第173話 涙なんて見たくない
一方、藤本剛も亜人領で若人吸血鬼と戦っていた。
吸血鬼の方は剣を持っているが、剛は何も持っていない。
自分の身体が武器の状態では、明らかに剛の方が不利、もっと言えば力の差が圧倒的だった。
「ほらほら、全然痛くないよ。もっとかかっておいでよー!」
懸命に拳を振りかぶる剛だが、その攻撃も全てひらりと避けられてしまう。
若人吸血鬼は剛の拳を避けて彼の背後に回ると、背中を思いっ切り蹴飛ばした。
「ぐわぁっ! ……く、くそっ」
よろめきつつも何とか体勢を整え、瞬時に振り返る剛。
しかし振り返った先には誰も居なかった。
「どこ行った……」
剛がチラチラと左右を確認するが、やはり人物の気配はない。
一体吸血鬼はどこに行ったのか、焦りを感じ始めていると、
「隙あり!」
「があっ!」
急に背中を蹴られて、剛は地面にうつ伏せに倒れてしまう。
「もう一丁!」
「ぐわああっ!!」
吸血鬼は倒れ込んだ剛の脇腹を勢いよく蹴り、地面の上に転がした。
「くそっ、この……うっ!」
剛は地面を転がりつつも何とか体勢を整え、脚に力を込めて立ち上がろうとしたが、蹴られた背中と脇腹に痛みが走ったせいで、またうずくまる。
「何だ、もう終わりか。つまらないなぁ」
吸血鬼は後頭部に両手を回して、痛みにうずくまる剛を見下ろし、
「じゃ、苦しいのも嫌だろうし、早く楽にしてあげるよっ!」
剣を片手に、猛スピードで剛へと迫っていった。
「バイバイ! 楽しませてくれてありがとうね!」
狂気に満ちた笑みを浮かべながら、剣を振りかぶる吸血鬼。
____俺はまた、何も出来ないのか。吸血鬼一匹も殺せねぇで……!
剛が限界を察して悔しげに目を閉じ、うっすらと涙を浮かべたその時だった。
「【鉄壁】!」
高い声が響くと同時に、吸血鬼と剛の間に高い鉄の壁がそびえ立った。
「なっ……!」
吸血鬼が振りかぶった剣の刃は、まんまとその壁に突き刺さってしまう。
「ぬ、抜けな____」
「【鋼拳】!」
突き刺さって抜けない刃を一生懸命抜こうとしていた吸血鬼の後頭部に、硬い拳骨が振り下ろされる。
「痛い‼︎」
あまりの痛さに、吸血鬼は持っていた剣から手を離して後頭部を両手で押さえた。
「一人で無茶して。どうせ自分一人で出来るって強がったんでしょ。命知らずはどっちよ。全く」
うずくまっていた剛の目の前に、身を翻した一人の少女が降り立つ。
赤みがかった長い茶髪を上の方でツインテールにし、戦闘のせいで薄く汚れた制服を身に纏っている。
その少女の背中を見上げ、剛は声を漏らした。
「後藤……」
しかし、すぐに小さく俯いて口角を上げると、
「ふん、命知らずに言われなくねえな」
剛の毒づきに、振り返った少女____亜子が口を尖らせた。
「あたしだって。ほら、行くわよ」
差し出された小さな手。
剛はもう一度自分を奮い立たせると、その手を握って立ち上がった。
「……ああ!」
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「ここ……どこリ……」
スピリアは、暗い場所で目を覚ました。
今まで意識を失っていたのか、所々の記憶が曖昧だ。何となく頭もボーッとしているような気がする。
「は、早くここから出ないとリ……」
記憶は曖昧でも、自分がどうしてこんな場所に居るのかだけは、しっかりと覚えている。
雪の学校の保健室で、キラー・ヴァンパイアのマーダに捕まってしまい抵抗もむなしく連れ去られてしまったのだ。
「リ……」
身体を動かそうとして初めて、スピリアは自分の身体が動かないことに気付いた。
首を動かして体を確認すると、手は後ろで組まれた状態のまま縄で縛られており、足にも同様の縄が巻かれてあった。
体の右半分に感じる冷たく固い感覚から、今の自分の状況は瞬時に察知できた。
今、スピリアは暗いどこかに手足を縛られた状態で閉じ込められていて、しかもその体は地面の上。
つまり、冷たい地面の上に縛られたまま転がされているということだ。
「あらぁ、やっとお目覚めかしらぁ?」
のんびりとした声が頭上から降ってきて、スピリアはハッとする。
「その声……」
「そうよ、わ・た・し。本当にもう待ちくたびれたんだからねぇ」
こうしてマーダと話が出来るのだから、目と口をガムテープか何かで塞がれていないことが不幸中の幸いだ、と思いつつ、スピリアは口を開いた。
「わたしをどうするつもりリ。わざわざこんなことして。殺すならさっさと殺せば良いリ!」
「あらぁ、良い度胸だこと。でもねぇ、ただ殺すのも面白くないわけよぉ」
暗闇に目が慣れてきたのか、徐々に声の主の姿が鮮明に写る。
濃い桃色の長髪に空色の瞳を光らせたキラー・ヴァンパイアは、壁にもたれてスピリアを見下ろしていた。
「どういう意味リ……!」
「あら、分からないの? 流石お馬鹿さん。でも良いわ。どうせあなたは死ぬんだし、最期に教えてあげるわよ」
マーダは壁から背中を離すとスピリアの元まで歩み寄り、膝を折ってしゃがんだ。
「あなたのお仲間居るでしょ? あのお嬢ちゃん達。あの子達の目の前であなたを気が済むまで痛ぶってあげるの。あの子達が悲しんでるのを堪能してから、あなたの心臓をこのナイフで一突き。どう? 良い考えでしょぉ?」
目前に刃の光るナイフをちらつかされたスピリアは、衝撃のあまり黄色の瞳を揺らした。
「ゆ、ユキ達の、目の前で……リ……?」
マーダの空色の瞳が、意味ありげに細められる。
「ま、あなたは私に感謝することね。最期の最後までお仲間の顔を拝めるんだから」
「リッ……!」
マーダは、自分に鋭い視線を送ってくるスピリアの額を細い人差し指でちょんとつつき、狭い牢獄のような場所から出て行った。
「ユキ達の涙なんて、わたし見たくないリ……」
そうこぼすスピリア。
閉じた瞳から、一筋の涙が頬をつたって流れ落ちた。




