第43話 ユキにはあいつ自身も知らない秘密があるのかもしれません
真夜中。
私はまだ寝付けずにベッドの上で仰向けになって天井を見上げていた。
家の中は月光が窓から優しく差し込んでいて、人間界で愛用している豆電球がいらないくらいの明るさだった。
今日一日起こったことを順番に思い浮かべていたのだ。
まず、ルーンさんに言われた言葉が浮かんできた。
以前天界で天兵長のルーンさんや、彼女の幼馴染み兼第一部下の天使であるフェルミナさんと交わした約束を守らなかったことが全ての要因だ。
その約束というのが『現実逃避しないためにも吸血鬼界に赴くのは控える』というものだった。
約束を果たした直後は私もその気になっていたけどやはり恋しくなって、事情を知らないイアンさんが放課後いつものように迎えに来てくれたのを良いことに吸血鬼界へと足を運んでしまった。
私が約束を破ったんだからルーンさんが怒るのは当然のこと。悪いのは私だ。
それにそのせいで鬼衛隊メンバーのイアンさん、キルちゃん、ミリアさん、レオくん四人を傷つけてしまったのだから尚更だ。
そして次に、さっきの夕食の席でのことーー。
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ブリス陛下とテインさんがここに泊まることが決まってから取った簡単な食事の最中に、陛下が言葉を漏らされた。
「本来はこの世界を守るべき立場にある鬼衛隊が全員負傷したのは悔やまれるが、逆に新しい情報も手に入った」
「新しい情報、ですか?」
ブリス陛下の言葉にイアンさんが聞き返す。
「ああ。天界のやつ、まさかあんな死角を隠し持っていたとは知らなかった」
「わたくしもです」
テインさんが悔しそうに俯く。
「フォレスとウォル……。あいつら双子はきっと前から訓練を積んでいたに違いない。見かけない顔で初心者かと思ったがあの強さは尋常じゃないからな。天界が砦として今の今まで隠していたに違いない」
ブリス陛下はため息をついた後に、おそらく、と続ける。
「ユキが自分たちとの約束を破ったことを口実にして、今日で吸血鬼界を終わらせるつもりだったんだろう。そうでもなければ、あんな死角を送り込むはずがない」
「確かに、あの双子天使の強さは相当なものでした。結果として敗北しても、わたくしたちが駆けつけるまで鬼衛隊が制御できていたのが不幸中の幸いといったところでしょうか」
テインさんがご飯を口に含みつつ、ブリス陛下に同意した。
「いや、違いますテインさん」
そう言ったのはレオくんだ。持っていたスプーンを置き、佇まいを正してレオくんはテインさんを見つめる。
「既に決着はついていました。俺もキルもミリアさんもあっけなく負けてしまって。陛下方が来られるまで制御できていたのはユキのおかげです」
咄嗟に名前を呼ばれて、私はハッとレオくんの方を見る。
レオくんは私と視線が合うと微笑んで、
「ユキが、とどめを刺そうとした天使の攻撃から俺達を守ってくれてたんです」
「ユキ様が? でもわたくしたちが駆けつけた時にはユキ様の意識もありませんでしたが」
テインさんが私を見て驚いた表情をしたけど、すぐに俯いて顎に手を当てて考え込んだ。
「これは俺の推測ですが、ユキが力尽きて倒れたのと陛下方が来られたのが同じタイミングだったんだと思います。天使の攻撃のスピードはすごく速かったですし、一瞬でも防御が外れたら確実に俺たちは倒されますから」
「なるほど。ではレオくんのように考える方が最も妥当ですね」
レオくんは頷いてご飯を口に運んだ。
「凄いじゃないか! ユキ! 様子を見てほしいって言っただけなのに皆のことまで守ってくれたなんて凄いよ! やっぱりユキは充分貢献してくれてたんだね。ありがとう」
レオくんの説明を聞いて、イアンさんが目を輝かせた。
私の両手を握り、前のめりになりながら握った手をブンブン上下に振る。
嬉しすぎて舞い上がっているのなら私としても身体を張った甲斐はあるけど、怪我しているところがズキズキと痛む。
長くは保たないから早めにやめてほしいな。
その祈りが通じたのか、イアンさんは満足げに微笑んだ後、その手を離してくれた。
「わたしからも礼を言うよ、ユキ。君がいなかったら間違いなく鬼衛隊は全滅していたはずだ。でも君がここにいてくれたから、こうやって誰一人死なずに生き延びることが出来た。本当にありがとう」
ブリス陛下が頭を下げる。
「そ、そんなそんな! ダメですよ! 私なんかに頭下げちゃ!」
このセリフ、一回言ったような気がする。
吸血鬼界の国王なのに、ブリス陛下はすごく謙虚な方だ。私みたいな異世界の人間に対しても丁寧に接してくれる。
「それにしても、あんなに強大な攻撃を耐えられていたなんてすごいな。君はもしかしてVEOの一員なのか?」
ブリス陛下が質問する。
VEOというのは、人間界が吸血鬼界との戦闘に備えて設置した『吸血鬼抹消組織』の通称。
その上位層にいる誠さんには、イアンさんたちの訓練に巻き込まれたのを助けてもらったり、天界や吸血鬼界から人間界に戻る際に時々付き添ってもらったりと色々と迷惑をかけてしまっているんだけど。
「いえいえ! 違います! 私はただの人間です。VEOに入れるなんてめっそうもない……」
表立った行動を慎んでいるVEOは、国内でも選りすぐりの人材が集められている強大な組織。
そんな中に、弱い私が入れるわけがないのも当然のこと。
「そうなのか。尚更驚きだな。ごく普通の人間なのに、あいつらの攻撃からキルたちを守ってくれていたのか」
ブリス陛下が感心の眼差しを向けてくださる。
「あ、でも、キルちゃんとレオくんの武器のおかげです。二人の武器があんなに頑丈じゃなかったら私も皆のこと守りきれてないですし」
「吸血鬼用に作った武器を人間が簡単に扱えるなんて素晴らしいですよ、ユキ様。ユキ様には戦闘の素質があるのかもしれませんね」
テインさんが微笑んだ。
「えっ、じゃあキルちゃんたちの武器ってテインさんが作られたんですか?」
驚いて質問する。ブリス陛下の秘書なのにそんな器用なこともできるんだ。
「元々実家が鍛冶屋なのでございます。鍛冶屋の娘たる者、武器一つ作れないで鍛冶屋の出とは言えません。ただ……」
テインさんが壁に立てかけているキルちゃんたちの武器に目を移した。
「今日の戦闘でだいぶ傷ついてしまいました。頑丈な作りなのでちょっとやそっとでは傷がつかないように施しているのですが、相手が相手だっただけに痛みもひどいです。一旦鬼衛隊全員の武器はこちらで預からせて頂きます。しっかり修理して万全なものをお届けいたします」
「ありがとう、テインさん」
「よろしくお願いします」
イアンさんとレオくんがテインさんにお礼を言ったーー。
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「寝つけないの? ユキ」
夕食での出来事を思い出しながら上半身を起こしたまま窓の外を眺めていると隣から声がした。
私を心配そうな顔で見ていたのはイアンさんだった。
「大丈夫です。ちょっと晩御飯のこと思い出してて」
「そっか。寝つけないってわけじゃないんだね?」
「はい。ありがとうございます」
私はイアンさんに笑顔でお礼を言った。不意にあくびが出てきて口を片手で覆う。
「何だ、眠いんじゃないか」
だらしなくあくびをする私にイアンさんが思わず吹き出す。
私も恥ずかしくなって頭を掻きながら、
「そ、そうですね」
「体は正直だからね。ユキは明日も学校あるのかい?」
私が頷くと、
「そっか。じゃあ明日も早起きだね」
イアンさんが伸びをしながら言った。
イアンさんは、私の学校がある時にいつも人間界まで送ってくれるのだ。
「すみません、いつも」
流石に申し訳なくなる。
イアンさんだって朝はゆっくり寝たいはずなのに、私のせいで貴重な睡眠時間を奪われている状態で本当に申し訳ない。
ちゃんと眠れているのか心配になる。
「大丈夫だよ。早起きは得意なんだ」
平然と親指を立ててニカっと微笑むイアンさん。
「ありがとうございます」
お礼を言うと、イアンさんは笑顔で頷いてくれた。
イアンさんの笑顔を見ていると何だか眠たくなって自然とまぶたが落ちてくる。
いつの間にか私は熟睡していた。
別室でこんな会話がされているのも知らないで。
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「陛下。少しお話よろしいでしょうか」
月光を見つめながら佇むブリス陛下のもとに一人の吸血鬼がやってきた。橙髪のレオだ。
「どうした?」
「ユキのことでご相談したいことがあります」
ブリス陛下は振り返り、真剣な表情のレオを見つめる。
「ユキは勿論普通の人間です。それは充分承知しています。ですが……」
「何か、あったのか?」
ブリス陛下が尋ねると、レオは頷いて続けた。
「夕方の天使との戦闘でユキが俺たちを守ってくれてた時に、あいつの周りに白い結界みたいなものが張られてるのが一瞬見えたんです。一瞬でしたし、俺の見間違いかと思ったのですが」
レオはおもむろにポケットから布にくるまれた何かを取り出してブリス陛下に手渡した。
「何だねこれは」
言いながらその布を開いたブリス陛下の目が丸く見開かれる。
「これは……氷か?」
「はい。多分結界の破片です。雪に天使どもの攻撃が当たった時に、一つだけ地面に転がっていました」
布にくるまれていたのは、白くて硬い小さな物体だった。
宝石の欠片のような、雪の結晶の破片のようなその物体は月光を美しく反射して光っていた。
レオはその謎の物体を見ながら言った。
「もしかしたらユキには、あいつ自身も知らない秘密があるのかもしれません」




