第64話 夏合宿
「おはよう、おじいちゃん」
早朝、私はおじいちゃんに挨拶をした。
と言っても家ではなく、私がいるのは病院。
「おぉ、雪、今日は合宿の日じゃないのか?」
「今から行くの。大丈夫だよ」
結局私は悩んだ末に、夏合宿の参加申込書の『参加する』に丸をつけて、自分の名前とおじいちゃんの名前を書いて提出したのだ。
「病院寄ってから学校なんぞ疲れるじゃろう。わしは今日で退院なんじゃから気にせんで良いぞ」
そう、おじいちゃんは今日が退院日。
数日様子を見たところ何も問題なかったようだ。
本当に良かった。これで私も心置きなく合宿に行ける。
でもだからと言って、おじいちゃんのことを丸ごと気にせずに行けるというわけでもない。
「気にするよ! 退院直前に具合が悪くなるってこともあるんだよ? 油断は禁物!」
油断は禁物だ。いつ何が起こるか分からない以上、油断は出来ない。
特におじいちゃんのことだから尚更だ。私に体調不良を黙ってた確信犯なんだから。
「大丈夫じゃ。それより時間は大丈夫なのか? 合宿はバスで行くんじゃろ?」
――今度私に何か隠してたら許さないんだからね。
そう思いつつ私は腕時計を見る。
「あぁっ! ヤバイ! 遅刻しそう! い、行ってきます!」
時間はバスが学校前に到着する二十分前だった。
病院から学校まで徒歩十分くらいなのに、急いで行かないと置いていかれてしまう。
「い、行ってらっしゃい。楽しんでくるんじゃぞー!」
おじいちゃんの声を背中に受けて、私は病院を飛び出し、学校まで猛ダッシュした。
色々不安はあるけどひとまずおじいちゃんに何もないことを祈るしかない。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※
そして十分後。
「む、村瀬、大丈夫か?」
風馬くんが本気で心配してくれる声が聞こえる。
というのも、私はバスに乗り込んで席に座った瞬間に、身体を折り曲げて前屈みで息を整えているから、風馬くんの声が頭上から降ってくるような感じなのだ。
そう、実は何と幸運なことに、バスの席はクラスの席順と同じだった。
つまり、私は教室だけではなくて、バスでも風馬くんと隣同士になれたということ。
今は息切れしてるから風馬くんにも伝わらないだろうけれど、本当はとても嬉しくて大喜びしているのだ。
それにしてもしんどかった……。
多少信号待ちとかはあったけど、病院から学校までほぼノンストップで走ってきたからマラソンが終わった後と同じくらい息苦しい。
バスが発車してからずっとゼェ、ハァ、ゼェ、ハァと呼吸をしている。
かれこれ五分くらいずっとこの状態なのだから、風馬くんが引いてしまうのも当然だ。
こんな呼吸の仕方するのかなとずっと疑問に思っていた私。
でもダメだ。こういう変な呼吸をしないと息がもたないよ。
今まで疑っててごめんなさい、ゼェハァ呼吸さん。
「何でそんなに息切れしてるんだ?」
流石に見ていられなくなったのか、風馬くんが尋ねてきた。
「あ、あのね、おじいちゃん、の、お見舞いに、行ってて……」
「合宿あるのに? 優しいな」
「優しく、なんか、ないよ。おじいちゃん、が、あの、心配、だから」
「喋らせて悪かった。ごめん。もう喋らなくていいぞ、村瀬」
大袈裟すぎるくらい息切れしている私に、風馬くんがストップをかけてくれた。
「あ、ありがとう……」
大きく深呼吸をする。
幸い私は窓側の席だったから新鮮な空気を吸えている気になっている。
すぅ〜はぁ〜すぅ〜はぁ〜。よしっ!
「もう大丈夫だよ、風馬くん。ありがとう!」
「そ、そっか。良かった」
戸惑いながらも風馬くんは笑ってくれた。
そしてバスに揺られること三十分。
「この先休憩せずに直接宿泊施設に行くので、必ず次のサービスエリアでトイレ休憩してください」
バスの一番前の席に座っていた先生が後ろを振り返ってマイクを片手に私たちに指示を出した。
「はーい」
生徒たちの声が重なる。勿論私も風馬くんも返事をした。
その後、サービスエリアでトイレ休憩を済ませ、またバスに揺られること二十分。
合計おおよそ一時間後、私達は今回の合宿でお世話になる宿泊施設に到着した。
山道を超えた先にポツンとあるそれは、山奥にも関わらずとても大きくて綺麗だった。
部屋の中は和風な感じで、さらさらの畳が気持ち良い。
部屋も自由行動の班ごとだったので風馬くんと同じだ。
てっきり同室の人達やバスで隣になった子と気まずい雰囲気になると思っていたけれど、有り難いことにどちらも風馬くんが相手だった。
先生が気を回してくださったのか、本当のところは分からないけれど、ここまでは全て言うなればご都合主義的に進んでいる。
おじいちゃんにも言ったけれど、油断は禁物。
自分の身に降りかかる危険を瞬時に予測して、それを完全に回避しなければいけない。
荷物を整理した後で、私達は旅館の食堂に移動して昼ごはんを食べた。
その後、この合宿の本命である集中講座が待っている。
『集中講座』という言葉を聞くだけで今すぐバスに乗って家に帰りたい気になってしまう。
でもそんなことは当然出来るわけがない。
それに皆受ける講座なんだから、私だけ抜け駆けしたら駄目だ。頑張ろう。
私は昼ごはんを口に運びながらそう思った。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
――その日の夜。
私達が泊まっている旅館から少し離れたところで、木々をかき分け尻もちをついたような鈍い音がした。
その音がした場所で立ち上がった小さな人影。
マントを羽織り、月明かりを受けて光る白い牙を覗かせたそれは山奥へと姿を消した。
勿論、その時既に眠りに落ちていた私達が、それに気付くはずもなかった。




