第35話 甘えた結果
ルーンさんが腰の鞘に挿していた剣を抜いて言った。
____言葉で通じないなら、実力行使だ、と。
「そういう意味じゃない!」
イアンさんがまた叫ぶが、ルーンさんは動じない。
「元々交渉決裂の場合は実力行使の予定だったからな」
「……それでも天使か」
イアンさんが悔しげに歯を食いしばる。
「天使が何だ。天使が手荒いマネをしてはいけないと誰が決めたのだ」
「くっ……!」
悔しそうに歯を見せ、思わず押し黙ってしまうイアンさん。
まずい、このままじゃ……。
「ご、ごめんなさい! 私、人間界に戻ります!」
私は急いで叫んだ。ルーンさんとイアンさんが同時に私の方を見る。
「ユキ……」
イアンさんが驚いて私を見る。
「言ったじゃないですか。吸血鬼界には手を出さないでくださいって。ここを攻撃するなら私は人間界に帰ります!」
「ユキ、駄目だ。まだ具体的な解決策も考えられてないのに」
「大丈夫です。私にとってはここが無くなる方がもっと辛いです」
イアンさんがハッと目を見開く。
「約束、破らないでください。ルーンさん」
「何を言う」
ルーンさんは私の言葉に呆れたように微笑した後、その眉をつり上げた。
「お前だって約束を破っただろう。あの約束は無効だ。お前は人間界に戻らなくても良い」
ルーンさんはさらに続けた。
「____その代わり吸血鬼界を攻撃をさせてもらう」
「やめてくだ____」
「皆の者、かかれ!」
ルーンさんのかけ声に一斉に応答する何百人もの声。
それと共に市場の向こう側から天兵達が攻め込んできた。
市場は大パニックになり、そこにいたたくさんの吸血鬼達がこちらに向かって逃げてくる。
「やっぱり奇襲じゃないか!」
後方を振り返りつつイアンさんが声を荒げる。
「敵だらけの世界に我が丸腰でたった一人で来るはずがなかろう」
ルーンさんが『何を馬鹿げたことを』と言わんばかりにイアンさんを馬鹿にした。
確かにそうだ。天界の天使達と吸血鬼の吸血鬼達は敵同士。互いに憎み合っている存在だ。それなのに100%安心できるわけがない。
「よくも騙したな……!」
イアンさんが腰の鞘から剣を抜いて、ルーンさんの方に構える。
「騙したなど人聞きの悪い。敵であるお前達吸血鬼を信用しろという方が無理な話だ」
天兵の軍はそのまま私達の方に突っ込んできた。
「ユキ、下がってて!」
イアンさんが叫ぶと同時に剣と剣が激しくぶつかり合い、オレンジ色の火花が舞い散る。
何百人もの天兵を相手に、イアンさんは私を守りながら奮闘してくれている。
それなのに……。
私は何もできない。一緒に戦うことも、イアンさんを助けることもできない。
と、イアンさんがこちらに吹き飛ばされてきた。
天兵から受けた剣術に押されて小さな砂埃を起こしつつも、何とか両足で踏ん張って体制を整える。
「イアンさん!」
「大丈夫だよ。ちょっと人数が多過ぎるだけさ!」
そう言って、イアンさんは頑なに圧倒的な数を誇る敵に挑んでいる。
「イアンさ____」
少しでもイアンさんの戦力になろうと足を踏み出した私を、見えない壁のようなものが阻んだ。
「え? な、何これ……」
目には全く見えないのに、まるでそこに結界でも張られているかのようで一歩も先に進めない。
空中を手当たり次第触れてみるけれど、どこを触っても壁のような感触がする。
いつのまにこんな壁みたいなものに囲まれたんだろう。
そういえば……。
私はイアンさんに下がるよう言われた時に、イアンさんが手のひらを空中で広げていたのを思い出す。
咄嗟のことで私を守るためのモーションだと思っていたけれど、おそらくアレで結界のようなものを張ったに違いない。
現にイアンさんは結界を張る能力も持っているし、瞬時に結界を生み出すことも充分可能だ。
「イアンさん!」
身動きできない状態でも、私はとにかく叫ぶ。
「何でこんな……。私も一緒に戦いたいです!」
「ユキには無理だ!」
器用に天兵からの攻撃を交わして、自らも剣術をお見舞いしながらイアンさんは言う。
「武器もないし特殊な能力もない! そんな状態で戦うなんて自殺行為だよ!」
「で、でも……」
「その結界の中にいれば安全だから、戦いが終わるまで待ってて!」
いつになく厳しい声で言われて思わず黙ってしまう。
それに、これ以上イアンさんの集中を途切らせては駄目だ。
「言っただろう」
ルーンさんが微笑をたたえながら、結界のすぐそばまで歩いてきた。
「お前には何も出来ん。それなのにここにいたって意味がないだろう。いい加減に気付いたらどうだ」
腕を組み、冷たい目で見下ろされて私は息を呑んだ。
ルーンさんの言っていることは悔しいけど正しい。
吸血鬼界にいても何の戦力にもならない人間がいても、返ってイアンさんの邪魔になるだけだ。
それならいっそ元の世界に戻った方がいい。
でも……。
「分かってます。私が一番分かってます。そんなこと」
つい反抗的な態度になってしまう。
私のそんな態度にルーンさんは訝しげに眉をひそめた。
「でも一緒にいたらすごく心が安ら____」
そこまで言って私はハッとした。
天界での自分の嘆きを思い出したのだ。
あの時の決意はどこへ行ったのか。
今私が言った言葉は、あの時どうしても吸血鬼界に居たいと泣いてすがった私と同じ。何も進歩していない。
まただ。また誰かに甘えようとしているんだ。
もう絶対にやめると誓ったはずだったのに……。
「一緒にいたら、何だ? 言ってみろ」
結界越しにルーンさんが命令してくるけど、どうしても私はその後を口に出来ない。
だってそれは私の甘えだから。
ドーン!
急に大きな爆撃音が鳴り響いた。
私が前を向くと、何百人もの天兵の攻撃を交わしきれず同時に受けてしまったのか、イアンさんが苦しそうに顔を歪めて息を切らしていた。
今のイアンさんは、剣を地面に突き刺して何とか体制を保っている状態。服は所々擦り切れていて部位によっては血が滲んでいるところもある。
「イアンさん!」
「お前が約束を破ったせいだ」
ルーンさんが私とイアンさんを哀れむように言った。
「お前のせいでこいつが傷つくことになったんだぞ」
面と向かって言われて私は何も返せなかった。
ルーンさんの発言は間違っていない。確実に的を射ていた。
私が我慢して吸血鬼界との接触を避けていれば、こうやって天兵軍が吸血鬼に攻めてくることもなかったのに……。
「……まだ懲りぬか。やれ」
私が黙っていることに呆れたルーンさんが天兵軍達に命じる。
再び天兵軍達の剣が金色に光り、その先端に力が集まった。そしてその矛先はたった一人の吸血鬼に向いている。
イアンさんが、危ない!
でも私はこの結界から抜け出せない。じっとしたまま、黙ったまま、イアンさんが傷つくのを見ていることしか出来ない。
やがて剣の先端に集まった力が空中で再集結し、大きな塊を作り出す。
傷ついたイアンさんも、結界に守られている私もその場から動くことができない。
絶体絶命の状態だった。




