第67話 このまま放っておけないよ
「スピリアちゃんって言うんだ。よろしくね」
私は微笑み、改めて手を差し出した。
でもスピリアちゃんは膝を抱えたままで、一向に上に登ろうとはしてくれない。
声は出さずに牙を向けて小さく唸っているばかり。
「村瀬、大丈夫か」
風馬くんが険しい斜面を下りてきて尋ねた。
「うん、私は大丈夫。でもこの子、全然登ろうとしてくれなくて」
風馬くんは腕時計を見たあとに、まだ唸って警戒心をむき出しにしているスピリアちゃんをチラリと見やって、
「でも時間もヤバいぞ。もうちょっとで講座が始まる時間だ」
そうだった。スピリアちゃんに夢中ですっかり頭から抜けてたけど、私達自由行動の帰りだった。
これからまた集中講座があるのに忘れるところだった。危ない危ない。
「わ、分かった」
立ち上がってから再びスピリアちゃんを見る。
私が離れてくれると思ったのか、もう唸るのは止めているスピリアちゃん。
でもこのまま放っておけない。危ないし、もしかしたら足を滑らせて落ちてしまうかもしれない。
山道を通りかかった誰かに見つかってどこかに連れ去られてしまう可能性もある。
それがたとえ保護という形でも、この子にとっては恐怖だ。
置いていけるわけがない。
「風馬くん、部屋に戻る時間ある?」
「急げばあるけど、どうしたんだ?」
「この子を連れて帰る。このまま放っておいたら危ないよ」
膝を折ってしゃがみ、スピリアちゃんに向かって両手を広げる。
「え、でも、先生に見つかったらどうするんだよ」
胸に突き刺さるような風馬くんの言葉。
そうだ。私が旅館の部屋にスピリアちゃんを連れて帰っても先生に見つかったら間違いなく保護施設に送られてしまう。
それに今私がやろうとしていた事は、スピリアちゃんが恐怖感を抱いてしまうことだ。
――山道を通りかかった誰かに見つかってどこかに連れ去られてしまう。
この子にとっての私は『助けに来てくれた人』じゃない。
『山道を通りかかって自分を見つけ、そしてどこかに連れ去ろうとしている人』だ。
善意でもあり悪意でもある行動。だからスピリアちゃんは私を警戒して唸っていたんだ。
「ごめんね。怖かったよね。もう大丈夫だよ。あなたに手出しはしないから」
私はとっくにスピリアちゃんに恐怖感を抱かせてしまっていた。
この子が恐怖感を抱かないようにと思っていたけど、そんな私がスピリアちゃんにとっては恐怖だったんだ。
スピリアちゃんを安心させるたった一つの方法がある。
それは私がこの場から、スピリアちゃんから離れること。
「行こう、風馬くん」
立ち上がり、岩道を登って風馬くんに言う。
「ああ、分かった」
風馬くんは何も言わずに頷くと、私の後を追って岩道を登った。
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そして私達は旅館に戻り、大広間で集中講座を受けた。
集中講座の後は食堂での夕食だ。
今日の献立も私の好物ばかりでとても美味しかった。
部屋に戻って入浴の準備をしながらも、やっぱりスピリアちゃんの事が気になって仕方なかった。
窓の外に浮かぶいつもの月が、何だか寂しげに感じるのはどうしてだろう。
スピリアちゃん、大丈夫かな。
いきなり知らない世界に迷い込んでとても心細いはずなのに、私は助けてあげられない。
彼女にとって私は『恐怖』であり『敵』だから。
「村瀬、大丈夫か?」
風馬くんが尋ねてくれた。
「うん。大丈夫だよ」
「やっぱり気になるのか? あの子のこと」
「……うん。ちょっとね」
流石、風馬くんは全部お見通しだなぁ。
「軽々しく大丈夫だとは言えないけど、あの子強そうだったしそんなに心配しなくても良いんじゃないか?」
風馬くんが優しく微笑んでくれた。
「ありがとう、風馬くん」
気が付くと、女子の入浴時間が迫っていた。
「じゃあ、お風呂行ってくるね」
「行ってらっしゃい」
夫婦みたいな会話をして、私は部屋を出て大浴場に向かった。
旅館の部屋と大浴場は別の場所にあって、大浴場まで外を歩いて行かないといけなかった。
吹きつける涼しい夜風がとても気持ち良かった。
そしてその帰りのこと。
髪をタオルで拭きながら女湯の暖簾をくぐると、何だか外から声が聞こえた。
何かあったのか不思議になって外に出てみると、そこには入浴を済ませた女子と入浴にやってきた男子が何かを囲むようにして群がっていた。
何を見ているのか気になって隙間から覗いてみた。
「……!」
するとそこで座り込んでいたのは水色髪の吸血鬼、スピリアちゃんだった。
皆は珍しがって彼女のマントを摘んだり髪の毛を触ったりしていた。
当然触られているスピリアちゃんは恐怖で唇を震わせていた。
助けなきゃ。そう思った。
皆が怖い。普段なら立ちはだかるその気持ちが、今はなぜか無かった。
「皆やめて!」
気付けばそう叫んでいた。
皆が一斉に私を見て固まった。




