第231話 振り返るよりも
威勢良く外に飛び出してきたのは良いけど、よくよく考えてみれば私は、イアンさんがどこに行ってしまったのか分からない状態だった。
それでも何とか見当をつけて、とりあえず王宮の方向に歩いていく。
レオくんに『もう来ない方が良い』と言われた時、私も無意識のうちに王宮の方に走っていってたから。
夜だからか少し風が吹いているので、私は小走りでイアンさんを探す。
こんなに寒い中に居て、万が一にも風邪を引いてしまったら大変だ。
しばらく小走りを続けていると、外れにある川岸の芝生の上にうずくまっている人影を見つけた。
暗くてあまりよくは見えないけど、黒いマントを羽織ってるし髪型もそっくりだから多分イアンさんだ。
私は忍び足で芝生を踏みつつ、イアンさんへと近付いていく。
そして、
「だーれだ」
「うわぁっ!? えっ!? えっ!?」
突然背後から両目を塞がれたイアンさんは、すっとんきょうな声をあげて驚く。
「えへへ、私です」
「ゆ、ユキか……ビックリした……!」
イアンさんの目から手を離し、私は彼の隣に座る。
イアンさんは大きな息を吐きながら、胸を押さえた。相当驚かせてしまったみたいだ。
「もう暗いのにこんな外に居たら、私みたいに誘拐されちゃいますよー。さっきみたいに後ろから目隠しされたら、あっという間に確保です」
イアンさんと同じように腰を下ろして目の前に広がる川を見つめると、イアンさんは乾いたように笑った。
「はは、そうだね」
「ううー寒い。この世界も四季とかあるんですね」
川岸に座ったことで吹き付ける風がより冷たく感じられ、私は思わず身を縮めてしまう。
「うーん、人間界みたいに顕著ではないけど、この時期はいつも冷えてくるね」
「人間界ではもう少ししたら雪が降るんですよ」
もうすぐ十二月。十二月ともなればクリスマスイブやクリスマスなどのイベントがある。尤も、彼氏が居ない私にとって特に縁のないイベントだけど。
「えっ!? ユキが!? ど、どういうことだい……?」
「えっ!? 私のことじゃないですよ!? 雪っていうのは氷の結晶みたいなものなんです。人間界には春夏秋冬っていう四つの季節があって。ちょうど今みたいに寒くなるのが冬って言うんですよ」
そっか、発音が同じだからイアンさんは分からないよね。
雪って聞いて私だと勘違いしたことから考えて、亜人界じゃ雪は降らないみたい。
「へぇー。すごいね、やっぱり人間界は。すごく魅力的だ。僕も遊びに行きたいよ」
「来てくださいよ! イアンさん達にはお世話になりっぱなしですし、私の家でゆっくりまったりしてもらいたいです」
もしもイアンさん達吸血鬼が人間界に来てくれたらと思うと興奮してしまって、私はつい大きな声を出してしまう。
「……まぁ、今はまだ難しいだろうけどね」
「大丈夫ですよ。近い将来、必ず人間界とこの世界は仲良くなれます」
残念そうに言うイアンさんに、私はそう言い切る。
すると、イアンさんは私を見下ろして不思議そうに尋ねてきた。
「何で分かるんだい?」
「えへへ、私のただの直感です。直感と言うか願望と言うか」
「そっか、本当にそうなると良いね。僕も早くユキやフウマ以外のたくさんの人間と仲良くなりたいよ」
イアンさんは嬉しそうに顔を綻ばせた。
「ありがとうございます」
「何でユキがお礼を言うんだい? 僕は何も感謝されるようなこと言ってないじゃないか」
イアンさんに感謝するようなこと……。たくさんありすぎる。それくらいたくさんお世話になったから。
「私はイアンさんに感謝してますよ。私のことを立ち直らせてくれたのも、励まして背中を押してくれたのも、ずっと見守ってくれたのも、全部全部イアンさんですから」
イアンさんは驚いたように目を見張って息を呑んだ。
「それに、私が氷結鬼の姿に戻った時に言ってくれたじゃないですか、イアンさん。私のこと信じてるって。あと、私のことをいっぱい褒めてくれましたし」
「……覚えてるのかい?」
「夢みたいにぼやけてますけど、何となく記憶してます。多分、イアンさんの言葉だったからじゃないかな」
氷結鬼ルミに戻ってからの記憶は、まるで夢みたいにぼんやりとしている。あくまでも『村瀬雪』ではなく『氷結鬼ルミ』が体験したことだからだろう。
でも何故か、イアンさんがかけてくれた言葉だけは鮮明に記憶に残っているのだ。だから彼の言葉も覚えていることができる。
「だから、イアンさんは十分優しいヒトですよ」
私の言葉に、イアンさんは首を横に振る。
「優しくないさ。天兵長のお父様の命を奪ったんだから。僕が、この手で……」
イアンさんは開いた掌をじっと見下ろして、表情を曇らせた。
「イアンさん、今からすっごく偉そうなこと言います」
「ん?」
私の方を振り仰いだイアンさんの手を両手で握りしめ、私は彼の紅色の瞳をじっと見つめる。
「過去は変えられないです。どれだけ願っても後悔しても、これっぽっちも変わってくれない」
私だってそうだった。どれだけ願ってもどれだけ後悔しても、過去は何も変わってくれなかった。
そもそも過去に変わってほしいと望むこと自体、受け身な体勢で間違っているのかもしれないけど、そう願わずにはいられないほど、私の過去は最悪なものだった。
自分から一回だって動こうとせず、相手の方から来てくれるのを待っているばかり。
自分の力で解決しようとも思わずに、全てイアンさん達に頼りきっていた。
今思えば、ルーンさんが渇を入れてくれたのも当然のことだ。
彼女があそこで私を叱ってくれなかったら、私はずっと他人に都合の良いことを求めてばかりで、どうしようもない人間になっていたに違いない。
これからの未来なんて見据えずに、真っ暗な闇の中を進むこともしないで右往左往していたはずだ。
だからこそ___。
「でも、未来ならどうですか?」
「……未来?」
「はい。これからのことです。過去は変えられない。イアンさんが過去の命を奪ってしまったなら、これからの未来の命を守りませんか?」
「これからの、未来……」
「私なんて後悔してばかりですよ。『こんな人間に生まれれば良かった』とか『昨日こうしていれば良かった』とか数えきれないくらい」
過去は変えられない。たとえ何度願っても。
でも未来は変えることが出来る。ありがちで当然と言えば当然の結論だけど。
過去を振り返って足踏みを続けている私達にとっては、真っ暗闇に差す一筋の光のように救いになるもの。
実際、イアンさんは私が立ち止まった時、常に未来を、その先を見据えて言葉をかけてくれていた。
『こんなことがあった。じゃあ、次は……』というように。
「私はイアンさん達に出会えて少し変わることが出来ました。過去ばかり振り返ってないで、ちゃんと今を、これからの未来を見ようって、今の私なら素直に思えます」
過去を振り返るよりも前を向いて未来を見据えて、現状よりも先の行動に思いを馳せる。
イアンさんが私に示してくれた道だ。
「だから、イアンさんにもそんな風に前向きになってほしいんです。以上、偉そうなことでした」
本当に自分でも何を偉そうなことを喋り続けているんだと思う。
全部全部イアンさん達に教えてもらったことなのに、それを自分のことのように説教するんだから。
生意気だと思う。偉そうだと思う。何様だと思う。
それなのに___。
「えっ!? イアンさん!?」
イアンさんは泣いていた。
ヘラヘラと笑う私を見つめたまま、透き通るように綺麗な涙を頬に伝わせて。
「あっ、ごめん」
イアンさんも自分が泣いていたことに気付き、慌ててシャツの袖で涙を拭う。
「あの、大丈夫ですか?」
やっぱり余計なお世話だったかな。私が偉そうなこと言っちゃったから……。
「うん、大丈夫。ユキ、ちゃんと前向きになれてるなって思ったら急に泣けてきちゃって」
止まらない涙を拭い続けながら、イアンさんは何とか笑みを浮かべる。
「ユキの言う通りだ。過去ばかり振り返ってたって仕方ない。それよりも前に進まないとね」
「ご、ごめんなさい。イアンさんを泣かせるつもりはなくて」
「ううん、むしろありがとう。ユキのおかげで目が覚めたよ」
イアンさんは私の頭をポンポンと優しく撫でてから、ゆっくりと立ち上がった。
それに倣って、私もすっかり軽くなった腰を上げる。
「戻ろうか、僕達の家に」
「はい!」
私はイアンさんに向かって力強く頷く。
イアンさんもいつも通りの優しい笑みを浮かべてくれた。
その瞳に月明かりが優しく反射して、スッキリとした鮮やかな光を帯びていた。




