第32話 私もいつか
「おはよう、ユキ」
「おはようございます。イアンさん」
翌朝、目を覚ました私にイアンさんが挨拶してくれた。
レオくんと話してからの事はあまり覚えてない。気付いたら今起きていた。
「また戻らなくちゃね、人間界に」
「……はい。でも逃げないって決めたので大丈夫です!」
『人間界』という言葉を聞いて一瞬嫌気がさしたけど、昨日立てた決意を思い出してイアンさんに親指を立てる。
昨日は結局、誰に何を言われようと私が頑張るしかないという結論に至った。
レオくんの決意を聞いているとそう思えたんだ。
「そっか。良かった。ユキが成長してくれると僕も嬉しいよ」
「はい!」
イアンさんにつられて私も笑顔になる。
「じゃあ行こうか」
イアンさんが立ち上がって言った。
「え? キルちゃんたちは……」
横で寝ているキルちゃん、ミリアさん、レオくんを見ながら私が言うと、
「まだ寝かせておいてあげたいんだ。吸血鬼って基本夜型だからね」
笑いながら言うイアンさん。確かに人間界でも吸血鬼は夜に活動してるイメージがあるけど、意外と本当だったりするみたいだ。
「な、なら、イアンさんも寝たらどうですか? 私、魔法陣の場所だったら覚えてますし、一人で行けますよ」
慌てて、私はそう提案する。
吸血鬼が夜型ならイアンさんも吸血鬼だから夜型ということになる。つまりイアンさんも本当はすごく眠たいはず。
「僕は大丈夫だよ。早起きには慣れてるんだ」
とニッコリ笑うイアンさん。
本当に大丈夫なのか不安になったけど、さらに付け加えるようにイアンさんは口を開いた。
「それにあの魔法陣は吸血鬼界……もっと言うと亜人界の住民しか発動できないからね」
そう言われて私はハッとする。
魔法陣がある場所までは行けるけど、よくよく考えると私、自力で魔法陣発動できないじゃん……。
「で、では、お願いします……」
そのことを思い出して、私はイアンさんに向かっておずおずと頭を下げた。
恥ずかしい。恥ずかしさのあまり顔が熱い。
ただの人間で、何も特別な遺伝子も引き継いでいなければ、覚醒するような能力も持ち合わせていない。
そんな私が魔法陣を発動させることが出来ないなんて分かり切ってたことなのに、すっかり忘れてしまっていた。
でもイアンさんはそんな事は気にする素振りも見せず、笑顔で頷いてくれた。
三人が起きないようにそっと家を出る。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
「____ユキは偉いね」
二人で並んで歩いていると、唐突にイアンさんがそう口にした。
「え⁉︎」
「だって苦しい場所でも頑張ろうって思えるんだよ。今もこうやって、自分にとっては地獄の場所に帰る決心をしたわけだし」
「そ、そんな……。単に現実逃避してただけなんです。全部私の性格が招いた事なので全然偉いとかじゃないです。甘えてたのが悪いんです」
「そうかなぁ。僕からしたらすごいけど」
そんな事言ってもらえるなんて思っていなくて驚いてしまう。
でも実際偉くもなんともないし、これは単なる現実逃避に過ぎない。
吸血鬼界っていう世界が存在してくれている事に、そこに私の居場所がある事に甘えているだけだ。
____私自身が自分の世界で変わらなきゃ、意味がないんだ。
「ありがとうございます。そんな風に言ってもらえて嬉しいです」
私が言うとイアンさんは安心したように微笑む。
「でも……」
私が言いかけたその時。
「うぇーん、うぇーん、うぇーん」
泣いている子供の声がした。イアンさんも私もキョロキョロと辺りを見渡す。
「あ! イアンさんあそこです!」
私は声の主を見つけて指を指す。その方向には人間で言う幼稚園児くらいの、長い前歯を二本生やした吸血鬼の女の子が居て市場の隅で泣いていた。
イアンさんは黙って頷くと『ユキはここに居て』と小声で指示してその女の子のもとへ駆け寄っていった。
一人残された私は通路の邪魔にならないように端に避ける。人間の私を見ちゃったらあの子が怖がって泣いてしまうかもしれない。だからイアンさんはこういう指示をしたんだろう。
イアンさんは女の子の前でしゃがみ込み、その子の頭を撫でて何か話した後、その子の肩を抱いて一緒に歩き出した。女の子の視界に入らないように私はこっそり二人の後を追う。
すると女の子が走っていった。その先にはその子の母親らしき吸血鬼ともう一人の小さな男の子吸血鬼がいて手を広げて我が子との再会を喜んでいた。その母親はイアンさんに何度も何度も頭を下げていた。母親に抱き上げられた女の子はイアンさんに向かって無邪気に手を振っていた。もう涙は流れていなかった。代わりに可愛らしい笑顔が咲き誇っていた。
「やぁ、ごめんね。待たせちゃって」
遠くで見ていた私にすぐに気付いてイアンさんが戻って来てくれた。
「大丈夫です。あの子が無事にお母さんと会えて本当に良かったですね」
「うん、そうだね。あの子、弟くんと喧嘩しちゃって拗ねて一人でいたいって言ったんだって。そしたら本当に迷子になっちゃったみたいでお母さんにゲンコツ喰らってたよ」
自分がされたわけでもないのに情けなさそうにイアンさんは笑う。
「そ、そうなんですね」
「でもあの子が家族と再会できたのはユキが見つけてくれたおかげだよ。ありがとう」
そう言ってイアンさんは笑顔を向けてくれた。恥ずかしくて思わず目を逸らしてしまう。
それにしても、女の子といる時のイアンさん、お兄ちゃんみたいですごくかっこよかったな。
それに喧嘩をしていたというあの姉弟。私の場合喧嘩ではないけど、私だって今は後藤さんと険悪な関係にある。
あの吸血鬼の姉弟と状況は違うけど、どこか似ているのではないか、と感じるところがあった。
私もいつか……。
魔法陣のある時計台へと足を進めながら、私は密かにそんなことを思っていた。
「よし、着いた」
時計台への坂道を登り終えるとイアンさんは一息ついて、
「さぁ、乗って。僕も一緒に行くよ。見つからないうちにすぐ帰るね」
「え? わ、わざわざすみません……」
本当に何から何までしてもらって申し訳ない気持ちになる。私はイアンさんや吸血鬼界のために何も出来ていないのに。
「気にしないで。じゃないと魔法陣が発動しないから」
……あ、そういうことか。また変な勘違いしちゃった……。恥ずかしい!
「は、はい」
赤い顔を見られたくなくて、私は下を向いて隠しながら水色の魔法陣の上に立つ。
イアンさんも横に立って私の肩を抱いて引き寄せると、
「行くよ!」
と言って魔法陣発動の呪文を唱えた。
「【魔法陣】」
私の視界が淡い水色の光に包まれた。
これにて第一章 出会い編完結です!
次話から第二章 天界の天使編をお楽しみください!




