第232話 幼き日の屈辱
グリン視点の三人称です!
「くそっ……!」
天使グリン・エンジェラは、廃墟の中で悔しさを露にするように歯ぎしりしていた。
外が真っ暗だからなのか、いつもよりも余計に暗く感じる。
しかし、グリンは廃墟の暗さなど気にしなかった。むしろ今は暗闇の中に居た方が気が紛れる。
グリンにとっては屈辱以外の何物でもなかった。
自分の計画を実行する上で、それを王宮の王子達に邪魔されたのだ。
それ自体はどうでもいい。あれだけ事を大きくしてしまえば、王宮側が動くのは当然のことだ。勿論、予想もできていた。
それよりも何よりも、王宮の王子ヴァンがグリンを処罰するに当たって、天兵長ルーン・エンジェラに確認を取ったことが、グリンにとっては屈辱的だったのだ。
本来ならば、グリンが天兵長の座につけていたのに。
「父上のコネのせいで……!」
グリンは床を拳で強く叩いた。
バンッ! と強い音が暗い廃墟の中を反響していく。
幼い頃、ルーンは強くなかった。グリンよりも弱かったのだ。
剣の打ち合いをしてもすぐに勝負はつく。
剣の柄を握る力が弱いのか、グリンの剣が彼女の剣を弾き飛ばしてしまったことなどざらにある。
それに今よりも性格が穏やかだった。弱虫で泣き虫の引っ込み思案だったのだ。
訓練に負ければすぐに泣きじゃくるし、いつもおどおどしていた。
既に実力も天兵軍の中で認められていたグリンは、いつも腹立たしさを感じていたのだった。
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「打ち合い、やめ!」
審判をしていた天使の声が、高々と響き渡る。
訓練所では、たくさんの天使達が剣の打ち合いに励んでいた。
言うなれば実践を想定した訓練である。
「ひゃあっ!」
そんな中で、短い白髪の少女はあえなく尻餅をついた。
ウェーブがかった白髪の少年は、そんな彼女の首元に白い剣を突き付ける。
「ひっ!」
目の前で尻餅をついて涙目になっている少女の喉が、キュッと縮んだのがすぐに分かった。
「今日も僕の勝ちだね、ルーン」
「また負けちゃった……。グリン、強すぎるよ……」
少年___グリンが手を差し伸べると、少女___ルーンはそれを握ってゆっくりと立ち上がる。
「僕はまだまだだよ。もっと頑張らなきゃ」
「そんなこと言ったら、私なんてもっとまだまだじゃない……」
グリンが腰の鞘に剣をしまいつつ言うと、ルーンは余計にしょんぼりと肩を落とした。
「大丈夫。これからいっぱい練習すれば強くなれるよ」
ルーンの小さくて細い肩に手を置いて、グリンは笑みを浮かべる。
「なれるかなぁ……」
グリンの励ましを受けてもなお、ルーンは不安そうにため息をついていた。
「二人とも、今日もよく頑張ったな」
不意に聞こえた声にグリンが顔を上げると、そこには立派な白い羽を生やした男の天使が居た。
「「父上!」」
グリンとルーンは、たちまち顔を輝かせて男の天使___グリオネス・エンジェラを見上げた。
ただ、グリンには聞き捨てならないことがあった。
ルーンまでもがグリオネスを『父上』と呼んだのだ。
グリンは不服げに抗議の声をあげる。
「ルーンのお父さんじゃないでしょ。父上は僕の___」
「まぁまぁ、良いじゃないか、グリン。ルーンも朕の大切な子供だよ」
ルーンの頭を撫でつつ、グリオネスはグリンの言葉を遮った。
「どうだ? ルーン。訓練の成果は出ているか?」
グリオネスに問われ、ルーンは首を横に振った。
「全然ダメ。またグリンに負けちゃった」
「そうかそうか……。だが、精一杯頑張っていたではないか、ルーン。偉いぞ。……グリン」
ルーンの頭をワシャワシャと撫でながら、グリオネスはグリンを見下ろしてくる。
グリンは期待していた。
ルーンと同じように自分も褒めてもらえるのだ、と___。
「駄目ではないか。ルーンを泣かせるようなことをしたら。少しは手加減しなさい」
しかしグリオネスの口からは、思わず耳を疑ってしまうような言葉が飛び出してきた。
グリンは驚くどころか、呆れる気持ちしか沸いてこないのを感じた。
___ああ、やっぱりこうなるか、と。
「申し訳ありません、父上」
仕方なく頭を下げるグリン。
グリオネスはそんなグリンの頭を撫でると、
「訓練の相手を変えることも考えたが、ルーン本人の希望だからなぁ」
「私、グリンと訓練したいの! もっともっと強くなって、グリンとちゃんと戦えるようになりたい!」
「そなたならそう言うと思っていたぞ、本当に向上心があって偉いな、ルーンは」
「コウジョウシン?」
ルーンが不思議そうに首をかしげると、グリオネスは顔をほころばせる。
「やる気があって素晴らしいということだよ」
「そっかぁ。えへへ」
ルーンは頬をピンク色に染めて照れながら、嬉しそうにしていた。
「父上!」
訓練が終わってから、グリンは大きな父の背中を追いかけた。
「何だ? グリン」
「どうしてルーンばかり褒めて、僕のことは褒めてくれないんですか?」
「お前は褒めなくてもちゃんと出来ているではないか。ルーンはまだ伸び代がある。褒めて伸ばさないとな」
一瞬、グリンは自分が褒められたのかと思った。
「あの子は良いぞ。いつか朕の後を次いで立派な天兵長になってくれるはずだ」
グリオネスは、顎を撫でながら笑みを浮かべる。
「なっ……! どうしてですか!? ルーンよりも僕の方が強いのに!」
「ほら、そういうところだ」
グリンは思わず口ごもった。
どこに自分が天兵長になれない原因があるのか、父の言葉を待っていると、
「お前はいつも自己中心的な言動をする。自分のことしか考えていないような者が、何千も居る天兵軍を纏められるわけがないだろう」
「ち、違います! 僕はただ___」
「言い訳をする暇があったら、自分の言動を見直しなさい」
ぴしゃりと言い放たれ、グリンはそれ以上何も言えなかった。
いや、言わなかった。言う気が起こらなかったのだ。
それから、グリオネス・エンジェラは死んだ。
吸血鬼達で組織された鬼衛隊のイアンという吸血鬼に、魂の核を壊されて。
グリオネスの生前の意向通り、新しい天兵長に就任したのはルーンだった。
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「ルーン……! 貴様に分からせてやる……!」
グリンは暗い廃墟の中で、壁に拳をぶつけた。
ルーンでは天兵長は務まらないことを、自分の手で思い知らせると誓いながら。




