第193話 夜空の天使
突然、グラグラと上下に揺れ始める辺り一帯に、私達は受け身を取る暇もなく地面へ叩きつけられるような感覚を味わった。
「うっ、いきなり地震!?」
尻もちをついてしまってから辺りを見回したけど、その時にはもう揺れは収まっていた。
とにかく揺れが長引かなくて良かった……。
私がホッと安心していると、同じく地面に倒れてしまった風馬くんが亜子ちゃんに尋ねた。
「この世界にも地震なんてあるのか?」
亜子ちゃんは何とか受け身を取れたらしく、重心を低くしたまま立っていた。
「あたしも初めてよ、こんなの」
辺りを見回しながら、警戒心を募らせる亜子ちゃん。
何で急に揺れたんだろう。しかも揺れの大きさが尋常じゃなかった。
それに左右じゃなくて上下の揺れだったから、頭がガンガンする………。
私が頭痛を堪えていると、急に声がした。
「困っちゃうなぁ、余の天使がボロボロだ」
そうぼやきつつ歩いてきたのは、背中から羽を生やした青年だった。
丸みを帯びた優しげな瞳に、ふわふわとした銀髪が美しい。声は低くもなく高くもない、でもどちらかと言えば高い部類に入るような、中性的な声。
大きな地震が襲ってきた直後に平然と姿を現した青年を見て、風馬くんの心にもいくらか不安が芽生えたみたいだ。
「な、何だあいつ……!」
私達は呆気なく転んでしまって、亜子ちゃんでやっと踏ん張れていたくらいの揺れ。
にも関わらず、何事もなかったかのように平然としているんだから当然だけど。
「亜子ちゃん、知ってる?」
私はそっと亜子ちゃんに耳打ちしてみた。
すると亜子ちゃんは首を横に振って、
「ううん、見たことないわ。羽生えてるし、天使じゃないかしら」
確かに彼が何者なのかは分からないけど、背中から生えている羽から推測するに、きっと彼は天使だろう。
でも、ルーンさんやフェルミナさんの羽よりは、若干薄汚れてるような……。
青年は亜子ちゃんの声が聞こえたのか、パッと顔を輝かせる。
「お嬢さんご名答。余は天使だよ。グリン・エンジェラ。よろしくね」
「エンジェラって……ルーンさんのご兄弟、ですか?」
ルーンさん、私と初めて会った時に『ルーン・エンジェラ』って名乗ってたよね。
天使にも苗字の概念があるのかは分からないけど、少なくとも同じ名前があるってことは、血縁関係がある可能性が高い。
「いいや、余とルーンは兄弟なんかじゃないよ。エンジェラっていうのは、天界でもトップに君臨する立場にある者だけが名乗れる名前なんだ」
でも、彼______グリンさんから返ってきたのは、私の想像を遥かに超えた答えだった。しかもご丁寧に補足説明までしてくれた。
「な、なるほど……」
じゃあルーンさんもグリンさんも、天界の中じゃトップクラスってことなんだ。すごい!
思わず感心してしまう私とは違って、亜子ちゃんはあくまでも冷静にグリンさんに真意を問う。
「さっきの地震、あんたが起こしたの!?」
詰め寄る亜子ちゃん。でもグリンさんは不思議そうな顔をして首を傾げ、
「地震? 地震なんて起きたかい?」
「は? あんた何言って______」
亜子ちゃんが眉をひそめて言及しようとしたのをグリンさんは遮ると、
「ああ、もしかして余の武器のことかな?」
「武器……」
亜子ちゃんが今度こそ怪訝そうな顔をする。
「余の仲間達が四面楚歌でピンチだったから、咄嗟にね」
そう言って、地震の正体を明らかにするグリンさん。
でも、彼の手には武器っぽいものはなかった。自分から『武器』という言葉を出したにも関わらず、グリンさんは何も持っていなかったのだ。
そんなことより______。
「四面楚歌って何だっけ」
私がこっそりと風馬くんに耳打ちすると、
「周りが敵だらけで仲間が誰一人居ない状態のこと……だったと思うよ。でも天使達、別に色んな所で戦ってただけで仲間がゼロだったわけじゃないから、多分あのひと、前半の意味だけで解釈してる」
『四面楚歌』の意味を説明してくれた後に、風馬くんはグリンさんに視線を移して顔を引きつらせていた。
「あ、あはは……」
グリンさんが四字熟語に対して曖昧な解釈をしている可能性に、私も思わず曖昧な笑い声をあげてしまう。
グリンさんは柔らかい笑みを浮かべたまま、地面に倒れたフェルミナさんを抱き上げた。
「グリン……様……」
グリンさんの腕の中で、フェルミナさんが声を漏らす。
グリンさんは目を細めてにこりと笑った後、
「フェルミナ久しぶり。今喋れるってことは元気だね」
言うが早いか、グリンさんはあっさりとフェルミナさんを地面に下ろしてしまった。
「は、はい……。っ!」
地面に足をつけた途端、フェルミナさんの表情が痛みを感じたかのように歪む。
でもグリンさんは、そんな彼女には見向きもせずにルーンさんの方へと歩いていき、彼女を抱き起こした。
「それにしても九腸寸断、残念だよ、ルーン。こんなにボロボロになっちゃって」
土などの汚れがついたり、所々でひび割れてしまっているルーンさんの鎧。
大きくへしゃげた白い羽。
自分の腕の中に居るルーンさんをいとおしそうに見つめ、グリンさんは悲しそうな表情をした。
「す、すまない、グリン」
ルーンさんが顔を曇らせると、
「やっぱり、ルーンに天兵長という役職は雲泥万里、かけ離れてたんじゃないかい? 余が天兵長になった方が十全十美、完璧だったと思うなぁ」
グリンさんは『大丈夫だよ』とかルーンさんを元気づける言葉をかけるどころか、彼女の無力さを厳しく指摘した。
「くっ……!」
それでもルーンさんにとっては的を射た指摘だったみたいで、ルーンさんは悔しそうに奥歯を噛み締めている。
「そんなことはありません! グリン様!」
すると、不意にグリンさんの指摘を否定する声がした。
「……え?」
グリンさんが少し眉をひそめて振り返る。
私も声のした方______左方向を向くと、鎧の二の腕部分を押さえたフェルミナさんが顔を歪めながらグリンさんを見つめていた。
「ルーンは、一生懸命頑張ってくれています! ですから私達だってここまで強くなれたんです!」
「フェルミナ……」
グリンさんに抱き上げられたまま、フェルミナさんを見つめるルーンさん。
「グリン様は、たった一度この戦いを目撃されただけではありませんか! それだけでルーンに天兵長の適性が無いだなんて、決めつけないでください!」
グリンさんは口角を上げると、
「そんなボロボロな身体でよく言えたものだ。聞風喪胆。びっくりだよ」
「そ、それはっ……!」
口ごもったフェルミナさんを畳み掛けるように、口を開く。
「たった一度。たった一度の戦いで命を落とす場合だってあるんだよ。たった一度、されど一度」
一番星が輝いている夜空を仰ぎ、グリンさんはフェルミナさんを厳しい視線で射抜いた。
「君だって、分かってるでしょ?」
「……は、はいっ」
「まぁ、説教はまた今度だ。帰ろう、余の天使達」
グリンさんは灰色の羽を広げると、それをバタバタと羽ばたかせた。
無数の小さな羽根が宙を舞った時には、彼らの姿は消えていた。
いつの間にか、フェルミナさんだけじゃなくてフォレスやウォルも連れていかれていた。
「ユキ! 皆! 大丈夫!?」
王宮の扉を勢いよく開けて、イアンさんが外へ出てきた。
イアンさんと一緒に誠さんも、そして扉の前に避難していた亜子ちゃんのご両親や藤本くんも走ってきた。
「は、はい、私達は大丈夫なんですけど……」
私は彼らが消えていったであろう夜空を見上げる。
さっきまで空に浮かんでいたはずの一番星も、その輝きを失って闇に溶けていた。
第六章 堕鬼編 完結です!
次話からは第七章 堕天使編をお楽しみください!




