番外編⑤ 神とそのしもべ
いつかの廃墟で、グリン・エンジェラは古びた椅子に腰をかけていた。
「ルーンのこと庇ったよね、ウィスカー」
目の前で突っ立っている黒髭の吸血鬼を見上げ、グリンは憎しみを込めて尋ねた。
亜人界の国王・ブリスのブラックホールからやっとのことで抜け出した時、再びイアンを襲ったところをルーンとフェルミナに防がれてしまったのだ。その後は何度も剣を交えた。ルーンが取得した新たな能力にも、柔軟に対処した。
そこをウィスカーに邪魔され、この廃墟に連れてこられたのだ。それなのに目の前の吸血鬼は、小刻みに首を振る。
「庇ってはおりません」
「嘘つけ。せっかくルーンのことぶっ潰せると思ったのに、そなたの邪魔が入ったせいで取り逃したじゃないか」
「リーダーも体力や魔力を嫌と言うほど消耗しておられました。これ以上戦うのは危険だと思いまして」
一歩前に進み出て、あくまでもグリンの邪魔をしたわけではない、と主張するウィスカー。
「そんな気遣いなんて不要だ。余はこの世界の神なんだぞ」
「……神?」
「ルーンがあの小僧の力を得て新しい力を得た。でも逆に言えば、その力がなかったら余の足元にも及ばなかったってことだ。つまり、余はもう既にルーンに勝ってるんだ」
「____」
ウィスカーは口をつぐんでいた。だが、そんな姿などグリンの眼中にない。
「にしても、何なんだあの小僧は……。煩わしい……! ルーンに自分の無力さを痛感させて、余が天兵長の座を奪い取る計画が台無しになった……!」
村瀬雪と同じようにただの人間で、戦力外だと思っていたあの少年がルーンの純白の剣を金色に光らせた。
それによって新たな技が発動し、ルーンは無力さを痛感するどころかあの場で最も有力な存在となってしまったのだ。
「申し訳ありません、リーダー。わたしの調査不足でした」
頭を下げるウィスカーに、グリンは机を拳で叩く。
「そうだよ! そなたが報告した資料にはあんな奴の情報なんてなかったじゃないか! そなたがちゃんと調べてさえくれれば、余だって対策できたのに……!」
「ただの人間が、あんな能力を秘めていたなんて思いもしなくて」
顔を上げ、しどろもどろに言い訳を始めるウィスカー。
グリンは頬杖をついて、亀裂がいくつも入ったボロボロの天井を仰いだ。
「あいつは人間じゃない。おそらく、天から遣わされた使いみたいなものだろう。何でずっと人間界で人間のフリをしてたのかは分からないけど」
「あの魔術文字を使った攻撃、何とか対策を取って防ぎましょう」
「言われなくても分かってる!」
「も、申し訳ありません……」
語気を強めたグリンに再びウィスカーは頭を下げる。だが、何かを決意したのか、両の拳をギュッと握りしめ、勢いよく顔を上げた。
「リーダー! わたしにお任せください! 次こそはしっかりと役割を果たしま____」
「役割? 笑わせるな」
グリンは、そんなウィスカーを鼻であしらう。
「余がそなたを配下に置いてたのは、あくまでも情報収集をするためだ。鬼衛隊の隊長を退いて何の価値もなくなったそなたを、余が好き好んで拾ってやったとでも思ってるのか?」
「い、いえ……。ですが、リーダーは仰いました。自分と同じ『必要とされなくなった者同士』だ、と」
「あんなの嘘に決まってるじゃないか」
ウィスカーの眉が分かりやすく寄せられる。信じられない、と言いたげに。
「まさか、本気にしてたのかい? 口実なら誰でも作れる」
「ふ、ふざけないで頂きたい……!」
「……は?」
拳をギュッと握りしめ、声を震わせながらウィスカーは言った。
「ご自分一人で情報収集も出来ない、こんな『何の価値もない』異種族の吸血鬼を頼らなければならなかった……。自分のことは棚に上げて、わたしを利用したなん____」
次の瞬間、グリンはウィスカーの口元を掴んで引き上げていた。既にウィスカーはバタついても、その足先を地面に当てることさえ出来ない状態だった。
苦しそうに息を詰まらせる吸血鬼を見上げ、グリンは低い声を発する。
「余は神。貴様はしもべ。しもべが神のために動くのは当然のことだろう? 利用されてたことにも気付かずに、のこのことついてきた自分を呪え!」
「くっ……!」
歯を食いしばり、悔しげな表情をするウィスカーを、グリンは口元から手を離して下ろした。
「あのまま余がルーンを倒していれば、今頃天界の奴等は余に頼るしかなかったんだ。余が天兵長の座について、天界を支配してたのに」
「それは……」
言い返せないウィスカーが、ただ苦しげに声を漏らす。
「遺憾千万。残念だよ、ウィスカー。そなたはよくやってくれた。……消えろ」
腰の鞘から漆黒の剣を抜き、グリンはウィスカーを見つめる。ウィスカーはわずかに後ずさり、両手を上げて首を振った。
「そ、そんな……! もっとお側に置いてください、リーダー! 今度こそリーダーの邪魔になるようなことは致しません!」
そんなことを言われても、グリンの胸には少しも響かない。
ウィスカーは現に一度グリンの邪魔をし、グリンがいくら側に置いてもろくに役に立たなかった存在だ。そんな奴をこのまま置いておくなど、するわけがない。
どうせ戦闘魔法なども使えないのだ。ルーンが獲得した新技にだって対抗出来ないのだから、いよいよ使い道がない。
だからグリンは小首をかしげて微笑み、
「バイバイ。余を邪魔したことを一生後悔していくんだね。まぁ、魂が消滅した時点で生涯は終わるんだけど!」
漆黒の剣をウィスカーの身体に勢いよく突き刺した。
吸血鬼三人組を消滅させた時と同じように、魂の核に届くまで剣を胸に差し込んでいく。
「あっ……!」
わずかな声を発したウィスカーの身体は次第に透けていき、丸いガラス玉に姿を変える。そしてそのガラス玉____魂の核は、呆気なくパリンと音を立てて割れた。
「ウィスカー……さん……?」
震えた声に振り返ると、栗色の髪の少女が部屋の入り口の前に立っていた。その側には黒髪の青年を始めとした、何人もの吸血鬼、天使、亜人、人間、そして神の使いが居る。
少女の瞳は恐怖を宿して揺らめいていたが、グリンは手を広げて笑った。
「やぁ、皆お揃いで。ようこそ、歓迎するよ」




