第180話 違和感と確信
王宮が吸血鬼達の襲撃に遭う数十分前。
亜人界・亜人領では、二人の高校生が若人吸血鬼と戦い続けていた。
後藤亜子と藤本剛。一人は亜人、もう一人はごく普通の人間という、少し変わった組み合わせである。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
焦点の定まっていない虚ろな瞳、乱れたツインテール、震える手足______。
ボロボロの状態でも、亜子は決して倒れずに若人吸血鬼に鋭い視線を送り続けていた。
そんな少女を尻目に、若人吸血鬼は薄く笑って、
「なーんだ、どっちも大したことないじゃん。『仲間に助けられたから力が倍増する』みたいなつまんない展開じゃなくて良かったけど、それにしてもヘロヘロ過ぎじゃない?」
「う、るさい、わね……ぐっ!」
亜子が痛みに声をあげたのは、若人吸血鬼にお下げを引っ張られたからだ。
地面についていた足もやがて地面から離れてしまい、亜子は宙吊り状態にされてしまった。
「後藤っ……!」
一方、亜子の背後で地面にうつ伏せの状態で倒れている剛は、再び襲われかけている亜子を見て必死に声を漏らした。
しかし剛も剛で傷だらけになっているため、すぐに立ち上がろうとすると、それをズキズキとした傷の痛みが阻んでくる。
いつもは元気に逆立っている金髪も、毛先が曲がったり薄汚れたりしていて、相当なダメージを受けたのは明白だ。
若人吸血鬼は、この珍しい組み合わせとの勝負に飽きてしまったように大きくため息をつくと、
「僕もね、君達の相手してる場合じゃないの。もっと大事な用事があるんだから……ねっ!」
「ぐふっ!?」
空いた拳______亜子のお下げを握った手とは反対の手______を強く握ると、それを亜子のお腹にぶつけた。
そして亜子が痛がる様子を見て目を細め、
「ハハハハハ! 良いね、その顔! ほら、ほら!」
まるで子供のように高笑いしながら、亜子のお腹に何度も何度も拳をぶちこんでいく。
その度に、亜子はお腹のモノが全て出てしまいそうになるのを堪えつつ、同時に襲ってくる痛みにも耐えていた。
そんな亜子にとどめを差すように、若人吸血鬼は改めて亜子のお下げを握る力を強めると、
「グリングリンって回して______飛んでけー!」
握ったお下げを通じて亜子の身体全体を大きく回転させ、遠くへ投げ飛ばしたのだ。
亜子は声をあげることもなく飛ばされ、土埃を上げながら地面に転がった。
しかし、亜子はそこから立ち上がろうとしない。むしろ、身体を動かそうともしないのだ。
まるで死んだように動かなくなった亜子を目の当たりにして、剛の中で何かが切れた。
「後藤!! ……てめえ、ふざけんなよ!」
亜子とは、夏合宿など直接関わる機会がなければ一切関わってこなかった剛。
当然ながら、二人の間に友情などの『友達に向けた感情』は微塵もない。
しかし、今のように亜子が簡単に倒されるようなことだけは許せなかった。
決して、亜子に対する怒りではない。
かつて自分の母親の命を奪った吸血鬼。直接的な個体の違いはあれど、剛にとってはどれも同じ。
その吸血鬼が、一人の弱りきった少女を物のように扱ったこと。
剛にはそれが許せなかった。
「うるさいなぁ、脱落者が。ただの人間は黙っててよね!」
そんな剛の心情を知るよしもない若人吸血鬼は、彼の足元まで歩み寄ると、躊躇なく手の甲を踏みつけた。
剛は普通の人間。『吸血鬼抹消組織』通称・VEOにも入ったばかりの隊員の卵だ。
そんな剛が、吸血鬼とまともにやり合えるはずもなく……。
「ぐわああぁぁぁっ!!」
剛は、自分の手の甲をグリグリと踏みつけられる痛みに耐えきれず、叫び声をあげた。
若人吸血鬼は、一向に足の力を緩めることなく高笑いを続けるばかり。
亜子が戦闘不能になった今、この吸血鬼を倒せるのは、この吸血鬼を止められる場所に居るのは藤本剛だけ。
そう思うと、惨めにやられている場合ではなくなってくる。
何としてもこの痛みから脱出しなければいけない。
そうは思っても、なかなか手の甲から吸血鬼の足をどかすことが出来ない。
せめてもの抵抗として、吸血鬼の足首を力の限り叩いてみるが、叩かれた吸血鬼が微動だにしない状況を見るに、剛の攻撃は一切の効力を発揮していない。
吸血鬼にも痛覚はあるため、足首を叩かれたという多少の感覚はあるはずだが、若人吸血鬼にとっては蚊に刺されたくらいのごく小さなものだろう。
しかし、この若人吸血鬼は一般吸血鬼であるため、鬼衛隊の面々や王宮関係の吸血鬼のように、何かしらの技が使えるわけでもない。
吸血鬼と人間という種族の違いがなければ、そこらに居るチンピラと変わらないほどだ。
そんな力量の吸血鬼の足元にも及ばない実力に、剛が絶望しかけたその時だった。
「【鋼拳】!!」
高く力強い声と共に、何かが若人吸血鬼に向かって突進してきた。
傷だらけの拳を丸め、なおも吸血鬼に飛びかかる少女。
「ごと……う……」
剛は驚きを隠せなかった。てっきり、亜子はもう駄目だとばかり思っていたのだ。
ところが安堵したのもつかの間、亜子が必死にぶつけた拳は、しっかりと若人吸血鬼の手に包まれていた。
「は? 何? 同じ技は通用しないって言ったじゃん」
馬鹿にしたような若人吸血鬼の言葉に、亜子は悔しげに歯噛みする。
「ちゃっちゃと大人しくなった方が、身のためだよ!」
「うがあっ!!」
若人吸血鬼は亜子の拳を掴んだまま、難なく彼女を地面に叩きつける。
強く背中を打ち付けた亜子は、目を剥いて咳き込み始めた。
このままでは剛も、そして亜子自身も負けてしまう。
そんなことは当に分かりきっていた。
だからこそ、亜子は再び立ち上がろうと地面に手を付く。
「そんなに戦いたいの? さすが亜人だね」
なおも抵抗の意を見せる亜人の少女を見て、吸血鬼は乾いたような感嘆の声を漏らした。当然ながら、その言葉は彼の本当の心の内からはかけ離れているが。
それに、亜人の闘争心が特別ずば抜けているわけではない。
だが敢えて、若人吸血鬼は種族の違いを知らしめるために口にしたのだ。
「亜人……!?」
自分と同じように地面に付していて、しかし何度も立ち上がろうとしているクラスメイトを見て、剛は息を呑んだ。
村瀬雪が氷下心結に取り込まれたあの日。
突如として教室に現れた得たいの知れない生物に誰もが驚き怖れる中で、ただ一人立ち向かったのがAクラスの学級委員長・後藤亜子だった。
無論、彼女が身体を張ったのは学級委員長としての使命感からでは決してなかった。
そのことは、剛も薄々分かっていた。兄が組織のトップで、戦場の最前線で戦っているが故の直感だろうか。
細かいことは剛自身もハッキリと明言出来ないが、間違いなく『後藤亜子』はただ者ではない。
そんな感覚が確かにあった。それは今の今まで隠してきたものであり、他の誰にも打ち明けたことのなかった剛自身の『違和感』だった。
その『違和感』が『確信』に変わったのだ。
「何でそんなに戦うんだい? 僕達、この世界に住む同じ生き物じゃないか」
自身と亜子が全く同じだと主張するかのように、若人吸血鬼は亜子に疑問を投げかけた。
「______よ」
うっすらと聞こえた何かに、彼は眉をひそめる。
亜子は荒い息を整えて肺に空気を入れ込むと、
「別に……戦いたいから戦ってるわけじゃ……ないわよ……!」
若人吸血鬼の瞳を真っ直ぐ見つめ、揺らぐことのない胸の内を口にした。




