第198話 冗談
それから私は、亜子ちゃんとの二人部屋に戻った。
「雪、おかえりなさい」
ドアを開けると、ベッドに軽く腰を掛けた亜子ちゃんが微笑んでくれる。
「ただいま、亜子ちゃん」
私が応えると、亜子ちゃんは不思議そうな顔で、
「どうしたの? 何か生死の狭間に遭ってきたみたいな顔ね」
「えっ!?」
も、もしかして、鋭い亜子ちゃんにはバレちゃった!?
「げんなりしてるわよ。天界で何かあったの?」
よ、良かった。流石の亜子ちゃんでも分からないよね。私が天界でグリンさんに拳銃向けられた、なんて。
亜子ちゃんの問いかけに、私は慌ててブンブンと首を横に振った。
「ううん、久しぶりに天界に行ったからだと思うけど、ちょっと疲れちゃって」
「そう……? まぁ、ゆっくり休みなさい。今日中には人間界に戻る予定だから」
亜子ちゃんは少し不思議そうだったけど、そう言ってベッドから立ち上がった。そして今まで自分が座っていた場所を手でポンポンと叩き、私に座るように促してくれる。
優しさに甘えて、私は座ることにした。
「えっ、そうなの?」
「当たり前じゃない。流石に平日に学校休むなんて、変に思われるわよ? しかも、あたしと雪と柊木くんと藤本くんなんて異色の組み合わせ」
「そ、そっか。分かった」
異色かぁ。まぁ、言われてみればそうかもね。いつか当たり前になると良いなぁ、なんて。
ていうか、こっちで色々ありすぎて人間界のことがすっかり頭から抜けてたよ。
そう言えば、おじいちゃんには誠さんが『秋祭りの後夜祭のために泊まる』って伝えてくれたんだっけ。
ってことは、今日中に帰らないと怪しまれちゃう。
「ちょうど良い時に帰ってきたわね。そろそろ昼食の時間だわ」
そう言うと、亜子ちゃんは出口の方へ向かう。
「あ、そうなんだ。じゃあ______」
ベッドから立ち上がり、亜子ちゃんと一緒に部屋を出ようとする。
でも亜子ちゃんは、ピタリと立ち止まって私の方を振り返り、
「あんた、あたしの言うこと聞いてた? 休んでなさいって言ったの。昼食なんて遅れても食べられるんだから」
「は、はい……」
亜子ちゃんの静かな威圧には勝てず、私はすごすごとベッドへ戻る。
「じゃ、またあとでね」
「うん、行ってらっしゃい」
亜子ちゃんに手を振り返していると、目の前でドアが閉まった。
一人になった部屋の中で、私は改めて天界での出来事を思い返す。
グリンさん……。
ルーンさんとかフェルミナさんとは、やっぱり昔からの間柄みたいだった。
けど、人間に何か恨みでもあるのかな。急に私のこと撃とうとしてくるなんて。冗談だったから良かったけど……。
本当に、冗談かな。
あの目は、あの冷たくて鋭い視線は本物だった。本気で私を殺そうとしてたような目だった。
それに______。
応接室から出る直前、グリンさんの口が確かに動いたんだ。
『またね』って。
あの時感じた冷たい恐怖が、また私の背中を走っていく。
いたたまれなくなった時には、既に部屋を飛び出していた。
「あ、あの、亜子ちゃん!」
幸いにも、亜子ちゃんはまだ遠くに行っていなかった。
「ん? どうしたの?」
高い位置でくくった赤色のツインテールを揺らし、亜子ちゃんは振り返る。
「やっぱり、私もお昼ご飯食べに行くよ」
「休んでなさいって言ったの、聞いてなかったんだ」
亜子ちゃんのジト目が痛くて、上手い言い訳を考えられなくなってしまう。
「えっと……お腹空いちゃって。あはははへ____」
情けなく笑っていた瞬間、不意に後ろに引っ張られるような感覚に襲われた。自分の状況を理解したころには、天井が視界に映っていた。
「え!? ちょっと! 雪!!」
亜子ちゃんが素早く動き、後ろに倒れかけた私を受け止めてくれる。
「あ、あはは、ごめんね。ありがとう」
謝罪とお礼を一度に言ってまた情けなく笑うと、亜子ちゃんは今度こそ本気で心配そうな表情をした。
「どうしたのよ、本当に……」
確かにびっくりするよね。急に目の前の相手が後ろから倒れるんだもん。
困惑顔の亜子ちゃんに同情していると、お腹がくぐもった音を発した。
私、ちゃんとお腹空いてるんだ。生きてるんだ。
とたんに訳もなく感動してしまう。
だから心配する亜子ちゃんに私が発した言葉は、
「何か、生きてるって良いなって。えへへ」
当然ながら亜子ちゃんは眉をひそめたけど、
「……そう。ホントどうしたのかと思ったけど、雪は大真面目そうね。何があったかは聞かないわ。行きましょ」
呆れたように頬を緩めて、笑顔を向けてくれた。
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それから昼食を済ませた私達は、再び二人部屋に居た。これでこの部屋ともお別れだ。
ちょっと寂しいな。
亜子ちゃんは注意深く部屋中を見回して、
「忘れ物……はないわね。特に持ってきたものはないし」
「うん、大丈夫だよ。……あ」
私も一応部屋を見回して、何もないかを確認する。と、部屋の隅に一冊の本が落ちているのを発見した。
吸血鬼達がどんな本を読むのか気になって、適当に漁って読ませてもらっていたのだ。
閉まったつもりだったけど、本棚からはみ出てしまっている。私の収納力が疑われる。自分の部屋もきれいなわけじゃないからなぁ。
「どうしたの?」
亜子ちゃんは私の方へ近付いてくると、背後から覗き込むようにして、
「何それ。絵本?」
「絵本って言うより言い伝えみたいなのが書かれてたよ。ねぇ、亜子ちゃん! この世界にもペガサスって居るんだね!」
私が興奮しながら言うと、亜子ちゃんは呆れたように息を吐いた。
「居るわけじゃないでしょ。人間界でもペガサスは神話に出てくる伝説上の生き物、くらいにしか捉えられてないんだもの」
それから亜子ちゃんはその辺を見回して、
「それにしても、本の数多いわね。あまり気にならなかったけど、本棚もいっぱいだし」
「あ、ごめん。ここ、俺の部屋なんだ」
「ひゃっ!?」
ドアの方から聞こえてきた声に振り向くと、そこには左右に跳ねた橙色の髪を持つ吸血鬼・レオくんが恥ずかしそうに立っていた。
「レオくん!!」
「ノックくらいしたらどうなの? びっくりしたじゃない」
亜子ちゃんは小さく叫び声をあげたことに顔を真っ赤にしながら、自分の胸を押さえていた。
「ごめん」
もう遅いわよ、と亜子ちゃんはため息混じりに言った。
「レオくん、いっぱい本持ってるんだね」
「ああ。好きだからな。氷結鬼のことも、本で見たんだぞ」
だから『ルミ』状態の私を助けてくれたのがレオくんたったんだ。なるほど、今更ながら納得。
「えっ!? グレース達のことって本になってるの!?」
氷結鬼グレースとは幼なじみの亜子ちゃんが、おったまげた表情をした。
私も一応はグレースの幼なじみなんだけど、何と言うか、それは『ルミ』であって『村瀬雪』じゃないからね。複雑な関係……。
「本って言うか……。伝説的なことが記されている書物って感じだ。まぁ、俺が好きなのは言い伝えられている伝説だけど」
髪を掻きながら笑うレオくん。
「やっぱりこのペガサスも、昔から言い伝えられてる伝説なの?」
私が尋ねると、
「ペガサス? ああ、天馬のことか。『世界が混乱と崩壊の危機に直面した時、世界を中立に保つ天馬が現れる』ってな」
それからレオくんは残念そうな表情で肩をすくめた。
「吸血鬼領なんて、天使の奇襲と人間の奇襲に追われて崩壊寸前なんだけど」
「あ、そうだよね」
やっぱり所詮、伝説は伝説だよね。
「でも、ユキが来てくれてから天使の奇襲はめっきり減ってるよ。この『天馬』って言うのはユキだったのかもな」
歯を見せて笑うレオくんの言葉に、私は仰天してしまう。
「えっ!? わ、私が!? そんなことないよ!」
すると、亜子ちゃんが私の肩に手を置いて、
「言っとくけどこの子、記憶と姿が元に戻ったらその伝説って言われてる『氷結鬼』なのよ」
「分かってるよ。冗談に決まってるだろ。真面目だな、冗談も通じないのか? 亜人は」
「そ、そんなわけないでしょ!? 何バカにしてるのよ!」
「ほら、やっぱり通じてないぞ」
亜子ちゃんは、ニヤリと笑うレオくんを恨めしそうに見た。
「あんたねぇ……」
全部全部、冗談ってことだよ、亜子ちゃん……。




