第88話 ようこそ
そして、ついにスピリアちゃんの退院日当日になった。
その日は日曜日だったので、おじいちゃんに『友達と遊びに行く』と断ってから、VEOの基地に向かった。
朝陽が照らす中を走っていると、自然と気持ちも明るくなっていく。
やっぱり早朝の空気はすごく気持ちが良い。
おじいちゃんに関しては退院して以降、前よりも元気になっていて、今日は私が友達と遊びに行くことを本当に喜んでくれた。
実際はVEOの基地に行くからおじいちゃんを騙すことになっちゃって心苦しいけど、スピリアちゃんの為だもん、仕方ない。
イアンさんからは、『もしかしたら受け入れられない可能性もある』と言われていたけど、昨日行っても何も言われなかったので、おそらく受け入れる方向で考えてくれたんだろう。
『受け入れられない可能性もある』と言った時のイアンさんの表情が少し暗かったのが気になるけど、それは向こうに着いたら聞けば良いかな。
ふと、私は鞄の中から一昨日スピリアちゃんに貰った槍を取り出した。
黒く尖った刃を見ていると、せっかく明るかった気持ちも下がってしまった。
持ってきたのは持ってきたけど、出来れば使いたくないな。
だってこのせいで傷付くのは……。
ダメダメ! こんな暗い気持ちでスピリアちゃんに会ったら心配かけちゃうじゃない!
笑顔笑顔! 作り笑いは得意でしょ!
立ち止まって頬をペチペチと叩いて気持ちを作り直す。
スピリアちゃんにとってはおめでたい日なんだから、精一杯お祝いしてあげなきゃ。
基地に着いて門の前に居る警備員の人に『すみません』と声をかける。
声をかけてから私はハッとその人を見つめた。
その人は運良く、私の事を誠さんに確認していたあの警備員の人だったのだ。
彼は私を見下ろしてから、ハッとした顔をしてすぐに門を開けてくれた。
「どうぞ入って。鈴木さんが待っているから」
「ありがとうございます」
彼にペコリとお辞儀をして、私は基地の中に入った。
スピリアちゃんの病室に行くと、スピリアちゃんは既にベッドなどを片付けていて、吸血鬼界に帰る準備万端だった。
側には誠さんも居て、スピリアちゃんが私を見つけて顔を輝かせたのに気付いて振り返り、私を見て微笑んでくれた。
「おはようございます、誠さん、スピリアちゃん」
会釈をして病室に入る。
「おはよう」
「ユキ、おはよーリ!」
「スピリアちゃん、いよいよ退院だね」
スピリアちゃんは満面の笑みを浮かべて頷いた。
「もう準備まんたんリ!」
ばんたん、だけどね。言い間違うのも可愛いなぁ。
キルちゃんと同じくらいの外見だけど、やっぱり小さいのかな。
そんな事を考えていると、
「じゃあ、雪も来たことだし行くぞ」
そう言って誠さんが病室から出ていった。
「行こっか、スピリアちゃん」
「リ!」
私はスピリアちゃんが槍を持っている手と反対の手を握って別の部屋に向かった。
私が何度も入ったことのある、吸血鬼界に繋がる魔法陣があるあの白一面の部屋だ。
「よし、準備完了だ。行くぞ」
誠さんが足元に魔法陣を出現させた。
私とスピリアちゃんが手を繋いだままそれに乗ると、魔法陣から水色の光が放たれた。
眼前が徐々に白くなって次に視界が開けた時には、吸血鬼界が広がっていた。
一足先に誠さんが魔法陣から降りた。
「スピリアちゃん、着いたよ、吸血鬼界」
私が彼女を見下ろすと、スピリアちゃんはポカンと口を開けていた。
「……どうしたの?」
「ここ、どこリ?」
「えっ?」
思わず面食らった。
人間界で二週間近く暮らしただけなのに、もう吸血鬼界の事が分からなくなっちゃったの?
「ここは王都だからな。おそらくこいつの元々の住まいは遠く離れた集落だ」
キョトンと首を傾げて一生懸命考えているスピリアちゃんを見ながら、誠さんが言った。
なるほど。それなら王都を見て分からないのも納得がいく。
私は逆に集落の方に行ったことがないから、スピリアちゃんとは反対だ。
「ここでユキと一緒に住むリ?」
市場の中を進み、誠さんの後ろをスピリアちゃんと手を繋いだまま歩いていると、スピリアちゃんが私を見上げて尋ねた。
「えっ? ううん、ごめんね。私は学校があるから放課後にしかここには来れないの」
謝ると、スピリアちゃんはまたキョトンとした。
「えっと、人間界には賢くなるための場所があって、私はそこに行かないといけないの」
スピリアちゃんにはちょっと難しいかな、と思いながらも学校について説明をする。
「じゃあ、ユキが生きるために大事な所ってことリ?」
「えーっと、うん、そういうこと」
あながち間違ってはいない。
生きるために勉強して、勉強するために学校に行っているんだから。
うう、自分から言っておいて何だけど、『勉強』って言葉は日曜日くらい聞きたくなかったよ……。
でもスピリアちゃんくらいのまだ小さい子が考える事が『生きること』なんて凄いなぁ。
人間の小さい子供とかだったらその辺で遊び回ることに命かけてるくらいなのに。
「でも、スピリアちゃんが一緒に暮らす人もすっごく優しいから心配しなくて良いよ」
「優しいリ?」
スピリアちゃんが尋ね返してきた。
「うん!」
もう一度頷くと、スピリアちゃんは今度こそ安心したように笑った。
「良かったリ〜」
そこからは上機嫌で、まるで新しいおもちゃを買ってもらった子供みたいに鼻歌を歌いながらスキップしたり、すごく楽しそうなスピリアちゃんだった。
※※※※※※※※※※
「着いたよ」
イアンさん達の家の前に立って、そびえ立つ建物を見上げる。
スピリアちゃんは黄色の瞳をキラキラと輝かせて『おー!』と歓声をあげていた。
私がそんな彼女を見て笑っていると、ガチャリとドアが開いてイアンさんが家から出てきた。
イアンさんは、スピリアちゃんを見ると満面の笑みを浮かべて言った。
「ようこそ我が家へ。スピリア」




