもある少女が、側にいてくれる。

 一人だったら、きっと不安でたまらなかっただろう。でも、今は違う。

 俺は隣を歩く、けれど道のずっと先にいるモノクロ色の少女の横顔を見ると、柔らかく口の端を上げる。

 いつか、この恩は絶対に返してやるからな。

「どうしたんだい?」

 視界の端に映ったのだろう。一色が横を向いてきた。

「何でもねえよ。ほら、早くしないと学校に遅れちまうぞ」

 俺は誤魔化しの言葉を並べると、少し早歩きで進み出す。

「あっ、待ってくれよ!」

 一色は俺にすぐさま追いついてきた。俺たちは二人並んで、いつもの道を学校まで駆けていく。

 頬を撫でるような心地いい春風が、まるで俺たちの背中を押すかのように吹き流れた。

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