第165話 久しぶりに身体を動かせるのね
「あの、ミリアさん」
「どうしました? ユキ様」
長い黄髪を揺らして首を傾げ、ミリアさんが尋ねてくれる。
私は思い切って、彼女に胸の内を打ち明けた。
「私、やっぱりイアンさん達を助けに行きたいです。私じゃ何の力にもならないのは分かってるんですけど、どうしても皆のことが心配で」
でも、ミリアさんはキュッと口を引き結ぶと、少し怒ったような顔をして、
「いけません、ユキ様。イアン様が仰っていたではありませんか。ここで待つようにと」
「そうですけど……」
「あれ、兄貴は?」
低い声がして、私が保健室のドアの方を見ると、そこには藤本剛くんが立っていた。さっきまで居た兄の誠さんが居なくなっていることに、無表情ながらもどこか不思議そう。
「藤本! どこ行ってたんだよ」
風馬くんが椅子から勢いよく立ち上がると、藤本くんは逆立った金髪をくしゃくしゃと掻いて、
「別に、普通に秋祭りの様子見てただけだ。で、兄貴は?」
さっきと同じことを質問する藤本くんに、私は答えを口にした。
「誠さん達、VEOの基地がハイト達に襲撃されたって聞いて、さっき基地に向かっていったよ」
「……!?」
藤本くんの目が分かりやすく見開かれる。
と、風馬くんが俯きながら申し訳なさそうに藤本くんへ謝罪を述べる。
「藤本、ごめんな。俺、お前の気持ちとか全然知らないのに、あんな偉そうなこと言って……」
風馬くんが喋っている間も、藤本くんは落ち着かなさげにじっと考え込んでいる。
そして覚悟を決めたかのように表情を引き締めたかと思うと、
「悪い、その話はあとだ」
私達に背を向けて保健室の引き戸を乱暴に開け、飛び出そうとした。
でも、彼の行く先に大きな影が。
「おっと、行かせねぇぜ?」
「何だ? お前」
藤本くんは顔を上げ、ドアのところに立ち塞がっている人物を鬱陶しそうに見上げる。
「あなた達!」
私は思わず声をあげてしまった。保健室の入り口のところに立っていたのは、私を誘拐した吸血鬼だったから。
「あ?」
私の声に、藤本くんが私の方を素早く振り返って『どういうことだ』と言うように声を漏らす。
私がおじさん吸血鬼を言及しようと口を開きかけたその時。
「一人じゃないんだけどね!」
おじさん吸血鬼の体とドアの隙間から、にゅっと長い足が伸びて藤本くんのお腹を力強く蹴り飛ばした。
「ぐわっ!!」
「藤本!」
不意打ちを喰らって吹っ飛ぶ藤本くんを、風馬くんがすんでのところで受け止める。
幸い、藤本くんが床に倒れ込むことはなかった。
「まさかスピリア様を……」
「リ……!」
昼休みに亜子ちゃんを襲っていた相手だと分かったのだろう、ミリアさんも、そして昼休みに襲われていたスピリアちゃんも警戒心を露わにする。
「スピリアちゃん、大丈夫だよ。私が絶対守るから!」
私はスピリアちゃんを吸血鬼達から隠すように抱きしめた。
「ユキ……」
腕の中で、彼女の小さな声が聞こえる。
夏合宿の時みたいな、同じ失敗はもう繰り返さないんだから!
そんな私の決意も他所に、ズカズカと踏み込んでくる二人の吸血鬼。
「【鉄壁】!」
ベッドに横たわっていた亜子ちゃんが、まだ完治していないはずの右手を彼らに向かって掲げた。
詠唱とともに、吸血鬼達を足止めする大きな鉄壁がそびえ立つ。
「残念、同じ手は通用しねぇって言っただろ」
途端に鉄壁が音を立てて崩れ落ちた。崩れた先には高く足を上げた若い吸血鬼のいやらしい笑みがあった。
「やっぱりまだ完全に回復してないから……うっ!」
亜子ちゃんは自分の右手を見つめたけど、無理に動かしたせいで痛みが走ったようで、ベッドの上でうずくまってしまった。
「アコ様! しっかりなさってください!」
そんな亜子ちゃんをミリアさんが慌てて支え、再びベッドに寝かせる。
「亜子、怪我してる時に無理するな」
「久しぶりに身体を動かせるのね、あなた」
立ち上がったのは、亜子ちゃんのご両親だった。
お母様の言葉に、お父様は筋肉質の腕を鋼に覆わせて挑戦的な笑みを浮かべる。
「ああ! 腕が鳴る!」
ムキムキの腕が鋼に覆われていく間、本当にメキメキと音が鳴っていた。
「パパ……ママ……」
亜子ちゃんは息切れしながらも、ご両親の背中を見つめている。
「雪ちゃん、窓を開けてくれないか」
と、お父様が急に私に頼み事をしてくれた。
「は、はい!」
一体何をするつもりなんだろう。
そう思いつつも、私は急いで保健室の窓を全開にした。
「【鉄砦】!」
お母様が吸血鬼達に向かって手を掲げて詠唱すると、彼らを取り囲むように大きな大きな砦が造られた。
まるでお城の一部のようなオウトツが全体に広がっている。
「な、何だこれ!」
「お、おい! 出れんぞ! あの小娘のとは違うのか!」
砦の中に閉じ込められて慌てふためいた声音の吸血鬼二人には見えないものの、お母様は茶目っ気たっぷりに片目を瞑った。
「当たり前じゃない。私はその小娘の母親なのよ? 【魔法陣】!」
そしてお母様は巨大な砦を窓の外まで移動させ、空中に魔法陣を出現させた。
「待ってください!」
突然、藤本くんが窓の側まで駆け寄っていき、魔法陣で転移しようとしたお父様とお母様を制する。
「どうしたの? 剛くん」
綺麗な赤髪を秋風にたなびかせ、魔法陣の上で浮かんだお母様が尋ねると、
「俺も行かせてください! 吸血鬼どもは、俺がこの手でぶっ潰したいんです!」
藤本くんが拳を自分の胸に勢いよく当て、真剣な表情で彼女を見つめた。
お母様もまた、藤本くんを見つめていたけど、
「……分かったわ。行きましょう。入って。【鉄砦】」
藤本くんを自身の砦で取り囲み、同じように窓の外へ移動させる。
「【魔法陣】」
今度こそ転移の魔法の詠唱をすると、空中に浮かんだ魔法陣へと消えていった。
おそらく、学校で戦うわけにはいかないから亜人界へと場所を移してくれたのだろう。
私はそんなお二人の配慮に感謝しつつ、ホッと息をついた。
「と、とりあえず、スピリアちゃんは守れた……」
「ユキ、ありがとリ!」
スピリアちゃんが私の腕の中で顔を上げて、満面の笑みを浮かべてくれた。
「ううん、私は何も。スピリアちゃんが無事で良かったよ」
私もつられて笑顔になっていると、
「本当にそうかしらぁ?」
「……お前!」
保健室の入り口から聞こえてきた声の主を見て、風馬くんが叫ぶ。
私も、保健室のドアにもたれかかっている人物を睨んだ。
「マーダ……」
そこに立っていたのは、濃い桃色の髪を背中に流したキラー・ヴァンパイアのマーダだった。




