第41話 イアンがわたしの息子だよ
黒くなった目前の視界が徐々に揺らめいて色が出てくる。
黄緑色、黄色、水色、桃色……。
自分の目でも判別できるほどにやがて色がはっきり濃くなっていき、集まってある景色を形作った。
____それは以前目にしたことがあるような、暖かく懐かしい景色。
桃色のワンピースが風にはためいて綺麗な弧を描く。それから伸びた長い手足はモデルさながらに美しい。顔は暗くなっていて見えないけれど、どこかで見たことがあるような気になった。
本来なら見当もつかない表情を既に知っているような、不思議な気持ち。
これを味わうのは二回目だった。
最初は吸血鬼抹消組織____通称・VEOの基地から吸血鬼界に転移した時だった。
今見ている景色と同じ景色が目の前に広がっていて、桃色のワンピースを身に纏った女性がいた。
彼女のことを、無意識のうちに私はこう呼んだ。
「お母……さん……?」
何故かは分からない。でも確かに自然と口が動いた。
本当に目の前に映る女性は私のお母さんなんだろうか。
私を産んだ後、お父さんとの関係にヒビが入り、挙げ句の果てに離婚を果たしてまだ幼い私をおじいちゃんに預けて姿を消したというお母さん。
元々体が弱かったお母さんは急に体調が悪くなり、搬送先の病院で死亡したらしい。
そんな彼女が何故今頃、私の目の前に現れるのか。
分からない。
私に何かを伝えたいのか。それとも何か恨みがあるのか。死んでも死にきれないのか。
分からない。
ねぇ、教えてよ。お母さん。
そう言おうとした。でもやめた。
忘れてた。私も死んだんだ。
吸血鬼界に奇襲しに来た天界の双子天使、フォレスとウォルの攻撃を受けて。
ならここは死後の世界か。
『ありがとう。君のおかげだよ』
唐突に天から声が聞こえた。
何だろう。低くて、でも優しくて暖かい男の人の声。
この暖かさどこかで……?
陽の光が差して野原が照らされる。そして同時に目の前の女性の姿が薄れていく。
待って! 待って! お母さん___!
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「ハッ!」
悪夢から覚めるように目が開いた。丸太を敷き詰めた天井が視界に映る。
「お目覚めですか?」
「うわぁっ!」
声と同時ににょきっと私の視界に現れた女性にびっくりして、思わずはしたない声を上げてしまう。
「これは、驚かせてしまい申し訳ございません。人間界の村瀬雪様」
恭しくお辞儀をし、謝罪の言葉を述べてくる紫髪の丸メガネの女性。
この人、私の名前知ってるんだ。しかもフルネームで。
「うっ!」
「あ、まだ起き上がらないでくださいませ。傷が完治しておりません」
起き上がろうとした途端、身体中から痛みが襲ってきて顔を歪めた私の肩を押して、その女性は私を再びベッドに寝かせてくれた。
「ありがとうございます……」
「いえ、とんでもございません」
そう言ってその女性がニコリと微笑む。その時に垣間見えた鋭く長い前歯。
この人、吸血鬼だ。ってことはここは吸血鬼界?
改めて見るとこの天井も見慣れたものだ。
いつのまに鬼衛隊のログハウスに戻ったんだろう。
「ユキ」
優しい声が私を呼んだ。
「イアンさん」
首だけで声のした方を見ると、身体中に包帯を巻いた半裸のイアンさんがベッドに腰掛けていた。
「良かった。起きたんだね」
「は、はい」
イアンさんの言っている意味があまりよく分からなかった。
私、今まで寝てたの……?
思い出そうとするけどどうにも思い出せない。何か頭に霧がかかったような、そんな感覚だ。
えっと、確か、学校帰りに吸血鬼界に連れてきてもらって、ルーンさんに呼び止められて……。
私が吸血鬼界にはしばらく行かないと言ったのに、その約束を破ってルーンさんに怒られて天兵軍たちの奇襲を受けて……。
そしてその闘いの後にやってきた双子の天使によって私たちがボコボコにされて……。
……そうだ! それだ!
私は急いでお腹を見る。死ぬ直前、私のお腹には天使フォレスとウォルから受けた攻撃が突き刺さっていたんだ。
でも血が爛れていたところは綺麗に修繕されていて、イアンさんと同じような包帯が巻かれてあった。
「危ないところでしたよ」
紫髪のメガネ吸血鬼がため息をつく。
「どうしてあんな無茶をしたのですか? 陛下が来られなければどうなっていたか」
腰に手を当てて、やれやれと首を振るメガネ女吸血鬼。
「す、すみません……」
ん? って、それより、この人今『陛下』って言った?
陛下? 陛下……。陛下⁉︎
「これ、テイン。人間を困らせるでないぞ」
少し遠くで低い男の人の声がした。
「も、申し訳ございません。ブリス陛下」
テインと呼ばれた吸血鬼が慌てて頭を下げる。
「申し訳ない。ユキよ」
ブリス陛下が私のベッドの方に向かってきた。
「こいつは面倒見が良いせいでキツく当たってしまうんだ。だが決して悪い奴ではない。どうか許してくれ」
「あ、いえ! 大丈夫です。私の方こそすみません」
私は首だけ上下に動かして何とか頭を下げようと試みる。
「急にお目にかかることになるとはな。噂は予々聞いているよ。初めまして。わたしがこの吸血鬼界の王、ブリスだ。よろしく頼む」
「は、はい! よろしくお願いします!」
何だかブリス陛下、イアンさんにそっくり。目元とか笑顔とかそのままだ。
「いつもせがれが世話になってるみたいだな。ありがとう」
ブリス陛下が頭を下げてきた。
「い、いえいえ! とんでもないです! 私なんかに頭下げないでください!」
……ん? せがれ?
不思議そうな私の顔を見たブリス陛下が笑ってこう言った。
「あぁ、まだ言っていなかったか。イアンがわたしの息子だよ」




